中1で〈被害者〉となってしまった長男は現在中3、受験生です。
事故から丸2年、身体の傷は頭部打撲、頚椎捻挫、手足の打撲と擦り傷でしたが、すでに完治しています(=と思います)。
厄介なのは心のキズです。
3歳から乗っていた自転車に、事故後は乗れなくなりました。
親としては、(怖い目にあったのだから仕方ない、無理強いするのは良くない)程度に考えていました。
しかし、中学校までは約4キロある上に、近頃の中学の通学バッグ等の荷物は10キロ前後の重さがあり、悪い事に、都合の良い公営交通機関はありません。
小学校卒業から半年の子供には、過酷な通学でした。
冬場でしたので、朝暗いうちに家を出て、真っ暗になってから家に辿り着く毎日。
朝、『もう、歩けない』と云って、休んだ日もありました。
事故から数か月後に心療内科を訪れました。
事故による“不安恐怖症”と診断されました。
いわゆる〈PTSD〉です。
3か月通院し、自転車通学が再開できるようになりました。
(ヤッターッ!治った)と思い、通院を止めました。
ところがです。
事故から1年後の朝、『きょうは(自転車ではなく)歩いていく』・・・と突然言い出しました。
まさに"青天の霹靂"でした。
理由を聞くと、『事故が起きたのは、去年の(部活の)新人戦の次の日だった』
『きのう新人戦だったので、ちょっと今日は歩いて行きたい・・・』
(なんてことだ!)とガックリきたと同時に、しまい込んでいた加害者への怒りが再燃しました。
“フラッシュバック”と言われる心的現象です。
本人がやっと押さえこんだ、心のキズ。
〈新人戦の翌日〉というキーワード?が、事故を心の中で再体験させ、再び恐怖がこみあげてきたのでしょう。
命の危険に係わるような恐怖体験は、フラッシュバックが起こることが多いそうです。
本人は言いませんが、悪夢としてあの事故をみることもあるのでしょう。
そして何度も何度も、追体験していたのではないでしょうか。
その日以来、本日現在まで、息子は一度も自転車通学をしていません。
『しない』ではなく、『できない』のです。
ですが、医学療法はもうしません。
よくは判りませんが、深い心の傷なんて、一生治る事は無いのかもしれません。
本人が自力で立ち向かい、心の奥底に沈めてしまうしかない。
タチの悪い癌と一緒で、死ぬまで付き合わされるのかも知れない。
幸い、今は事故当時より身体も大きくなり、体力も増し、片道1時間の徒歩通学にも慣れて、もう苦にしていません。
自転車にも乗れるようになりましたが、通学は無論、事故現場には近づきません。
PTSDとはそういうモノでしょうから、今は私も強制はしません。
先のことは分かりません。
少なくとも今の私に言えることは・・・・
息子の、通学道路の端を自転車で学校に向かっていたら、後ろから車に押され、転倒したところをその車にハネ飛ばされるという経験は、12歳の子供の精神にとっては、限界を超えていたということです。
事故から丸2年、身体の傷は頭部打撲、頚椎捻挫、手足の打撲と擦り傷でしたが、すでに完治しています(=と思います)。
厄介なのは心のキズです。
3歳から乗っていた自転車に、事故後は乗れなくなりました。
親としては、(怖い目にあったのだから仕方ない、無理強いするのは良くない)程度に考えていました。
しかし、中学校までは約4キロある上に、近頃の中学の通学バッグ等の荷物は10キロ前後の重さがあり、悪い事に、都合の良い公営交通機関はありません。
小学校卒業から半年の子供には、過酷な通学でした。
冬場でしたので、朝暗いうちに家を出て、真っ暗になってから家に辿り着く毎日。
朝、『もう、歩けない』と云って、休んだ日もありました。
事故から数か月後に心療内科を訪れました。
事故による“不安恐怖症”と診断されました。
いわゆる〈PTSD〉です。
3か月通院し、自転車通学が再開できるようになりました。
(ヤッターッ!治った)と思い、通院を止めました。
ところがです。
事故から1年後の朝、『きょうは(自転車ではなく)歩いていく』・・・と突然言い出しました。
まさに"青天の霹靂"でした。
理由を聞くと、『事故が起きたのは、去年の(部活の)新人戦の次の日だった』
『きのう新人戦だったので、ちょっと今日は歩いて行きたい・・・』
(なんてことだ!)とガックリきたと同時に、しまい込んでいた加害者への怒りが再燃しました。
“フラッシュバック”と言われる心的現象です。
本人がやっと押さえこんだ、心のキズ。
〈新人戦の翌日〉というキーワード?が、事故を心の中で再体験させ、再び恐怖がこみあげてきたのでしょう。
命の危険に係わるような恐怖体験は、フラッシュバックが起こることが多いそうです。
本人は言いませんが、悪夢としてあの事故をみることもあるのでしょう。
そして何度も何度も、追体験していたのではないでしょうか。
その日以来、本日現在まで、息子は一度も自転車通学をしていません。
『しない』ではなく、『できない』のです。
ですが、医学療法はもうしません。
よくは判りませんが、深い心の傷なんて、一生治る事は無いのかもしれません。
本人が自力で立ち向かい、心の奥底に沈めてしまうしかない。
タチの悪い癌と一緒で、死ぬまで付き合わされるのかも知れない。
幸い、今は事故当時より身体も大きくなり、体力も増し、片道1時間の徒歩通学にも慣れて、もう苦にしていません。
自転車にも乗れるようになりましたが、通学は無論、事故現場には近づきません。
PTSDとはそういうモノでしょうから、今は私も強制はしません。
先のことは分かりません。
少なくとも今の私に言えることは・・・・
息子の、通学道路の端を自転車で学校に向かっていたら、後ろから車に押され、転倒したところをその車にハネ飛ばされるという経験は、12歳の子供の精神にとっては、限界を超えていたということです。
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