今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

山形城・山形美術館(山形県山形市霞城町)

2013年09月24日 | 
山形市には、ある会議に出席するために来たのだが、その会議が始まるまで2・3時間の余裕があったので市内観光をすることに。

宿泊したホテルのロビーには素人目にも価値のありそうな数体のブロンズ像があった。



作者は調べてはいないが立ち止まって見てしまうほどすてきな作品である。



モデルを撮影するよう美し顔だなと思う方向から数枚撮ってみた。

 




憂いのあるこの像が一番気に入っている。




山形城<霞城>(史跡)
山形城は、山形県山形市霞城町にあった城。別名で霞城(かじょう)、霞ヶ城(かすみがじょう)と呼ばれる。  



おおよそ基礎は、最上義光の時代につくられ、鳥居忠政の時代に現在の形に整えられたものである。



現在は、そのほとんどが失われ、二の丸跡が霞城公園として残されている。
建造物では、大手南門が、市内の万松寺山門として移築され現存する。



山形城は、その別名を霞城と呼ばれる。関ヶ原の戦いに関連して、米沢城主直江兼続率いる上杉軍が山形に侵攻し、長谷堂合戦が起こった。
その際、現山形市街地の西にある富神山の麓の菅沢に陣を構えた上杉勢からは霞がかかってその位置を隠したことに由来する。


最上義光公勇戦の像
銅像をとりまく縁石は山形城三の丸をかたどっている。



敵将直江兼継軍を撃退しようと指揮する山形城主最上義光の英姿。
私の好きなパチンコ「CR花の慶次」でも、よく最上軍に敗退するが歴史的背景があるということを改めて学んだ。




城内の石垣だが、積み上げた時代の違いが石垣の色でわかるそうだ。色が濃い方が古い時代のもの。 



城から出るときに電車の音が聞こえてきたのでシャッターを切った。
鉄道写真ブームだそうだができあがってみると面白い。




山形美術館
山形美術館は、当時の山形新聞・山形放送社長服部敬雄が中心となって財団法人を設立し 、1964年8月開館した。



時間の関係で館内には入らず、周辺を散策した。



ホテルの像もよかったが、屋外の像も周囲の風景にとけこんでいてすばらしい。




撮影 平成21年10月24日
コメント (2)
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岩国城(山口県岩国市横山)

2013年07月16日 | 

 
岩国城の歴史
慶長6年(1601)吉川広家がこの地に赴任した。広家赴任と同時に岩国城の築城が開始。
麓に平時の居館となる「土居」と、戦時の城「横山城」が横山山上に築かれた。
築城には8年の歳月が費やされ、まず翌慶長7年(1602年)に土居が完成した。
土居完成とほぼ同時期に横山城の築城が開始され、慶長13年(1608年)に竣工した。本丸には4重6階の唐造りの天守が建造された。
しかし、完成からわずか7年後の元和元年(1615年)に幕府の一国一城令により横山城が破却され廃城となった。


現在、山上と吉香公園のある山麓はロープウェイで結ばれている。



山上までの道脇には石垣や堀の遺構がある。



10分程度歩くと城の天守閣が見えてくる。



1962年、本丸南側に「天守構造図」という絵図を元に鉄筋コンクリート構造によって復興天守が建てられた。
本来の天守台は約30m離れた本丸北側にあったが、麓からの見栄えを重視して建設された。
現在見られる、天守台は平成7年(1995年)に発掘復元されたものである。










城下と城を隔てる錦川には錦帯橋が架けられ、特徴的な景観を作り出している。
城下町はこの錦帯橋の道筋を基準に整然と整備された。







撮影 平成25年5月21日
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松本城(長野県松本市丸の内)

2013年06月22日 | 
松本城の歴史
永正年間(1504-1520年)に、松本平の信濃府中に井川館を構えていた信濃守護家小笠原氏が林城を築城し、その支城の一つとして深志城が築城されたのが始まり。
後に甲斐の武田氏の侵攻を受け小笠原氏は没落、武田氏は林城を破棄して深志城を拠点として松本平を支配下におく。
武田氏滅亡後の天正10年(1582年)、徳川家康の配下となった小笠原貞慶が旧領を回復し、松本城に改名した。

天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐の結果、徳川家の関東移封が行われ当時の松本城主小笠原秀政に代わりに石川数正が入城し、石川数正とその子康長が、天守を始め、城郭・城下町の整備を行う。
現存する天守を築造したのは石川康長で、文禄2~3(1593~4)年頃。別名烏城(からすじょう)とも呼ばれている。


松本城(国宝)









松本城へは2度目になるが前回は午後8時過ぎに到着し駐車場も閉鎖され停めることができなかった。
近くのコンビニで買い物をして事情を話し短時間であればと駐車をさせていただいた。急ぎ足でお堀の周りを歩きライトアップされた城を観た。

今回は城内を見学したかったので善光寺からアクセルに力を込め松本に向かった。
午後3時30分駐車場に到着、閉門時間には比較的余裕があったが、小雨が断続的に降っていてカメラも無防備な状態だったので城内に入ることにした。
城内には見所がたくさんあったが、階段を含め狭い空間が多く、さらに外国人を含めたくさんの観光客がいたため、カメラを構えると周囲の動きを止めてしまい迷惑になってしまうので、残念ながら撮影を控えることにした。
天守4階(写真左側)6階(写真右側)には有事の時、城主の座所となる場所がある。










月見櫓の様子






同じような写真がまた出てきたが駐車場から城までの間では、城の美しさを感じ取ることができる一番好きな場所だ。
もし、次回があればの話であるが、青空の下で撮してみたい城である。



撮影 平成25年5月10日
コメント (2)
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