古天気学 A

明治時代以前の日本のお天気や地震また天文関係の資料を収集中

明和4年9月30日 茨城県 大地震 「大三箇倭文神宮社記」資料1

2010-11-21 10:08:06 | 地震
「大三箇倭文神宮社記(おおみかしずじんぐうしゃき)」に
明和4年9月30日(西暦1767年10月22日)大地震 数十年覚えの無い地震 この儀度々の地震御座候 と記録がある。

手元の資料を元に確認作業

明和4年9月30日の地震の記録

青森県弘前 巳之刻地震余程強シ
岩手県八戸 今日地震巳ノ中刻壱度、午ノ刻壱度、今夜丑ノ中刻壱度都合三度揺候之間
岩手県北上市鬼柳 潰家1、焼失20軒
福島県耶麻 有感
栃木県日光 有感
新潟県高田 有感

震源地 江戸 規模M=6

手元の資料から確実に「大三箇倭文神宮社記」に書いてある地震が起きたことが確認され、当日、数度地震があり可なり大きな地震であることが分かる。
茨城県で大変貴重な地震資料と思われる。

寛政5年1月地震津波の茨城県大洗での新史料発見か

2010-11-06 14:48:34 | 地震
寛政5年1月地震津波の茨城県大洗での新史料発見か

私は、中学生の頃より、地方の図書館に通い明治以前の日記や年表から天気記録や地震津波や天文関係の資料を収集しデータベースにする趣味がありまた。

数年前に、大洗町史の年表から寛政4年1月7日に大地震と津波が発生したことが書かれていました。これは茨城県では数が少ない貴重な地震津波史料でした。
当時は、この資料を分析することすら出来ませんでした。最近になり、インターネットからこれを分析する機会を得ました。

大洗町史の磯浜誌に、「寛政4年1月7日 大地震 その夕方潮がことごとく沖に引く。」
 
寛政4年の地震を検証。
寛政4年1月7日に関東東北地方に大地震や津波を記録したものがいくら検索しても該当する地震がありません。当時地震や津波が無かったのかそれとも何かの記載ミスか。

次に、年の誤記かと思い寛政年間の地震を調べるた。

寛政5年1月7日昼九つ時(1793年2月17日12時頃)、宮城県と岩手県を中心に東日本一帯の広範囲での地震と津波がの記録を見つける。

磯浜誌の年を寛政5年と修正。
磯浜誌から月日は1月7日とする。
磯浜誌から震度の推定 大地震 震度4 寛政5年宮城県沖地震の関東地方の茨城地方は震度4 一致する。
磯浜誌から潮がことごとく沖に引く  引き波が強かったことを示す  仙台地方の記録より 強い引き波があることが記録されている。 一致する。


結果

寛政5年1月7日昼九つ時(1793年2月17日12時頃)、宮城県と岩手県を中心に東日本一帯の広範囲での地震と津波が該当するのではないかと思われる。


結論

大洗町史の磯浜誌の史料を修正し、寛政5年1月7日 大地震 その夕方潮がことごとく沖に引く。宮城県沖に発生した大地震による津波の茨城県での大変貴重な史料ではないかと思われる。

古天気学 A とは

2010-11-06 14:32:32 | 日記
天気学とは、

 明治時代以前のい時代の文と象のデータを多く集めてデータベース化し、
気象関係では、毎日の天気図作成や地震分布図作成。
天文関係では、日食・月食・星食・流星・隕石・彗星などの資料の検証を目的にしたものを「古天気 A」としました。

当時、中学校の頃誰もやっていないことをしようと考え昔の天気を集め天気図にすろことに大変興味を持ち、地方の図書館で多く本をひろげ、ノートに書き写す作業を土曜日曜に行い多くのデータ収集しました。しかし、限界がありました。最近になって、パソコンを購入しネットで色々な情報を集めることができましたが、気象学や天文学には素人です。
天気の詳しい方・地震に詳しい方・天文に詳しい方・古文書の解読に詳しい方・パソコンに詳しい方の協力を願います。