昨年3月のネットニュースにあったんですが
「寝たきりはイヤ」ドクターG・林寛之医師が実父のためにしたこととは (1/4) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)
少し抜粋しますね
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■そんなに簡単に親の最期を決められるわけがない
高齢者医療を真面目に考えなければいけない、と思ったのは、父の死を経験してからです。父は「寝たきりは絶対にイヤじゃ」と言ってたんですが、誤嚥性肺炎を繰り返して入院し、寝たきりになってしまった。
入院当初はさんざん家に帰りたいと言ってましたが、1カ月もすると何も言わなくなった。目が死んでるんです。
オムツや色々な臭いもして、あの威厳のあったオヤジが、流木のような姿でそこにいる。父親としてそんな姿を息子に見られるのは嫌だろうな、申し訳ないな、と思って。それに、胃ろうや静脈栄養をするような生かし方はしたくない。結局、主治医や在宅をやっている仲間と相談して、家に連れ帰ることにしました。
家でオヤジを、いつもの部屋のいつものベッドに寝かせたら、突然動き始めたんです。グー、グーって。OKサインですよ。どれだけ家に帰りたかったんだか。3カ月も入院させてしまった罪悪感を、ものすごく感じましたね。
家では点滴なし、水分は口を少し湿らせるだけ。最初の2日間は多少意識が戻って、全然喋れないはずなのにお袋と意思疎通した雰囲気があって。3日目から昏睡状態になり、5日目に僕が出張に出掛けようとして声を掛けたら、息をしていなかった。
葬儀屋さんが、ご遺体が軽いですね、って言ったんです。それを聞いた時、ああ、オヤジ、いい死に方をしたな、と思いました。実は干からびて死ぬほうが自然で、つらくないんですよ。
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わたしの父も最期は全部を使いきったというか、枯れたような感じだったので、この先生のお話は興味深いです。
常に眠るようになって、だんだん食が細くなり排尿も少なくなり
そのたび施設の方から、排尿や食事の量について電話があって最期へ向かってるんだと思いました。
だからといって「もう危ないです!」とも言えないでしょうしね
父が亡くなってから人の最期はどうなるのか施設の方に詳しく聞くと、やはり最期の兆候はわかるものだと。
葬儀のあとで死に関する本、看とりの本をたくさん読みました。
おくりびとになりたいくらいに思ったときもありましたね。
遺体を前に病院をでるところから、病院側、葬儀社の方の寄り添い方とかいろいろと思うところもあったりして。
高齢の親が入院すれば最期はどうするか、延命するか胃ろうするか聞かれます。
父はなにもしなくてもいいと言っていたのでそう医師に伝えると、兄はそれは嫌だと、ギリギリまで鼻から栄養おくりたいと…
優しいとも思うけど男はね直接介護しないし、父親とコミュニケーションとってないし、そんなに関わらないからそういうことをいう
義姉は薬剤師なのでわたし寄りの考えをしてくれて(だんだんフェードアウトしてもいいと)
嫁の意見より娘の思いを優先させてくれます
でも兄が納得するまで看護師さんが待ってくれて…。
介護のときにこういうところでも、揉める方も多いでしょうね。
命のある限り延命措置として、やれることはやりたい人もいるでしょう
でも、痛みながら苦しみながらの最期は見てる側もつらいです
延命措置もいずれは止めなくてはならなくて、そのときこそ殺人になる、そんな葛藤を経験した方もいて…。
面会に行くとできるときは、ハンドトリートメントしていましたが亡くなる2日前の手首の冷たさは尋常じゃなかった。
枯れて骨太の父
とても穏やかな顔でした。
親というものは死に方まで見せてくれるんだと、すごいなぁって、なんともいえない気持ちになりました。
明日も今日と同じことがあるとは限らない、あたりまえなんてないんだから
今日を精一杯生きる
それしかないなと思います。
親を亡くしてはじめて死に方を意識しました。
わたし、義両親の最期もちゃんとできると思います。
嫁より息子たちの思いを優先させながら。
でもきっと嫁たちが決断するんだと思います
客観的になるのがいちばんだと思いますしね。
林先生のお話、よかったです。
終活ではないけれど親と意識疎通できるときに、自分のことも親のことも最期のこと家族で話しておいてほしいです。
Hiro