番神堂
番神水とは
日蓮聖人御勧請三十番善神縁起より
文永8年(1271年)9月12日、鎌倉幕府は、日蓮聖人を捕らえ片瀬流の口の刑場にて斬首しようとしました。
その時、「江ノ島の方より満月のような光ものが飛び来たって首斬り役人の目がくらみ、畏れおののき倒れ」(日蓮聖人の手紙より)という事態が起こり、
首を刎ねようとした刀匠鈴木弥太郎貞勝公が鍛えた太刀「蛇胴丸」が突如として砕け散りました。
これが「龍ノ口法難」(たつのくちほうなん)と呼び習わされているものです。
難を逃れた日蓮聖人は、佐渡守護代本間重連公の依知の館へ向かう途中、座間地域を通過するに際し、鈴木弥太郎貞勝公は自邸に聖人のご休息を願い教化を仰ぎ、帰依を誓い「円教房」の名を賜ります。
刀匠であった円教房が「此の地の水は刀を鍛えるのに適しておりません。聖人のお力で、よき水を授かりましたなら」と懇願すると、聖人は傍らの石に「法華経」を唱え地を掘り起こしたところ、にわかに清水が湧き出したのです。
その湧き水は「番神水」として尊ばれ、流れは今なお絶える事がありません。
地元の方々は番神様を親しみ崇敬し、今も大切に守っておられます。
番神様とは、三十の神々が毎日交替で降臨し、人々を守っていることを意味し、降りられている神様のこととなります。