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生前退位は特例法制定でも皇室典範改正でも憲法第1条の主権者である国民の総意確認(国民の意思表明)のため国民投票必要、即位規定とともに皇室典範改正が正道

2024-03-14 15:35:18 | 生前譲位

 生前「退位」をどのような形で実現するかという事で、国会での検討が進められているが、生前「退位」が実現すれば、新天皇も現行「皇室典範」に規定がない状況下で「即位」するわけであるが、その場合当然、現行「皇室典範」規定の改正が必要であるにもかかわらず、安倍政府がまったく話題としないのはどういう事であろうか。生前「退位」については「皇室典範」改正は行なわないが、「皇室典範」第4条「即位」についての条文改定は行うという事なのであろうか。筋の通らない考え方である。

 生前退位をどのような形で実現するかという事で、政府の「天皇の公務負担軽減等に関する有識者会議」をはじめ、多方面で検討がなされているようだ。生前退位とはもちろん、死亡する前に退位する事で、その結果、後継者にその地位を譲るという事を意味する。

 政府の「有識者会議」では、安倍政府の意志に沿って、現天皇に限って(一代限りの)退位を可能とする「特例法」制定か「皇室典範」の附則に根拠規定を設ける事を提言し、安倍政府はいずれかによって実現させようとしているようだ。これは自民党の常套手法である「解釈改憲」であり憲法の規定を形骸化させる事になるので認めてはいけない。また、民進党は恒久制度として「皇室典範」の「改正」が必要であると考えているようだ。

 ところで、憲法第1条では、「天皇の地位は主権の存する国民の総意に基づく」としているが、それは、天皇の地位とは、天皇の「あり方」であり、また天皇制の存廃を意味する言葉であり、それが国民の総意が反映されたものである事が示されなければならないとの趣旨であると解釈すべきである。そして、「継承」については憲法第2条において、国会の議決した「皇室典範」の定めに基づくとしているのであるからそれに基づいて行われるべきものである。

 ところで「皇室典範」の定めには、「継承」に関わる定めとしては、第4条「即位」が定められており、「天皇が崩じたとき」だけと定められているのである。「生前譲位」に関わる定めは一切存在しない。

 しかし、このような法制度の下で、天皇及び天皇制に関する「新しいあり方」として「生前譲位」を実現させようとするならば、一般的には、まず国会において「皇室典範」の「改正案」を作成するという方法こそ妥当とすべきである。つまり、「生前退位」に関する新しい規定と、「即位」に関する現行の規定を改正する必要があるのである。

 そしてその際最も重視すべき事は、憲法第1条の趣旨に基づくならば、その「改正案」が「国民の総意」を反映している「内容」かどうかについて、主権者である国民の意志を確認する「手続き」が必ずなされなければならないという事である。この「手続き」とはつまり、「国民投票」に委ねるという事である。その形式には、一つの「改正案」に対する賛否を問う方法もあるが、二つの「改正案」のどちらかを選択する二者択一の方法をとっても良いと思う。

 またその際、「改正案」が「承認」される投票条件として、「最低投票率」の制限を定め、18歳以上の有権者の少なくとも70%(以上)の投票がなければ「国民投票」は無効とし、70%(以上)を満たした場合、その60%の賛成を必要とするとすべきである。なぜなら、現在の衆議院議員は、衆議院小選挙区選挙において、最高裁判決を無視して「一人別枠制度」「一票の格差」を放置した制度の下で選出された議員からなり、国民の意思を公平正確に反映しているとはいえないのであるから、そのような議員の意見集約には価値はなく国民に対して説得力を持たないからである参議院選挙についても最高裁が、都道府県単位で選挙区を設定する仕組みの見直しを求めたのに対して自民党の反対のため十分な改革がなされず、衆院と同様に国民の意思を公平正確に反映していない状況が存在するからである。主権者である国民の意思を公平正確に反映しない国会議員による、いわゆる「談合」によって決定し処理して良いものではないからである

 

 ところで、1月16日には、自民党所属の衆参両院議長が各会派の代表者を集めて意見集約を図る意向を表明した。しかし、この手法は、朝日記事にある「見解の相違を残したまま国会論戦が始まれば、憲法が天皇制に求める『国民の総意』も、天皇陛下がお気持ち表明で触れた『国民の理解』も得られない可能性がある」という自民党の危惧を解消するための、また「解釈改憲」をスムースに行うための「根回し」の手法である。自民党は可能な限り、議論を避け自己の思惑通りの結果を得ようと目論んでいるのである。

 大島衆院議長は周囲に「陛下の問題を国会で政争の具にしてはならない」と話していたというが、日本の将来の国家体制が変質するか否かに関わる重大な問題であるわけだから、本来国会では白熱した議論をすべきであり、議論する事は「政争の具にする事」とは全く異なり、議論する事をそのように考える事こそ無責任な否定されるべき態度である。天皇のあり方や天皇制度を議論する事をタブーと思わせる事は、何らかの思惑を持っているものとして否定されるべき態度で、むしろ、公明正大に議論する事こそ主権者である国民としての責任ある態度である。「政争の具」発言は、天皇を特別視させ、議論する事を否定的なものと思わせ、議論しようとする者を「牽制」する狙いを持つものである。大島議長の言葉をそのまま受け入れる事は、国民が自民党の思うつぼにはまるという事である。

(2017年3月12日投稿)

 

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生前譲位は天皇と安倍が東京五輪を利用して結託した目論見

2024-03-14 15:34:18 | 生前譲位

 なぜ今時、天皇は「生前譲位」の意思を発表したのか。それも、天皇自身の言葉を借りれば「憲法の下、天皇は国政に関する権能を有していない」立場を十分認識しながらも。

 発表の内容は安倍政権との意思の疎通が十分になされている。それは、安倍政権の政策と深い関係があるからである。それは4年後に予定されている「東京五輪」開催であり、それを無事に成功させる事と関係があるのである。安倍政権は、そのためには、それまでの間、国内の受け入れ態勢準備態勢を整備していく上で、東京五輪の実施上致命的な不都合が生じないよう事前に可能な限り予想できる重大事態を回避するための手立てをしておく必要があると考えたからである。天皇家はこの機会に天皇の継承問題を進展させようとしているのである。

 安倍政権にとってその重大事態の最たるものが天皇の「体調異変」やそれに伴う「死去」なのである。その可能性を有する事を想定してその事態を、「生前譲位」を認める事によって切り抜けようとしているのである。

 天皇としては、父である昭和天皇が87歳で死去した事を思えば、自分もあと5年前後でその年齢となる。だから、それから生じる、自分もいつ重大事態となるかもわからない、という不安とその先の死去を想定して、天皇の地位の継承に対する不安や天皇家の存廃に対する不安を取り除いておこうとする意思が働いているのである。

 その意思を「高齢による体力の低下……従来のように重い務めを果たす事が困難になった場合、どのように身を処していく事が、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考える」という言葉で表しているのである。「国にとり」というのは安倍政権にとり」の意味である。国民は第一とは考えられていない事がわかる。

 「皇族にとり」とは、現行天皇は自分が55歳で天皇に即位したのに対して、現皇太子は、56歳となっているため、早く即位させたいという思いがある事。またその事により、次男の秋篠宮を皇太子とし、将来の天皇への道を保障しようとしているのである。秋篠宮は天皇としての在位期間は短かくなるかもしれないが、その子(現行天皇からすれば孫)の悠仁親王に皇太子とその後の天皇の地位が保障されるであろう事によってそれぞれは了解し合っているという事である。

 現行天皇の「生前譲位」の意思表示は、重大事態、それは、体調の異変や最悪は死去という事態であるが、そのような事態を回避するための手立てなのである。天皇はその事を、「天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶ事が懸念される。皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、……。こうした事態を避ける事はできないものだろうか」と述べているがそれは、社交辞令のようなもので重要事とは考えられていない。それは国民に対して天皇制の二つの顔のうちの一つの顔「慈悲の顔」をアピールしようとする演出であり国民の事を本気で気遣った言葉ではない。なぜなら、生前譲位すれば新天皇の即位式が行われる。また即位後、東京五輪までに前天皇が死去した場合、譲位していても前天皇としての葬儀をするのであれば東京五輪に与える影響は上記の天皇の言葉と同じようになるからである。生前譲位しようがしまいがいずれにしても東京五輪に影響を与えるのであればわざわざ生前譲位の必要はないという事になる。国民にとっては、生前譲位によって前天皇に費やされる税金の負担がこれまでより増加するだけである。

 しかし、現行天皇のままで、東京五輪を前にして現行天皇が重大事態になって困るのは安倍政権である。安倍政権は現在自らが五輪を迎えるために、総裁任期延長を成立させようとしていることからも重大事態は避けなければならないのである。そのため安倍政権にとっては生前譲位による新天皇を政権に利用する事を目論み、天皇家にとっては生前譲位によって天皇の継承問題を進展させる事ができ得る絶好のチャンスとしようとしているのである。

 また、「象徴天皇の務めが常に途切れる事なく、安定的に続いていく事を念じ」との天皇の言葉も、東京五輪を意識した言葉なのであり、無事に成功させるためにも安定した象徴天皇制の継続を主張しているのであるが。この言葉はもっと、突き詰めていえば、天皇家はどんな形であろうとも天皇制を継続させたいという意思を主張しているのである。

 天皇家のそのような意思は、すでに、幕末明治維新の時期や、敗戦の時期の天皇の動向によって明白である。天皇制はどのような形であれ継続させる事こそが重要と考えられているのである。天皇制が存続できさえすれば、天皇家はどのような形にでも変化してゆく体質をもっている。ただし、自らの出自を否定されないかぎりで。つまり、古事記日本書紀に書かれた「神の裔」である事を否定されない限り。また、天皇制国家日本という「国体」を廃止されないかぎり。一方、安倍政権としては元首としての天皇制への回帰をめざしてとりあえず現行天皇制を存続させておきたいのである。

 「生前譲位」の「お言葉」は、天皇と安倍自民党政権との間で結託し綿密に計算され計画され実施された政治政策であるという認識を持つ事が必要である。それを単に人間の誰もが生物として経験する老化や死を迎える事から生じる人間としての一般的な不安や苦悩としてのみ理解したり、天皇が自身の死去後の、家族などの将来に対する人間として一般的な不安や苦悩であるとのみ理解してしまうと真実は見えてこない。また、正しい判断をし対応する事はできない。

 例えば、「天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していく事には無理があろうと思われる」。ここでは縮小が無理な理由を述べずに、自己の政治的主張を国民に強引に認めさせようとしている。実はこの裏には憲法違反に当たる行為が存在するのである。

  また、摂政を置く事について「天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続ける事に変わりはない」と述べているが。この場合、国事行為や象徴的行為を果たせなくなれば生前退位したいという個人的な意思を強く主張しているだけである。そして、生前退位者の待遇についてやそれに対する国民の負担への深い思慮を示す言葉は存在しない。

 天皇は天皇家を代表して、今後の、天皇の地位のあり方や、天皇家のあり方や、天皇制のあり方(象徴天皇制)について、その変革を求める意思を憲法皇室典範の定めに違反して強く示したという事なのである。

 その意思とは、老化に伴って、国事行為や、象徴的行為を縮小することはできない(その理由は国家神道に関わる政治的行為などであるため糺さなければならない)。また、摂政を置き、死ぬまで天皇の地位にある事は嫌だ。皇太子に天皇の地位を譲りたい、(象徴)天皇制という国体を護持するという事である。

 生前譲位の希望の背景には、2020年の東京五輪が大きな原因として考えられる。五輪をスムースに開催するために天皇を利用しようとする安倍政権の考えがあり、五輪をきっかけに天皇には天皇の思惑があり、安倍政権の考えに応じながら利用もして、天皇の継承問題を進展させようとする意志があるという事である

 また、生前譲位は、「国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良い事である」という意思に基づいている。そこには、国民のためではなく、天皇家(国)のためという考えが優先している。それは最後の言葉である「象徴天皇の務めが常に途切れる事なく、安定的に続いていく事を念じている」という言葉にも表れている。

 そこには、天皇の地位の存廃を憲法第1条が規定している事にとらわれず、天皇家自らが「天皇制」を維持する事を当然の事として希望している事がわかるのである。これは明らかに政治的発言であり、政治的行為である。主権者である国民は看過してはいけない。

 この背景には、喫緊の参院選で、民進党と共産党などが連合し議席を増やした事、特に共産党が増やした事が天皇家と安倍政権にとって、脅威となってきた事があると思う。

つまり、天皇は天皇家や天皇制(象徴天皇制であっても)を廃止されては困るのである。敗戦時にそれまでの「国体護持」にこだわったように

また、安倍政権自民党は象徴天皇制を元首天皇制に回帰したいと考えているのである。

※日本国憲法において、天皇が「象徴」としての地位を獲得できたのは、マッカーサー(米国政府)昭和天皇との交渉による利害の一致を基礎に、国会の決議によるものであった。

※現天皇家や皇族は、立憲主義にもとづく憲法と皇室典範の規定によってその地位を国民により認められている。

(2016年9月8日投稿)

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生前譲位を考える一重要視点。伝統の継承者、長い天皇の歴史とは。皇室の思想的基盤は何か。

2024-03-14 15:32:58 | 生前譲位

 現行天皇が「象徴天皇制」に基づいて「天皇」としての「地位」に位置づけられているのは、彼の父である「昭和天皇」が米国、直接的にはマッカーサーとの間の戦後の日本の国家体制のあり方についての交渉(取引)の中で双方の利害の一致によって「合作」という形で生み出されたものである事は今日周知の事実である。

 そして、現行天皇は、憲法第2条の「皇位は世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」とする定めに則り、父である昭和天皇からその地位を継承して今日に至っているという事である。

 「象徴天皇」とは、憲法第4条に定められているように、「国政に関する権能を有」せず、「この憲法の定める国事に関する行為のみを行」う存在という事で「象徴」という言葉で表現されているのである。そして、その「地位」については、憲法第1条に定められているように、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であり、その存廃については「主権の存する日本国民の総意に基づ」いて決定されるものであり、決定されてきたのである。

 「お言葉」は曖昧な表現が多いため、聞く側は手前勝手な「思い込み」はすべきではないし、それを基にした議論はすべきではない。それは、実のある議論とはならないからだ。また、その意味では、「お言葉」はもっと明確な表現をすべきであったと思う。このような表現の仕方は敗戦までの日本の為政者が国民に対して「常套手段」として使用した「内面指導」という手法と同一であると思う。

 しかし、そのような表現でありながらも、重要な事であるので誤解を恐れず糺しておきたい事がある。それは、「お言葉」の中の、「伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し」とあるが、天皇が継承するその「伝統」とは何を指すのかという事である。また、「我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ」とあるが、その「長い天皇の歴史」とはどの期間を指すのかという事である。

 なぜならば、その中身が明確に示されなければ、どのようにでもその「意味」を「込める」事が可能であるからだ。発表されたままの「お言葉」の中身自体が極めて「政治的発言」「政治的行為」であると判断される内容であるにもかかわらず、そのうえに「上記の文言」についてまったく詳細な説明をせず、「意味不明」のままで国民の理解を求めるというのは、非常に無責任な態度であり放置できない重大な問題であると考える。

 昭和天皇は、象徴と冠した天皇の地位を手に入れ天皇の地位に居座るために、マッカーサーとの交渉で合意の下に、1946年1月1日、「天皇の人間宣言」(正式には「新日本建設に関する詔書」という)を発表した。しかし、その内容作成で、昭和天皇はマッカーサーと日本国民を「現御神」という「文言」を使用する事で騙して、「神の裔」であるとする「天皇制の思想的基盤」を守ったという出来事があった。それは今日、「人間宣言書き換え事件」と呼ばれているものである。

 マッカーサー原案が「天皇を神の裔なりという事を否定する」となっていた事に対し、昭和天皇が反発し、当時の国民が、また今日の我々日本人が目にする「天皇を以って現御神とし」という「文言」に書き換え、それを「架空なる観念」と言い、それに「基づくものにあらず」として「否定」した内容に書き換えて発表したのである。そうする事によって天皇は自己の意図を達成する事に成功したのである。

 つまり、昭和天皇にとって死守しなければならなかった事は、「天皇は神の末裔」であるという事だったという事である。それは、天皇の地位の正当化の根拠は「古事記」と「日本書紀」に書かれた内容にあったからだ。神の子孫であるという家系の神話を否定する事される事は、自分の存在を全否定する事される事になるために「ごまかして」でも死守しなければならなかったのである。

「古事記」「日本書紀」にはどんな事が書かれているか。それは、「天照大神から地上の支配権を与えられたその孫ニニギノミコトが九州に天孫降臨し、ニニギノミコトのひ孫にあたるカムヤマトイワレヒコが九州から大和に遠征して初代・神武天皇となり、その初代・神武天皇から天武天皇に至るまで断絶することなく(連続して)、神の子孫である事を支配の根拠とする王家が続いた」としているのである。つまり、これは、日本版「王権神授説」であり、天皇家の支配者としての正当性を主張したものなのである。

 現行天皇がこの事件における昭和天皇の意思を継承しているとするならば、現行天皇もそれを歴史的事実とみなし自己正当化のために「伝統」と主張しているのではないだろうか。また、それを「我が国の長い天皇の歴史」とみなして主張しているのではないだろうか。またそれを国民に対して改めて認めてもらおうとし認めさせようとしているのではないだろうか。このような疑問を持たせるために糺さざるをえないのである。

 つい最近、「神武天皇」没後2600年という事で天皇皇后、又皇太子一家が奈良の橿原へ、明治期に当時その地に生活していた民家を強制移転させて作った「神武天皇陵」へ参拝したが、それはどのような思想価値観の下に行われたのかといえば、天皇家皇室の思想価値観歴史認識である「古事記」「日本書紀」に基づいて行われたものであるという事になるのである。「古事記」「日本書紀」に書かれた天武天皇までの歴史を、天皇家は今日に至っても「真実」として信じ、彼らの生活の中で息づいているという事になるのである。歴史学的には事実ではないとする事が定説となっているにもかかわらず。その事に国民は気づかなければならないのである。

 また、「君が代」斉唱で起立しない教員を「職務命令違反」として処分する「教育委員会」や「裁判所」、それを放置してきた「安倍政権自民党」の思想価値観歴史認識もその延長線上にあり、天皇家皇室と利害関係を同じくしている事を教えてくれているのである。

 また、天皇制は、根本的に、ある人間集団は生まれながらに尊い、と認める事を国民に強制する政治体制であるという事である。その思想価値観は、人権尊重の思想とは正反対のものであるとともに、人権侵害を認めるものである。

 国民は自らの人権を守るためには、天皇制を象徴天皇制であろうと廃止する事が重要である。天皇制を廃止する事こそ、すべての国民の人権を保障する「鍵」となり、結果的に天皇家も人権を尊重される人間となれるという事なのである。

 天皇を特別視する人間は、自らを奴隷化しているのであり、人間を平等として見る事ができない人間であり、そこから他を差別する意識が生まれるのである。

 さて、改めて思う。天皇家は天皇家の存続だけを考えているのだろう。お言葉には、自己の存続のため有力者に助力を求める事を目的として日和見をする歴史の中の天皇家の姿が映し出されているのかもしれない。今回は国民か?

しかし、国民から信頼を得るためには自己の本当の姿気持ちを知ってもらおうとする努力が必要である。信頼はうわべだけの優しさや美辞麗句では育たない。見せかけの信頼はすぐに化けの皮がはがれるものだ。これは人間と人間との間の普遍的真実である。

 

 国民は「天皇のお言葉」を感情で受け止め、軽率な判断はするべきではない。それほど無責任な態度はない。

(2016年8月12日投稿)

 

 

 

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松井一實広島市長がヘイトクライムに加担:「新しい歴史教科書をつくる会」広島支部主催「慰安婦の真実パネル展」に市民交流プラザ使用を許可

2024-03-12 11:09:01 | 慰安婦問題

 2014年12月、在特会(在日特権を許さない市民の会)は、「ヘイトスピーチ(ヘイトクライム)」を行い、「侮辱罪」「威力業務妨害罪」「器物損壊罪」などで有罪が確定している。慰安婦の真実パネル展」の内容も同様の人権侵害行為に当たると見なしてよい。そして、展示場所を提供した広島市長・松井一實氏はその「ヘイトクライム」に加担したと見なすべきで、犯罪行為である人権侵害行為を許さない広島市民はもちろん日本国民は、市長の責任を糾し、その責任を負わせるべきである。新聞・テレビはこの事件をまったく報道していない。メディアの責任も追及すべきである。メディアによる世論操作の手法の一つは、「報道しない(黙過する)」事である。

 2019年4月16日~24日、広島市まちづくり市民交流プラザ1階ロビーにおいて、「新しい歴史教科書をつくる会」広島支部が、「これが『慰安婦』の真実だ!日本政府は謂れなき謝罪と賠償を取り消せ!」というテーマの「慰安婦の真実パネル展」を開催した。これに対し、一市民が市に苦情を訴えたところ、市民局市民活動推進課「生涯学習や市民活動に取り組んでいる団体の『表現の場』として提供」、「市民の皆様には様々な考え方がある事から、展示内容を直接の理由に使用を制限する事は困難であると考えております」と回答した。

 そして、「日本軍『慰安婦』問題解決ひろしまネットワーク」も、抗議を行い二度と繰り返さないように5月27日付で要請をした。それに対する市長の6月11日付の回答が以下の内容であった。

まちづくり市民交流プラザ南棟1階ロビーは、生涯学習や市民活動に取り組んでいる団体の『表現の場』として提供しております。本市から指定を受けた公益財団法人広島市文化財団は、市民が中心となって活動している団体の主催で、営利活動や特定の宗教・政党を支持・支援する内容ではない事を確認し、使用の承認を行っています。また、団体や展示内容によって犯罪行為や違法行為が行われるおそれが客観的に認められるものでない限りは、どの団体に対しても平等に承認しています。本市としては、展示内容の正確性等は主催者の責任の範囲であると考えており、展示を承認した事が、市として主催者の考え・主張などを皇帝した事を意味するものではありません。以上となります。この度は貴重な御意見をいただきありがとうございました。

お問合せ先

広島市役所市民局市民活動推進課

電話082-504-2113 FAX082-504-2066 

E-mail katsudo@city.hiroshima 」というものであった。

上記のような回答内容でしかなかったため、「ネットワーク」は10月18日付で広島市長・松井一實氏に対し、詳細な説明とともに「再度の要請書」を提出した。

(2019年11月9日投稿)

 

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明六社同人はエリート意識強く愚民観有する政府官僚で民衆の自由民権運動を裏切った。朝日の社説表現は誤解を生む

2024-03-05 20:14:52 | 日本人

 2018年10月21日の朝日新聞社説「明治150年 議論重んじた先人たち」が、「『明治』に学ぶべきは何か」と問いかけ、「それはしっかり議論する事。互いに尊重し合い、異見にも耳を傾け、考えを深める姿勢ではないだろうか。新しい時代を切り開こうと苦闘した先人の営みは、議論を避け、仲間内の言葉に酔い、独善がまかり通る『いま』に、警告を発しているように見える」と結論づけ、「多様性と寛容さがあった」一例として「明六社」同人の活動を取り上げ、特に福沢諭吉の名前を挙げて称賛し範とすべきよう紹介している。

 しかし、このような「明六社」同人についての紹介内容は、「社説」の意図に合う都合の良い部分だけを利用して紹介しているものでありひじょうに短絡した紹介になっており、このような紹介では読者が「明六社」同人について誤った理解をしてしまうため、実態を紹介したい。

 神聖天皇主権大日本帝国政府文明開化や富国強兵策を打ち出すと、1873年に明六社が結成された。「明六社同人」は福沢諭吉を除いてほとんどが政府の官僚であり、政府と基本的に同じ立場であった。エリート意識を持つ彼らは政府の開化政策推進のため機関紙『明六雑誌』を発行し、愚民視していた民衆の啓発活動を行った彼らは政府の政策作成に関わるとともに、その政策に自発的に協力する民衆を生み出す事が目的であった。

 ところが、1874年に板垣退助らが「民選議院設立建白書」を政府に提出(自由民権運動の開始)すると、この建白に対して明六社同人は口を合せたように「時期尚早」であると反対した。中でも加藤弘之は「今の農商の人民には何らの政治的自覚もなく、むろん知識もない。士族にはやや政治的自覚はあるが、政府は何者であり、政府の収税の権は何にもとづき、臣民の軍役の義務は何の理によるかなどを解する者はほとんどいない。この時に民選議院を開けば、いたずらに愚論の府となるばかりか、あるいは国家の大害ともなりかねない」「我国開化未全の人民を挙げて天下の事を共議せしめ、その公議を採って天下の制度憲法を制定せんと欲するも、恐らくは木に縁って魚を求むるの類であろう」と反駁した。それに対し大井憲太郎は「建白や民権主張の世論そのものが人民知識の発達を物語っており、議院設立はさらに実地教育で民衆を向上させる事となる。納税者が政治に参与し政府財政を調理するのは当然の権利だ」「世襲の士族は人民と相離居する事多年、まったく真に人間の利害に疎く、よって議員は士族からのみでなく、一般の人民からも選ばれなければならない」とした。その後の「明六社」は、政府が1875年に讒謗律や新聞紙条例などを制定し政府批判を禁止すると、それに抵抗して言論・出版の自由のために闘うのではなく、機関紙『明六雑誌』の発行を止め自然解体した。これは明六社の啓発主義の性格を示している。その後の加藤はその後立身出世の階段を歩き1877年に東大初代総理、1890年には帝国大学総長となるが、1879年には「天賦人権論」反対を発表し、1881年には「優勝劣敗・敵者生存」を説き、1882年には『人権新説』で天賦人権説や自由民権は虚妄であるとして攻撃し、国家主義に転向宣言した。加藤と同様に福沢諭吉も変貌する。民権運動を危険なものであると考え、民衆への啓発を止め、1876年には「人の智愚は系統・遺伝による」と説く。それ以降は民権運動と敵対し、富国強兵の「侵略主義」を説いた。西周も学者官僚として、軍人勅諭の起草に携わり、貴族院議員にもなり、出世階段を歩んだ。西村茂樹皇室中心主義の国民道徳の興隆に尽力。国粋主義の先駆となった。森有礼は伊藤内閣の文相となり、国家主義的教育体制を確立した

 明六社同人は、啓発した教え子たちが自由民権運動に政治的主体性の成長を誇示し始めると、これを抑える側にまわり、啓発の論理を転換させていったのである。

 明六社同人は、啓発した教え子たちの民権運動によって乗り越えられ、その時彼らはその啓発思想とその理想を投げ捨て、現実主義に居直る事によって、教え子たちを否定しようとしたのである。

(2018年10月25日投稿)

 

 

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