今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

松高山 大聖寺<亀岡文殊>(山形県東置賜郡高畠町亀岡41)

2024年03月28日 | 神社・仏閣
訪問日 令和5年10月11日

松高山 大聖寺<通称:亀岡文殊>
真言宗智山派の寺院
「亀岡文殊」は、奈良県桜井市の「安倍文殊院」、京都府宮津市の「切戸の文殊」とともに、日本三文殊の一つに数えられる



関ヶ原の戦い後、上杉家は米沢30万石の大名として会津から米沢へ移転した
慶長7年(1602年)上杉家執政「直江兼続」が主催者として亀岡文殊堂で詩歌の会が開催された
直江兼続の漢詩をはじめ前田慶次、大国実頼ら有名な武将の詩歌「亀岡文殊堂奉納詩歌百首(高畠町指定文化財)」が残されている



石中に彫られた石仏



独国和尚
宮城県女川町出身の僧
亀岡文殊で修業を積み、女川町や福島市、いわき市を拠点に布教活動をしていた



この石像は、独国和尚を慕う高畠の人々の寄進






筏舟(がっしゅう)和尚
越後・草水観音寺の住職で、ここから続く十六羅漢は自身の顔に似せ造立したといわれている






十六羅漢①
写真を整理し石像の数を数えてみると17体あった
この十六羅漢①と最後の石像が曖昧になっている



手水舎






緩やかな上り坂の参道が続く
羅漢像はこの参道の左右に点在する



十六羅漢②



十六羅漢③



十六羅漢④



十六羅漢⑤



十六羅漢⑥



十六羅漢⑦



十六羅漢⑧



十六羅漢⑨



松尾芭蕉句碑
「春の夜は 桜に明けて しまひけり」
春の夜に桜を見つめていたら、いつの間にか夜が明けてしまった






鐘楼堂
41,000人余の衆生の浄財喜捨を受け享保15年(1730年)に鐘楼堂と観音堂を「待定法師」が建立
待定法師は、苦行する念仏者として知られている
金づちで手指を打ち砕いて火を灯す「指頭供養」など、肉体的な苦行を重ねたという



享保16年7月17日、この地に47歳で入定した「待定法師」の偉業を伝えるお堂
翌年より命日に法師の冥福を祈り供養のため念仏踊りが奉納されている



鐘楼堂前に羅漢像が集まっている



十六羅漢⑩



十六羅漢⑪



十六羅漢⑫⑬



十六羅漢⑭⑮⑯
足元が悪く正面から撮ることができない



安全な場所から後ろ姿を撮る



鐘楼堂前の参道の向こう側にあったため十六羅漢なのか迷った



大師堂(厄除弘法大師)



観音堂(別名:縁結び観音)
享保15年(1730年)に鐘楼堂と同じく観音堂を「待定法師」が建立






堂内の様子



本尊:阿弥陀如来
脇侍:西国三十三観音



奉納額









一木造りの「邪鬼」






観音堂から鐘楼を眺める



亀岡文殊本堂
本尊の文殊菩薩は、宣化天皇の2年(約1480余年前)、震旦国(中国)五台山より伝来、伊勢国神路山に安置されていた
この文殊菩薩を、大同2年(807年)徳一上人(奈良東大寺住持)が勅命でここに移した



本尊:文殊菩薩
本堂の柱に「御開帳順路→」があり、それに従って進んだ
撮影禁止でその姿は記憶にないが、後に秘仏で12年に一度の御開帳だと知った



狛犬












縁起



駐車場に戻る



目線と同じ高さだと同じ鐘楼堂でも違って見える



こちらは手水舎



高い木に囲まれた参道



大聖寺と書かれていたが、この時は亀岡文殊と結びついていなかった



ここに来て初めて「秘仏御開帳」を知った



撮影 令和5年10月11日

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