船橋市でもこの2月に有志グループで自主夜間中学を開設した。
通称「ふなラ~ン」と言う。
市教育委員会とも連携しながらのスタートである。
この動きを知った私は早速、講師として応募した。
説明会は一回では収まらないほど多数の応募があったらしく、追加でさらにもう一回説明会を開いたほどだ。
私以外にも、この種の件に関心ある者は多いのだろう・・・。
こういう取り組みは一人の思いつきでは容易に進展しないものだが、
どうやら市内各地で自主的に子どもたちに学習の場を作ってコツコツと取り組んでいた者や、
中小企業の若手実業家等々の熱意もあってのスタートだったように思う。
組織的な基盤は「一般社団法人ふなばしリカレント教育協会」である。
尚、生徒募集の広報パンフレットには上記リカレント教育協会が主催者であり、
共催者として千葉県中小企業同友会、振興条例委員会SIC委員会、船橋市教育委員会と表示してある。
この夜間中学「ふなラ~ン」の目指すコンセプトは「誰でも学べる」「進学・就労のための学び」
「地域で支える拠り所」である。
さらに、私が共感したのは三つの行動指針だ。
① 違いを認めること(否定をしない)
② 関わり合いを持つこと(対話を心がける)
③ 変わること(振り返りをする)
さて、講師となって2か月余り経過したが、率直なところ、私にはしっくりしないことが多々ある。
まあ、スタートしたばかりだから試行錯誤で進むというのは皆さん共通に理解しているようだが、
講師個々人の思いは多様な感じがする。
なにしろ、週一回の開設日には生徒と講師の数が同数か、或いは講師の方の人数が多い程である。
まあ、講師不足で悩むことはないようだが、逆に「生徒さんの取り合い」のような現象さえ見られる。
一応、教科は国語・算数(数学)・英語の三つに分かれているが、実際には生徒の需要に応じて柔軟に対処している感じだ。
私は、国語(にほんご)を担当する講師陣に入っているが、今、携わっているのは中学1年生の数学である。
そして、その前には中学2年生の社会にも携わった。
尚、これは、私がその生徒に、「今日は何の学習をする予定?」と尋ねたら、
「数学と社会を用意してきたからどちらでもイイです」と答えたからだ。
私が最近関わっているこの二人は、いわゆる「不登校」で昨年度は二人ともほとんど登校しなかったと言う。
その代わりに、親は塾に通わせて学年の教科学習を少しでも進めようとしているようだ。
因みに、この家族は比較的遠くから母親のクルマに同乗して末の未就学児と4人でやって来ることが多い。
実は、それまで私はフィリピンからやって来たという女性(日本人男性と結婚)に日本語の平仮名・カタカナを指導していたのだが、
私が一回休んでしまった日から別の講師が担当するようになってしまった。
申し送り事項を書いておいたので、次の講師もスムーズに引き継いで現在に至っているようだが、
私の気持ちとしては、そのまま続けたかったのが本音だ。
講師によっては、はっきりと「私の生徒さん」と言う人もいるくらい生徒の独占化が進んでいる。
これは、現在の所、良くも悪くも個別指導しか行なっていないからである。
講師が多く、学ぶスペースが手狭になっており、私はいつも和室の畳の上で指導しているので膝や腰が痛くなって辛い状態である。
椅子席で好きな教科を自信たっぷりに指導している講師には分かるまい! などと愚痴も言いたくなる。
しかし、結果的には現在私が関わっている不登校の姉と弟との関係も回を重ねるとともに深まっているのを感じる。
この二人、何で学級へ入っていけないか不思議なくらいコミュニケーション能力も高く、学習への意欲も感じる。
もっとも、学校の外で普通の大人とはスムーズに会話ができても、
一旦学校へ入ると教員や同級生と関係性を容易に持てない子どもがいるのは今までにも体験してきたことではある・・・・。
これから先、教科学習も大切だが、それ以上の何かを求めて、むしろ子どもたちに試行錯誤するような契機を作ることができればと思う。
最初に抱いていた夜間中学のイメージとはかなり異なる現状だが、これもスタートしたばかりと考えるしかない。
ただ、学校に雇用されているわけではないので、このまま自分で面白くないと感じたらいつでもやめる覚悟でやっている。
何が決定的に欠けているかは一目瞭然である。
講師陣、つまり教員側の集団としての意志がまとまっていないことだ。
まるで、現代の公教育の学校現場と同じではないか!
文科省や教育委員会からの上意下達が、学校現場でも校長をトップとした権力構造の中で個々の教員がまとまることなく分断され、
決められたことを行なっている状態だ。
まあ、指導内容は公教育ほどには縛られてはいないが、講師集団としての大きな活動目標が必ずしも共有されてはいない。
講師同士のコミュニケーションが決定的に不足しているためである。
とりあえず運営委員会なるものはあるが、いわゆる職員会議のようなものがない。
今後の運営にあたっての留意点であることは間違いない。
もっとも、生徒もそうであるように、私たち講師も多種多様な思想性であっても良いのだが・・・・。
始まったばかりの「ふなラ~ン」だから、あまり頑なに考えることなく、まずは一年間はやってみるしかない。
<すばる>
通称「ふなラ~ン」と言う。
市教育委員会とも連携しながらのスタートである。
この動きを知った私は早速、講師として応募した。
説明会は一回では収まらないほど多数の応募があったらしく、追加でさらにもう一回説明会を開いたほどだ。
私以外にも、この種の件に関心ある者は多いのだろう・・・。
こういう取り組みは一人の思いつきでは容易に進展しないものだが、
どうやら市内各地で自主的に子どもたちに学習の場を作ってコツコツと取り組んでいた者や、
中小企業の若手実業家等々の熱意もあってのスタートだったように思う。
組織的な基盤は「一般社団法人ふなばしリカレント教育協会」である。
尚、生徒募集の広報パンフレットには上記リカレント教育協会が主催者であり、
共催者として千葉県中小企業同友会、振興条例委員会SIC委員会、船橋市教育委員会と表示してある。
この夜間中学「ふなラ~ン」の目指すコンセプトは「誰でも学べる」「進学・就労のための学び」
「地域で支える拠り所」である。
さらに、私が共感したのは三つの行動指針だ。
① 違いを認めること(否定をしない)
② 関わり合いを持つこと(対話を心がける)
③ 変わること(振り返りをする)
さて、講師となって2か月余り経過したが、率直なところ、私にはしっくりしないことが多々ある。
まあ、スタートしたばかりだから試行錯誤で進むというのは皆さん共通に理解しているようだが、
講師個々人の思いは多様な感じがする。
なにしろ、週一回の開設日には生徒と講師の数が同数か、或いは講師の方の人数が多い程である。
まあ、講師不足で悩むことはないようだが、逆に「生徒さんの取り合い」のような現象さえ見られる。
一応、教科は国語・算数(数学)・英語の三つに分かれているが、実際には生徒の需要に応じて柔軟に対処している感じだ。
私は、国語(にほんご)を担当する講師陣に入っているが、今、携わっているのは中学1年生の数学である。
そして、その前には中学2年生の社会にも携わった。
尚、これは、私がその生徒に、「今日は何の学習をする予定?」と尋ねたら、
「数学と社会を用意してきたからどちらでもイイです」と答えたからだ。
私が最近関わっているこの二人は、いわゆる「不登校」で昨年度は二人ともほとんど登校しなかったと言う。
その代わりに、親は塾に通わせて学年の教科学習を少しでも進めようとしているようだ。
因みに、この家族は比較的遠くから母親のクルマに同乗して末の未就学児と4人でやって来ることが多い。
実は、それまで私はフィリピンからやって来たという女性(日本人男性と結婚)に日本語の平仮名・カタカナを指導していたのだが、
私が一回休んでしまった日から別の講師が担当するようになってしまった。
申し送り事項を書いておいたので、次の講師もスムーズに引き継いで現在に至っているようだが、
私の気持ちとしては、そのまま続けたかったのが本音だ。
講師によっては、はっきりと「私の生徒さん」と言う人もいるくらい生徒の独占化が進んでいる。
これは、現在の所、良くも悪くも個別指導しか行なっていないからである。
講師が多く、学ぶスペースが手狭になっており、私はいつも和室の畳の上で指導しているので膝や腰が痛くなって辛い状態である。
椅子席で好きな教科を自信たっぷりに指導している講師には分かるまい! などと愚痴も言いたくなる。
しかし、結果的には現在私が関わっている不登校の姉と弟との関係も回を重ねるとともに深まっているのを感じる。
この二人、何で学級へ入っていけないか不思議なくらいコミュニケーション能力も高く、学習への意欲も感じる。
もっとも、学校の外で普通の大人とはスムーズに会話ができても、
一旦学校へ入ると教員や同級生と関係性を容易に持てない子どもがいるのは今までにも体験してきたことではある・・・・。
これから先、教科学習も大切だが、それ以上の何かを求めて、むしろ子どもたちに試行錯誤するような契機を作ることができればと思う。
最初に抱いていた夜間中学のイメージとはかなり異なる現状だが、これもスタートしたばかりと考えるしかない。
ただ、学校に雇用されているわけではないので、このまま自分で面白くないと感じたらいつでもやめる覚悟でやっている。
何が決定的に欠けているかは一目瞭然である。
講師陣、つまり教員側の集団としての意志がまとまっていないことだ。
まるで、現代の公教育の学校現場と同じではないか!
文科省や教育委員会からの上意下達が、学校現場でも校長をトップとした権力構造の中で個々の教員がまとまることなく分断され、
決められたことを行なっている状態だ。
まあ、指導内容は公教育ほどには縛られてはいないが、講師集団としての大きな活動目標が必ずしも共有されてはいない。
講師同士のコミュニケーションが決定的に不足しているためである。
とりあえず運営委員会なるものはあるが、いわゆる職員会議のようなものがない。
今後の運営にあたっての留意点であることは間違いない。
もっとも、生徒もそうであるように、私たち講師も多種多様な思想性であっても良いのだが・・・・。
始まったばかりの「ふなラ~ン」だから、あまり頑なに考えることなく、まずは一年間はやってみるしかない。
<すばる>