第八帖 (二二一)
一二三(ひふみ)の食物(たべもの)に病無いと申してあろがな、一二三の食べ方は一二三唱(十七)へながら噛むのざぞ、四十七回噛んでから呑むのざぞ、これが一二三の食べ方頂き方ざぞ。神に供へてから此の一二三の食べ方すれば何んな病でも治るのざぞ、皆の者に広く知らしてやれよ。心の病は一二三唱へる事に依りて治り、肉体の病は四十七回噛む事に依りて治るのざぞ、心も身も分け隔て無いのであるが会得る様に申して聞かしてゐるのざぞ、取り違い致すでないぞ。日本の国は此の方の肉体と申してあろがな、何んな宝もかくしてあるのざぞ、神の御用なら、何時でも、何んなものでも与へるのざぞ、心大きく持ちてどしどしやりて呉れよ。集団(まどい)作るなと申せば、ばらばらでゐるが裏には裏あると申してあろが、心配(こころくば)れよ。十二月七日、ひつくのかみふで。
(感想)
単純な私は、早速明日の朝食から
四十七回噛んでから呑みます、笑
「神に供えてから・・・」に関しては、最近読んでいる「小食」の本にも書いてありました。
(以下、日記より引用です。)
【献食】について。
南北さんは、
・食を減らすこと=【献食】になる
とおっしゃっています。
それはまず
・仏への捧げものであり、
そして
・みずからの来世への捧げものである。
さらに
・みずからの内なる神にも食は捧げ、
・現世を祈れ
と。