なくもの哲学と歴史ブログ

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パルメニデスの「有」

2024-03-09 12:41:00 | 西洋哲学

【存在の哲学者】

 古代ギリシャの哲学者パルメニデス「BC:520450年」は、富裕な貴族の出身でした。パルメニデスは、クセノファネスの弟子だったとされています。同時代に生きた人物には、ヘラクレイトスがいました。パルメニデスは、エレア派の首領であり、その創始者です。理性によって、感覚による憶測から、真理が開かれるとしました。そのため、合理主義や論理学の祖と言われています。パルメニデスは、形而上学の創始者の一人とされる、非自然主義者でした。彼は、古代ギリシャにおいて、難解な思想家の1人に数えられています。「存在の哲学者」と呼ばれ、独自の存在論を展開しました。私生活においては、静かで模範的な生活を送ったとされています。 

 【有】 

 パルメニデスは、世界には「有」のみがあり、それ以外には何もないとしました。存在「有」とは、有るもので満たされた不生不滅の唯一の全体だとされています。それは、無から生じたものではなく、また無に帰することもありません。そのため、初めも終わりもないものでした。有は、分割が出来ず、一つにつながっています。不可分なひと続きものとして、存在は存在に接し、全体が連続的なものでした。それは、分断されず常にあり続けています。全体的に見れば、世界は、恒常不変で、分散や集合などの生成変化はしません。パルメニデスは、時間は、絶対的なものではなく、それぞれに特定の配置があるだけで、過去も未来も、今現在において同時に存在しているとしました。

【運命】

 全ては、不変の運命「宿命」によって定められています。それぞれのものは、運命によって密接に結びつけられ、強く束縛さていました。また、空間的にも、運命によって限定され、特定の場所に配置されています。有は、外側からは、限定されることがありません。パルメニデスは、有を、それ自身で完結した欠陥のない完全無欠なものだとしました。そのため、その外側からは何も必要としません。有とは、恒常不変の一つだけのものです。パルメニデスは、それを中心からあらゆる方向に等しく、均衡のとれた球体のようなものだとしました。

 【無】 

 パルメニデスは、非存在を否定しました。なぜなら、完全に何もない「無」と言う状態は、かつて在ったことがなく、これからもないからです。そもそも無と言う状態から、何かが起きる原因がありません。また、その状態へ移行することも考えにくいことです。そもそも、もし無があるなら、それは一つの有であり、何もない無いとは言えません。パルメニデスは、無と言う存在しないものだから、その名前は語れないし、また知ることも出来ないはずだとしました。ただし、有の中のそれぞれのものには、名付けられた名称があります。 

 パルメニデスは、思考と有「存在」を同一視しました。それについて思考することが可能なのは、それが存在するからです。また、肉体と精神を同一し、精神的なものを特別視しませんでした。パルメニデスにとっての神は、全体として見聞きし思考する唯一の一者です。この一者が、全体として適切に世界を秩序づけ、全てのものを操っているとしました。


アナクシスマンドロスの「無限なるもの」

2024-03-08 09:44:00 | 西洋哲学

【無限なるもの】

 古代ギリシャのアナクシスマンドロス「紀元前610564年」は、ミレトス派「イオニア学派」の自然哲学者だとされています。自然哲学とは、主に自然について観察し、それについて考察した哲学の一派のことです。アナクシスマンドロスは、最古の哲学者とされるタレスの弟子でした。天文学を始め、天球儀を作り日時計を発明したとされています。アナクシスマンドロスは、万物を観測不可能で、定義することが出来ないものだとし、それを無限なるもの「ト、アペイロン」と名付けました。無限なるものは、あらゆる事物を生み出す根源だとされています。しかし、それ自体は、何からも生み出されたものではありません。そのため、無限なるものは、時間的に不生不滅でした。不生不滅とは「生まれることもなく、消滅することもない」という意味です。無限なるものは、常に動いている永遠の運動だとされます。その運動には、最終的な終わりと、根源的な始源がありませんでした。

【アルケー】

 無限なるものは、必然「運命」と呼ばれる万物に働く唯一の原理によって動かされているとされています。必然とは、ある一定の順序で、出来事が進行する行程のことです。あらゆる生成と消滅は、この必然に従って、起っています。無限なるものは、空間的にも、制約されない無際限のものです。そこから、個々の有限なものが生じる万物の根源「アルケー」だとされています。そのため、万物の種子と呼ばれました。この世のあらゆる事象は、そこから派生したものにすぎません。無限なるものは、特定の形を持たない無定形な原質とされています。

【限定されないもの】

 無限なるものは、自身が、他の何者からも、制限されることがありません。しかし、その働きによって他の全てのものを操っています。それは、特定の元素のようなものではありません。無限なるものは、外側からは、観察することが出来ないとされています。そのため、性質的にこう言うものだとは限定されません。

 「土、水、火、空気」という四元素は、相互に対立した性質を有しており、交互に変化していきます。生成は、要素が質的に変化したものではありません。相対するものが区別され、世界に現れたものです。アナクシスマンドロスは、 時間は、裁判官のようなものだとしました。その定め「指令」に従って、あらゆるものが生成されるからです。


【負い目】

 アナクシスマンドロスは、生成を、永遠の存在「無限なるもの」からの負い目「不正」のようなものだとしました。個々の存在は、全体からすれば一種の罪のようなものです。そのため、死滅による解体によって、無限なるものに立ち帰ることで、贖罪されるべき存在だとしました。ただし、無限なるものは、それ自体は、壊れることがなく、消滅することもないとされています。その他の説では、アナクシスマンドロスは、世界が無数にあるものだとしたり、アトム的な極小なものは、存在しないとしました。



老子の「無為自然」

2024-03-06 12:19:00 | 中国哲学

【道】
 老子は、万物の運動を「道」と表現しました。万物とは、静止している、ただの物の集まりではありません。それは、止まることのない永遠の循環運動です。道とは、無限の創造力を持つエネルギーのようなものです。それが、常に万物を生み出してきました。「道」とは、仮の名称です。人の理解を超えたものなので、それを言葉や文字では、説明することが出来きません。そのため、道は、名付けようのないものです。道を言葉にした途端、何か別のものになってしまいます。

【谷神】
 「道」の働きは、始めも終わりもなく、不生不滅です。それは、無くなることがありません。道は、万物の深底にあり、通常は隠されています。そのため、目で見ることが出来ません。その様子を「玄」と言います。玄とは、奥深く暗いさまです。その働きには、通常は気づきません。しかし、それは常に存在していました。道は、形がなく、ぼんやりとしています。そのため、人間には捉え難いものです。

 道の働きは、消極的なものでありながら、全てに行き渡る作用を及ぼしています。積極的に働きかけないのに、全てを成し遂げました。それは、万物を産み育てる「万物の母」のような存在です。老子は、それを比喩的に「谷神」と呼びました。

【無為自然】
 自然は、自ら意図的に何かを作ろうとはしていません。しかし、その働きは、全てを完成させてしまいます。老子は、それを「無為自然」と呼びました。無為自然とは、他から干渉されず、ただ自然にそうなることです。万物は、道によって無限に生成変化しています。その変化には、始めも終わりもなく、ただ永遠に循環運動を繰り返しているだけです。そこには、完成されるべき目的などありません。自然は、ただ自分の本性に従っているだけです。それは、積極的な働きではありません。

 老子は、この世界には、無為自然の営みがあるだけだとしました。その自然には、人間も含まれます。老子が理想としたのは、無為自然の徳を身につけることです。そのため、人間の作為や意図的な努力には否定的でした。それらが無為自然の道から外れることだからです。

【水】
 老子が、道に最も近いものだとしたのが「水」です。それを「上善は水のごとし」と言います。水は、その働きに無理がありません。ただ地形に従って流れていくだけだからです。それを「方円の器に従う」と言います。また、老子は「柔よく剛を制す」とも言いました。それは、水が、最も柔らかいものでありながら、岩をも砕くことが出来るからです。また、水というものは、低い位置を目指します。老子は、その在り方を処世術にも適用しました。無為自然の徳がある人は、誰もが嫌がる低い地位にあえてつくものです。そのため、上を目指して、他人と争うことがありません。それを「不争の徳」と言います。

【赤子】
 老子が、水以外に、無為自然に近いものだとしたのが「赤子」です。赤子は、ただ自分の欲望に従っているだけです。まだ自我が芽生えておらず、作為などありません。しかし、自分は何もしないのに、周囲の大人たちを動かす力があります。赤子は、柔弱な存在です。それでいて、生命力に満ち溢れています。逆に、固く硬直化した大人は、壊れやすいものです。赤子は、まだ世間の価値観に毒されておらず、善悪などの道徳的な価値観がありません。老子は、それこそ人間が本来あるべき姿だとしました。なぜなら、人間にとって、無垢な状態こそが理想的だからです。



墨子10論について

2024-03-05 19:33:00 | 中国哲学

①【兼愛、けんあい】 

 墨子は、全ての人を公平、無差別に愛する博愛主義者でした。それを「兼愛」といいます。兼愛とは、自他の区別なく、他人を自分自身と同様に愛することです。それに対し、儒家の愛は、家族や年長者などと限定されています。墨子は、これを「別愛」とよび、差別的な愛だとして批判しました。 戦争の原因は、たいてい利益の不公平です。そのため、墨子は、兼愛の精神で、利益を平等に分け合えば、戦争を防ぐことが出来るとしました。

 ②【非攻、ひこう】 

 人間は、富の生産者であり、貴重な労働力です。そのため、墨子は、多くの人命が失われる戦争は、国家全体の利益からすれば、大きな損失となるので批判しました。しかし、相手が攻めてきた場合は、それを防衛する必要があります。 墨子は、侵略戦争は否定しましたが、防衛のための戦争は肯定しました。その墨子の反戦論を「非攻」と言います。

 墨子は、当時、賤しい階層とされた手工業者の出身でした。そのため「冶金」「土木」などの巧みな工学技術を持っていたとされています。「墨者」と呼ばれる築城術に長けた技術者を組織し、主に守城戦で活躍しました。ちなみに「墨」とは、受刑者のことです。墨者は、信仰的な結びつきのある集団だったとされています。 

 ③【尚賢、しょうけん】 

 墨子は、優秀な人材を正当に取り立てようとする能力主義者です。それを「尚賢」といいます。「尚」とは、尊重するという意味です。墨子は、儒家的な世襲的身分制に反対し、人材登用において、家柄ではなく、能力がある者を役職つけるべきだとしました。

 ④【尚同、しょうどう】

 墨子は、能力がある者が考えたルールに、社会全体が従うべきだとしました。それを「尚同」と言います。国家を運営するためには、優れたルールの方が効率的です。また、国民がそのルールを守れば、秩序も安定します。

 ⑤【節用、せつよう】 

 墨子は、奢侈「しゃし」を戒め、節約を主張しました。奢侈とは、贅沢のことです。無駄を省き節約することを「節用」といいます。墨子は、無駄に浪費するより、実用的な分野に投資した方が、国家の利益になるという現実主義的な考え方でした。

 ⑥【節葬、せっそう】

 墨子の節約は、葬儀や祭礼にも及びます。葬儀にかかる費用は、最低限に簡素化すべきだとしました。その費用は、生きている人々に活用すべきだと考えたからです。この点、祭礼を重視する儒家とは対立しました。しかし、墨子は、葬儀を軽視したわけではありません。葬儀の方法を明確に定め、墨者たちに徹底させました。

 ⑦【非楽】

 墨子の節約ぶりは、芸術の分野にも及び、特に音楽は、君主の奢侈だとしました。音楽を否定することを「非楽」といいます。実用的なものを好む墨子にとっては、音楽は無駄なものでした。音楽は、娯楽であって、生産的な労働ではないと考えたからです。この点においても、音楽を重視する儒家とは対立しました。

 ⑧【非命】 

 墨子は、反宿命論者でした。反宿命論のことを「非命」と言います。墨子は、努力して働けば運命は変えられるものだとしました。反宿命論の方が、勤労意欲が促進され、生産力は上がります。それに対して、儒家は、宿命論でした。宿命論とは、全ての物事が決定しているという考え方です。しかし、それには、人々が無気力になってしまうという欠点がありました。

 ⑨【天志】 

 墨子は、全ての物事を決めているのは、天帝「天」と呼ばれる最高神だとしました。天帝は、絶対的な人格神です。その天帝の意志のことを「天志」といいます。天志は、正義であり、それに背けば、災いが起こると考えられました。 

 ⑩【明鬼】 

 墨子は、善行を勧め、悪行を抑制するため、鬼神を想定しました。鬼神の存在を明らかにすることを「明鬼」といいます。鬼神とは、死者が変化したもので、善悪に応じて賞罰を与える倫理の管理者とされています。それに対して、儒家は、分からない存在である鬼神については、語ろうとしませんでした。



内村鑑三の「デンマーク国の話」

2024-03-04 09:52:00 | 日本の思想

【デンマーク】 

 内村鑑三は、明治、大正期に活躍したキリスト者として知られています。彼は、デンマークという小国を賛美しました。デンマークは、現在でも、貧困率が低く、国民幸福度が1位の国として知られています。その面積は、日本の九州大の大きさにすぎません。当時のデンマークの人口は、日本の20分の1でした。しかし、国民一人一人は、日本の10倍もの富を持っていたとされています。デンマークは、天然資源もなく、土地も豊穣ではありませんでした。その主要産業は、酪農と林業で、現在でも酪農大国として知られています。内村鑑三が賞賛したのは、そうした国家ではなく、デンマーク人の精神性でした。

 【敗戦国として】 

 デンマークは、ドイツ、オーストリアに戦争で負けた敗戦国です。その賠償金として、経済的に重要な地域を失いました。そんな時こそ、国民の真価が試される時です。戦勝国の運営は、誰にでも出来きます。しかし、敗戦国の立て直しほど難しいものはありません。どんな国にも暗黒の時代はありました。国が負けても、国民が不幸になるとは限りません。目標がある者には、敗戦など、よい刺激にすぎないからです。戦争に勝っても、内部分裂などによって、滅びた国はいくらでもあります。それは、歴史が証明してきました。 

 現在では、日本も敗戦国です。戦後の日本は、急速に経済復興しました。その要因は、朝鮮戦争と戦前からの産業体制だと言われています。当時の日本には、経済発展を可能にする外的要因と内的条件が揃っていました。そうしたものは、自分たちの力だけでなんとかなるものではありません。いろんな条件が重なり、結果的にそうなりました。ただし、日本人の精神性がなければ、経済復興は成し遂げられなかったとされています。

 【ダルガスの計画】 

 困窮したデンマークを導いた一人の人物がいました。工兵士官だったタルガスです。ダルカスは、敗戦が濃厚だった時から、国土回復の計画を練っていました。その計画とは、デンマークの荒涼とした大地を、肥沃な土地に変えるというものです。ダルカスは、もともとフランス系の人種で、ユグノー党に所属していました。ユグノー党とは、信仰の自由を求めて、外国に脱出したプロテスタントの一派です。プロテスタントには、地上に神の国を実現するという目標がありました。そのため、自分たちの労働は、神から与えられた使命だと考えています。それは、経済を発展させることと何ら矛盾していませんでした。ダルガスは、復讐戦など考えません。戦争は、ただ国を疲弊させるだけだからです。中国の孫子も、戦争は、極力避けるべきだと言っています。ダルガスは、戦争で失ったものを、自国の開発によって、取り返そうとしました。

 【国の改良】 

 ダルガスの武器は「水」と「木」でした。外国産の木を植林しても、その土地に合うかどうかは分かりません。ダルガスは、ノルウェーやアルプス産の樅を植林し、試行錯誤を繰り返しました。植林をすることは、建築用の木材を得ることだけが目的ではありません。樹木のない土地は、熱しやすく冷めやすいものです。樅の林を植林したことで、気候が安定し、穀物や野菜が成育できるような環境になりました。また木には、保水効果があります。それが低地国であったデンマークの洪水の害を防ぎました。確かに、敗戦国デンマークの領土は狭くなったかもしれません。しかし、開発によって新しい国を作りました。それは、戦勝国のように、他国の領土を奪ったものではありません。ただ自国を改造しただけです。ダルガスによって、デンマークには、鉄道や道路などの交通網が敷かれ、経済が発展しました。