『誰からも愛される將と共に』 18年間の感謝の気持ちをこめて
特別支援学校 ぴくも
平成5年11月18日縁あって主人と 結婚しました。 平成8年1月10日待望の長男勇に恵まれました。
そして平成9年の大晦日の日に次 男、3150gの將を無事出産 し、新年を迎えられた喜びに浸りきっ ていた平成10年1月6日産婦人科の 主治医に呼ばれ、將が生まれながら に心臓病を患っている事を告げられた のです。 幸せの絶頂から地の底に突き落とされ たショックで一瞬にして母乳も止まっ てしまいました。
目の前が真っ暗になりながらも、なん とか母子ともに退院する事ができまし たが、心臓病から来る負担のせいか、 日増しにミルクも飲まなくなり、3時 間でわずかミルク10CCしかの飲むこ とができない將を抱きながら必死に なって自分を奮い立たせていました。
生後、二週間で、医療セ ンター小児循環器内科での検査結果は 「ファロー四徴症」。 1歳までに2度の手術をしないと、3 歳まで生存ができないと余命宣告をう けました。 しかし、生後6ヶ月で行われた心臓カ テーテル検査結果、主治医の予想に反 して、状態が大変安定しているので手 術は、根治手術1度のみになりまし た。
將が誕生し、治療を受けやすいよう に、、とまだ、2歳の長男を保育園に預 けることになりました。 長男は大人の中で育ったせいか、なか なか保育園に馴染めず、保育園に行く のを嫌がる時もありましたが、
「今日は將の病院に行くので保育 園に行ってほしいねんけど、どうか な・・」
とお願いすると、反発もせず、素直に 頑張って登園してくれました。 長男は、次男に嫉妬する事もなく、む しろ、私達両親よりも將を可愛がり 守ってくれました。 今、思えば、当時3歳の長男なりに、事 の重大さを理解し、私をしっかり支え てくれていたんだな・・と思います。
生後10カ月、手術可能な体重6キロ になり、將は小さな体で8時間に及 ぶ開胸手術に臨みました。
無事手術も終わり、ホッとしたのもつ かの間、、 次の日、ICUで見たものは、意識も 戻らず、自分で呼吸すらできなくて、 尿がでないため、顔がパンパンにむく み、14種類の点滴をふくめ、全身数 え切れないほどの管につながれ、陶器 のように真っ白な將の姿でした。
「限界量に近い強心剤を投与してます が、血圧がなかなかあがりません。今 晩が山です。」
と医師に言われ、茫然と立ち尽くす 私。
「なにがあっても、ここで死なせるわ けにはいかないんです。先生、將を 助けてください。」
と気つけば主治医にすがりついていま した。
ICUでの8日間は、主治医が連日泊ま り込み治療をしてくれ、1日3回の面 会時間を重ねる度に、顔のむくみも取 れ、管のかずも減り、周囲もびっくり するほどの回復力で、將翔は無限に広 がる可能性を全身で証明してくれまし た。 手術後8日目で一般病棟に移り、術後 20日で無事退院。 1歳のお誕生日を家族そろって迎える 事ができました。
ホッとしたのもつかの間、將は1歳 を過ぎてもナンゴを話す事も出来ず、 その上、一人で座る事も、ハイハイす らしようとしないのです。
専門医に診て頂いた結果、將は知的 しょう害と診断が下り、心臓さえ手術 すれば、すべて順調に成長する、と 思っていた私は、家に帰って子供達の 前で泣き崩れてしまいました。 しかし、不安そうな顔で私を見ている 子供達を見ながら、涙をふき
「これから始まる大変な日々も將と 共に楽しく過ごせたら、私も周りにい る皆も共に幸せになることができるか もしれない。 そうだ!將の将来を悲観して悲しむ ではなく、どうせなら、とことん將を楽しもう。 將を、誰からも愛される歌って踊れ る障がい児にすればいいだけやん。」
と無理矢理、開き直りのような言葉を 自分に繰り返し言い聞かせました。
それからの私は、悲しい事や苦しい事 は、皆に聞いてもらって半分に、嬉し い事は沢山の人に報告し幸せな気持ち を何十倍にするようにしました。
そして、座ることも、歩くことも、物 を食べる事も、話す事もできない將に必要な事はなにか、、と考え肢体不自由児施設に出向き直談判して母子通園で訓練を受ける事に なりました。
いざ1歳で、リハビリを始めた当初 は、手のひらと足のひらが極端に過敏 で、立たせようとしても、足のひらが 床にふれるので、猫のように足を引っ 込めてしまい、座らせようとしてもバ ランスをとれないため、そのままの無 防備な状態で床に倒れてました。 しかし、1年後にはハイハイができ、 3歳で歩き始め、4歳を迎えた頃に は、心臓病と信じられないくらい、走 りまわることができるようになりまし た。 苦手な訓練中でも、泣きながらでも、 決してあきらめないで頑張ってる將の姿に、私自身、何度励まされたの かわかりません。
2年間の療育施設での措置が終了し、 地域の保育園へ通いました。 長男も4年間お世話になっていたお陰で、保育士の先生や園児、ご父兄の皆 様に將を理解して頂き、可愛がって もらい、私達にとっては夢のような2 年間を過ごすことができました。
小学校は長男と小学3年生まで地域の 小学校に通学し、4年生からは特別支援学校小学部へ転入。
転入してからの將は、本来の明るさ を取り戻し、たくさんの先生やお友達 に可愛がってもらい、明るく元気いっ ぱい、当初の目標以上の、『誰からも 愛される歌って踊れる、おまけに、元 気満々、おしゃべりな障がい児』に大 成長いたしました。
特別支援学校での9年間の日々を思い 出すと、様々な出来事が走馬灯のよう に駆け巡ります。
將が成長するにつれて発生した数多 くの課題にも先生方が熱心に取り組ん で頂き1つずつ乗り越える事ができま した。 將と向き合い、共に考えて下さる先 生方に私もまだまだ將にしてあげれ る事があるのではないか、、と奮起 し、諦めかけていた課題に取り組むことができました。
將の成長はゆっくりだけど、1つ1つ 成長を発見する度に親馬鹿ながら、毎 回大きな喜びと感動があふれます。 將がいなければ、私は毎日の感謝の 気持ちも人の痛みもわからない自分勝 手な人間のままだったでしょう。
「そう思うと、障害児の親って、悪く ないなぁ、、むしろ、障害児の親にな れてラッキー♪將や勇の親で良 かった!!!」
と今では思えるようになりました。
將は現在高等部3年生です。
残り少ない学生生活になりましたが、 今まで以上に、これからも將との 日々を精一杯楽しみ、周りの方々に も『歌って踊れる、おまけに、元気 満々、おしゃべりな將』を楽しんで 頂けるよう、私もまだまだ頑張って参 ります。
最後になりましたが、今まで私達家族 を大きな愛情で支え見守り携わってく ださった方々、縁あって特別支 援学校で出会い、喜びも悲しみも分かち合ってくださった先生方やご父兄の 皆様、そして、私を中学1年時から暖 かく見守ってくださった恩師に最大限の感謝を致します。
皆様、本当にありがとうございまし た。
そして、これからも末長くよろしくお 願いします。
以上