さんかくしかく

毎日いろいろな形になってしまうぼくのあれこれ。

釣りのルール

2011年10月21日 | 三角記事
今日もあなたと不思議な合作の制作
まわりの人は、どう思っているのかしら
それとも、なんにも気づいていないの
まわりの視線は気になったり、ならなかったり
相手にしてくれないと、相手にしてくれたら、というかんじ

いまはでかけていってしまった
わたしは留守番をする
頭がぼんやりとしている
かぜをひいてしまった

観覧車

2011年10月20日 | 三角記事
天保山のふもとに、観覧車がある
まあ、それがどうとか、そういうわけではないのだけれども
今日はよく晴れていて、観覧車がくっきり映ったということだ

大阪港のほうにあるギャラリーへ向かった
はじめてゆくギャラリーである
ポートタウンへと、線路が沈んでゆくあたりにそのギャラリーはあった
内装はたいそうモダンなのであった

それにしても外国人が多い
みんな駅から海遊館のほうへ歩いてゆく
ちょっとした行列のようになっているのにはびっくりした
いつもはそんなに多くないのにね

家に帰れば絵が待っている
描きかけの
なかなか思うようにはいかないけれどな
今日も23時までねばってみたけどな
描きなおし
明日もねばってみるのだろうか
描きなおしの部分を

ミュージック

2011年10月19日 | 三角記事
インストゥルメンタルだけのアルバムがほしいところ
歯痛はあいかわらず
いや、せいかくには歯が痛いわけではなくて
歯肉だな、そうよぼう
腫れあがった部分がいたいのである
いろいろびんかんになっている

794BDH、という音楽を聴く。これは久石譲の作曲によるものだ
ミニマルミュージック、というのはこれまで退屈なものだろうなーと
考えていたのだが
いい意味で、これを裏切ってくれる音楽だった

さいきんは「すばらしい日々」をヘビーローテーションで流しつづけている
とくに悲しくなる理由もないが
これをきくと、最初からさいごまで、かなしくなる

歯医者へ行く

2011年10月18日 | 三角記事
ついに歯医者へ行く
中学生のときに、歯石をとってもらっていらい
いままで虫歯にならなかったのは、結構なことだとおもう

今回も虫歯ではなくて、親知らずなのだった
傷みにたいしては寛大なわが家の方針で
いちばん行くのを嫌がっていたのはぼくなのだった
だって最寄りの那須歯科の
那須先生は、大王のような風貌をした、オソロシイ印象であったからだ
声もガラガラなのである

しかし痛みに耐えかねたわたしは
フラフラリと自転車をこいでむかった
なすびをあしらった看板のところへ

うららかな午後の陽射しなのであった
わたしの口内奥深いところ以外には悩みなどなしかとおもわれた
閉じても痛い、開けても痛い
という微妙な表情のままなのであった

歯メモ

2011年10月18日 | 三角記事
親知らず(ウィキ)

発生期になったら痛みがなくても、経過観察をしてもらっている歯科医にレントゲンを撮影してもらい、相談する。

歯科医師によっては、親知らずは生えるのが自然であるので、痛みや咀嚼の障害がなければ抜歯等の対策は不要とする意見もある。

親知らずへの対策

しかし、取り立てて不都合のない場合は、しっかりと根の付いた歯を余分に得たことになる。仮に手前の大臼歯を失った時には、その部位の代用歯として移植が可能であり、入れ歯やブリッジの支台としても有効に使える。8020運動などの老後を見据えれば、本来は価値のある歯である。

親知っている

2011年10月17日 | 三角記事
昨日より
痛いのですね

鈍痛というか、もともと歯の生えるべき場所ではなかったわけですから
いやはや、腫れるわたしのほほ

わたしのほかにも、ほほの腫れている人はいませんか
ほほ友だち 略してホホトモになりませんか
などと、意味不明な供述を繰り返しており
目下のところ、依然として、それでもなお

痛い痛い! ということを、親に教えてしまったからな
親知らずのこと、わたしの親は知っている
矛盾するではないか
とお怒りの親知らずさんは、鈍痛を発し続けるのかしら
怒りをお静めください
などと、意味不明な供述を繰り返しており
目下のところ、依然として、それでもなお

いろあせ

2011年10月16日 | 三角記事
熊谷守一はこう言っている

描く前の、白のキャンバスがいちばん美しいのだ と
それでも人はなにかを描かずにはいられないから、ふしぎなものだ

人間は、ただ汚しているだけなのかもしれん

太陽の光は色を持っていく
いろあせる力をもっているのだ
いろあせさせる

白に近づけているのかどうかはわからんけど
なぜ太陽が色をうばってゆくのか、それもよくわからんけど

紹介文

2011年10月15日 | 三角記事
フェイスブックしているのね
それで、友達から、自分の友達と友達になりませんか、という紹介がくるわけだ
ものすごくわかりにくい文章になったけどな

要するに、紹介されるのは、たいていぼくの知らない人ばかり
ときどき知っている人。でもなんだか気後れしてしまって、わざわざ探してオトモダチ登録しなくてもいいかあ、というかんじの人たち

そこで、はたして人は、知らない人物をオトモダチ登録するのであろうか、ということなのだけど

バーチャルからはじまる交流もあるのだな
かつての文通のようなものか
ペンフレンド・ペンパルの世界
パッパッと会話ができてしまうから、格段に今はリアルにちがいない

ワールド・ザ・ワールド

2011年10月14日 | 三角記事
世界体操をみていた

世界陸上、世界水泳、そして世界体操だなあ
予測変換には世界大葬まででていました
たぶんものすごく偉い人が死んでしまったのであろう

世界大会をみるのは、わりとすきだ
ここには、まあだいたい日本人ばかりでしょう
京都へ行けば、外国人もわりと多いのだけれども
中国人や韓国人は、パッと見ではわからないし
黒人もいて白人もいてユダヤ人もいて、という違いが楽しいのだとおもう

そういう差異が、けっこうおもしろい
ということだなあ

それは当然、差別している、ということだ
差別は本来、まったく悪いことではないとおもう
悪いのは、違うからと言って、排除したり、暴力をもちいることだ


しかしまあ
どこかの国の選手で「ボブ・ネコニャンニャン」という名前の人がでてきたら、
たぶんとてもおもしろいだろう
笑ってしまうだろう
笑ってあたりまえだとおもいます。それでいいのだとおもいます。

美男美女たち

2011年10月13日 | 三角記事
マンガとかって、だいたい美男美女なんよな
イボから毛が生えているようなおっさんはどこにかくれているの
十五頭身のきれいな日本人は、どこにいらっしゃるの
ぼくもう、それでいいとおもうけどさあ
それが本当ではないと思うのだけど
いや、ぎゃくに、それが本当なのかもしれないな
ぼくったら、みにくいところしかみていなかったのかしら
そうかもしれないな
じゃないと、あんな、トーマみたいな男の子、描けないものな
あー、トーマはヨーロッパか
あれはたしか、ドイツが舞台の、むかしのおはなし