江戸川教育文化センター

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関東大震災から100年 映画「福田村事件」から思う あれこれ(3)

2023-09-24 | 随想
《虐殺の背景と日本人の個と集団心理》




この映画は香川の薬売りの行商団が村人に虐殺されたと云う事実に基づいて制作された。

虐殺された事実は長らく隠されていて知る人も口を閉ざし、世間に明るみになったのは2013年辻野弥生氏が書いた『福田村事件 関東大震災 知られざる悲劇』の一冊の本だった。
これを映画監督の森達也氏が読んで映画製作した。

ちなみに森監督は東京新聞記者望月衣塑子の活動の密着取材した映画『i-新聞記者ドキュメント』を2019年に公開している。

多くの場面は時代背景を基にして脚本が描かれており、多分そういうこともあったと思う場面もあるし、これはフィクションだろうと思う場面もあった。
問題は何故「日本人が日本人を」虐殺したのかと云うテーマと「善良な筈の国民が何故殺人者」になってしまったのかの時代背景が見えてくる。

日清・日露戦争で「勝利」した日本は、1910年朝鮮半島を事実上「植民地化」した。
土地を奪われ行先の無くなった朝鮮の人々は、当然にも抵抗して闘ったがそれを「暴徒」とみなして弾圧したのが当時の軍部や政治家である。

1919年の3・1独立運動では、200万人以上の人々が「朝鮮独立万歳」とデモ行進し、これを軍部と警察は激しく弾圧して、朝鮮人の死者は数千人に及んだと云う。
これ以降「朝鮮人は危険な人」と云うイメージが流布されていった。

関東大震災が起きた大正末期には、働く場を求めて多くの朝鮮人が東京に来ており、震災時のデマが引き金になって虐殺行為が横行していった。
関東大震災当時はラジオもなく、新聞と人々の伝聞だけが情報源だった。

また日本人の特質として「事実を確かめる」ことより「うわさ」に意識を向けてしまうことがよくある気がする。
関東大震災と云う大災害の国難を「朝鮮人が何かをする」と云うことに転嫁させ、それを巧妙に煽り立て、国民を意図する方向に操作したのが軍部や警察であった。

日本には昔から「村八分」と云う言葉があり、大勢に異を唱えることは容易ではなかった。
今風に言うと「空気を読まない者」「忖度しない者」は、当時は「非国民」扱いされていた。


切迫した状況であっても無くても、他人を意識せずに自分の考えを行動に移すことにためらいを持つ人は少なくない。
いつも「周りはどうなのだろうか」と世間体を気にする日本人は多くいる。

「個人」ではなく「みんな」や「まわり」の側に立つことで、それが自分の居場所を確保する生き方として染みついており、それは自分で「責任を負わない」ことにも繋がっている。

ある対談で森監督は言う。
「人は善良なまま凶悪な行いができる生きもの」である。
また集団心理にも触れている。
「人は一人では生きていけない。常に集団を形成し互いに協力することで生き延びてきた。しかし群れには副作用がある。『同調圧力』起動すると集団の空気に飲み込まれ行動がエスカレートしてしまう」と。
「更に言うと『私』『僕』といった一人称が『われわれ』『国家』という集合代名詞に置き換わると、人はやさしいままで限りなく残虐になれる」と話す。


では福田村の村人の意識はどうだったのだろうか。
映画では在郷軍人が大きな役割を担っている。

「朝鮮人から村を守るため」と村人を煽り立てる在郷軍人はお上に忠実で逆らわない。
戦争で犠牲を生み出した村人の屈折した感情と意識の根底には「朝鮮人=行商団」のイメージがすり込まれ、新助が「朝鮮人なら殺していいのか!」言った言葉がきっかけになって凶器を振り下ろした。
それがトミだった。

(続く)




<デラシネ>

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