生前「退位」をどのような形で実現するかという事で、国会での検討が進められているが、生前「退位」が実現すれば、新天皇も現行「皇室典範」に規定がない状況下で「即位」するわけであるが、その場合当然、現行「皇室典範」規定の改正が必要であるにもかかわらず、安倍政府がまったく話題としないのはどういう事であろうか。生前「退位」については「皇室典範」改正は行なわないが、「皇室典範」第4条「即位」についての条文改定は行うという事なのであろうか。筋の通らない考え方である。
生前退位をどのような形で実現するかという事で、政府の「天皇の公務負担軽減等に関する有識者会議」をはじめ、多方面で検討がなされているようだ。生前退位とはもちろん、死亡する前に退位する事で、その結果、後継者にその地位を譲るという事を意味する。
政府の「有識者会議」では、安倍政府の意志に沿って、現天皇に限って(一代限りの)退位を可能とする「特例法」制定か「皇室典範」の附則に根拠規定を設ける事を提言し、安倍政府はいずれかによって実現させようとしているようだ。これは自民党の常套手法である「解釈改憲」であり憲法の規定を形骸化させる事になるので認めてはいけない。また、民進党は恒久制度として「皇室典範」の「改正」が必要であると考えているようだ。
ところで、憲法第1条では、「天皇の地位は主権の存する国民の総意に基づく」としているが、それは、天皇の地位とは、天皇の「あり方」であり、また天皇制の存廃を意味する言葉であり、それが国民の総意が反映されたものである事が示されなければならないとの趣旨であると解釈すべきである。そして、「継承」については憲法第2条において、国会の議決した「皇室典範」の定めに基づくとしているのであるからそれに基づいて行われるべきものである。
ところで「皇室典範」の定めには、「継承」に関わる定めとしては、第4条「即位」が定められており、「天皇が崩じたとき」だけと定められているのである。「生前譲位」に関わる定めは一切存在しない。
しかし、このような法制度の下で、天皇及び天皇制に関する「新しいあり方」として「生前譲位」を実現させようとするならば、一般的には、まず国会において「皇室典範」の「改正案」を作成するという方法こそ妥当とすべきである。つまり、「生前退位」に関する新しい規定と、「即位」に関する現行の規定を改正する必要があるのである。
そしてその際最も重視すべき事は、憲法第1条の趣旨に基づくならば、その「改正案」が「国民の総意」を反映している「内容」かどうかについて、主権者である国民の意志を確認する「手続き」が必ずなされなければならないという事である。この「手続き」とはつまり、「国民投票」に委ねるという事である。その形式には、一つの「改正案」に対する賛否を問う方法もあるが、二つの「改正案」のどちらかを選択する二者択一の方法をとっても良いと思う。
またその際、「改正案」が「承認」される投票条件として、「最低投票率」の制限を定め、18歳以上の有権者の少なくとも70%(以上)の投票がなければ「国民投票」は無効とし、70%(以上)を満たした場合、その60%の賛成を必要とするとすべきである。なぜなら、現在の衆議院議員は、衆議院小選挙区選挙において、最高裁判決を無視して「一人別枠制度」「一票の格差」を放置した制度の下で選出された議員からなり、国民の意思を公平正確に反映しているとはいえないのであるから、そのような議員の意見集約には価値はなく国民に対して説得力を持たないからである。参議院選挙についても最高裁が、都道府県単位で選挙区を設定する仕組みの見直しを求めたのに対して自民党の反対のため十分な改革がなされず、衆院と同様に国民の意思を公平正確に反映していない状況が存在するからである。主権者である国民の意思を公平正確に反映しない国会議員による、いわゆる「談合」によって決定し処理して良いものではないからである。
ところで、1月16日には、自民党所属の衆参両院議長が各会派の代表者を集めて意見集約を図る意向を表明した。しかし、この手法は、朝日記事にある「見解の相違を残したまま国会論戦が始まれば、憲法が天皇制に求める『国民の総意』も、天皇陛下がお気持ち表明で触れた『国民の理解』も得られない可能性がある」という自民党の危惧を解消するための、また「解釈改憲」をスムースに行うための「根回し」の手法である。自民党は可能な限り、議論を避け自己の思惑通りの結果を得ようと目論んでいるのである。
大島衆院議長は周囲に「陛下の問題を国会で政争の具にしてはならない」と話していたというが、日本の将来の国家体制が変質するか否かに関わる重大な問題であるわけだから、本来国会では白熱した議論をすべきであり、議論する事は「政争の具にする事」とは全く異なり、議論する事をそのように考える事こそ無責任な否定されるべき態度である。天皇のあり方や天皇制度を議論する事をタブーと思わせる事は、何らかの思惑を持っているものとして否定されるべき態度で、むしろ、公明正大に議論する事こそ主権者である国民としての責任ある態度である。「政争の具」発言は、天皇を特別視させ、議論する事を否定的なものと思わせ、議論しようとする者を「牽制」する狙いを持つものである。大島議長の言葉をそのまま受け入れる事は、国民が自民党の思うつぼにはまるという事である。
(2017年3月12日投稿)