安部好巳

山学校を始めよう

西都原考古博物館と古墳群

2012-12-14 | 日記


西都原考古博物館と古墳群をたずねて

はやく投稿しないと毎日アクセスして頂く方々に申し訳ない気持ちでいっぱいなのですが、
画像掲載に自信がありません。この投稿もどうなることやら気持ちだけでも汲んで下さい
国政選挙のなか延岡市議会も三日間18名全員の質疑討論を聞きました。感想は後日に。

さて、先般の投稿で西都市出身の上司のことに触れましたが、10年かけて過去の職場で
指導して頂いた方々へのお礼も宮崎県庁で最終章になります。10月20日の県庁向洋会

で多くの先輩、後輩にも会えましたし、11月6日県議会議員OB会で西都市を訪問する
機会に恵まれました。みなさんご存じの限界集落の映画化された寒川は県内砂防河川で

堰堤が発電所の下流に設置されているのはこの堰堤1か所のみです。前号で書きました
1953(昭和28)年御用納めも返上して測量をやり遂げた県職最後の現場なのです。

この「砂防と共に」を頂くまで上司の手により見守って頂いていたとは知りませんでした
感謝の仕様もありません。3年間の短い期間でしたが仕事が楽しくて、7時に出勤し7個

の火鉢に火おこしして、残業でスルメをかじりかじり設計したものです。加えて課長さん
が本県はもとより全国砂防事業を確立された方で、わが人生のTP(転換点)時にご指導

を得てこんにちがあります。ここに師の遺稿を掲載させて頂き、人の道として、自然を愛
し自然に生かされていることを感じていただければ幸いです。

  砂防のこころ 
砂防は絶対現場を見なければならない。自分の足で川を歩き、山を登らなければならない。
自然に大きな変化を与えてはならない。砂防の仕事は自然の中で、自然に挑み、自然を回

復する仕事をするのであるから、その自然をよく見て、自然と調和が取れた姿は何である
かを考えなければならない。そのためにも自分の足で歩かなければならない。
    社団法人全国治水砂防協会(2000):「砂防のこころ 矢野義男追悼著作選」より

     2012-12-14   安 部 好 巳     
           


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