安部好巳

山学校を始めよう

感謝の旅 最終章 (1)

2012-11-27 | 日記
  2012-11-27
 
   宮崎県土木部砂防課時代に感謝 

 今月6日 県議会OB会に出席しました。故文書さがしもありましたし。五ヶ瀬川畳堤の
 ルーツ探しに前日から宮崎入りしました。2年前に見つけていた資料のなかに昭和18

 年9月20日の大洪水 その復旧にあたられた大先輩技術者を知りました。内務省所管
 で任命されていたのでしょう、私が恒富小学校6年生の時の1コマです。

 このときは、畳堤防に畳を入れて街を守ろうとしたことでしょう。 平成10年発行の
 延岡郷土史年表によると流量7000m3/秒とあります。ちなみに、平成20年発行の

 九州地方整備局の整備計画書によると三輪地点で6500m3/s, 大瀬川河口4400m3/s,五ヶ瀬
 川河口5800m3/sと計画されていますから計測技術に感心させられます。

 OB会は副知事から当面する課題、宮崎牛の復活、地震津波対策、林産物の低迷は心配ない
 と確信しているとかの報告がありました。午後から西都市のJA野菜冷凍乾燥工場、西都原

 古墳、かわのファームを訪れました。西都市は、三納川 三財川 寒川と水量多い川に囲
 まれています。反面災害の多いところです。寒川は限界集落の映画化された地域です。

 12月は年末にほぼ確定する次年度予算獲得に設計作業に追われますが予算枠取のため
 寒川を箇所に組み込むことになり、測量に行きました。年末返上で設計した思い出の川で

 私の県職最後の測量になりました。昭和28年末のことで翌年春に運輸省港湾局小名浜港
 工事事務所に夜間大学目指して転職したのです。

 人の一生は、出会いで決まると云われますが、西都市出身の上司の紹介で道が広がり小倉
 の研究所所長、所長から横浜の局長と紹介して頂き小名浜港第1号埠頭1万トン150mの

 深浅測量、地質調査、波浪観測、など海に関する勉強をしました。翌年大学合格して本省
 港湾局計画課勤務でお茶の水のN大学に通学できました。あとの自分史は後日にして。

 70さいになり、一切の業をやめ感謝の旅を始めました。最後になった砂防課時代の上司
 からとOB会の前日上司の会社を訪問しました。「砂防と共に」の自作誌を頂き砂防で技術

 士(技術屋最高の資格)を取得しておられました。話は自然川のことになりました。ホテル
 に帰り「砂防と共に」を読み上げました。多くの指針を頂くとともにやはりこの人の弟子

 でよかったと感謝しました。寄稿をたのまれましたが私が手掛けた県内砂防ダムを一巡して
 霧島連山調査で宿泊させて頂いた区長さん宅なども訪ねたいものです。

      2012-11-27  安 部 好 巳



 




 

まちづくりは川づくりから

2012-11-26 | まちつくり
2012-11-26
     水郷のべおかを育む

 11月20日 投稿後プリントを見て塩谷崎灯台画像がトップにあり関係ないのに
小名浜港時代の投稿記事の処理ミスでしした。まだまだ未熟です。

いま、海岸線の浸食、砂浜がなくなりつつあることに関心が集まっています。
戦後復興から所得倍増政策で電力供給の発電ダム増設が進められたのですからやむな

しの感はありますが、角栄さんに川が死んでしまう、鮎、鰻のことを話したものです。
川の使命である砂礫を下流に届ける掃流力が阻害されているとおもう。

 3.11の原発事故以来電力不足が危惧されているこんにち、ダム新設の声を耳に
しません、今になって延岡市の長浜海岸や宮崎市の海岸浸食防止に苦慮しています。

今年は日本鰻が絶滅危惧種に指定され、採取禁止になりそうでした。なんとか免れま
したが、海水面、内水面漁協のみなさんと行政機関と胸襟をひらいて協議してほしい
ものです。

60年の年月をかけて分流堤が完成しました。昨年6月1日が五ヶ瀬川工事事務所開
きの日でした。クラスメート4人就任の日でもあります、分流堤の基礎には山に粗朶

切りにゆき、その沈床工が活かされているはずです。市は、記念の催事をすべきでは
と悔やまれます。川に感謝の気持ちがあるのかな、ゴミ最終処分場をつくる気にもな
るのかとおもう。わたしは賛成できない。

つぎに、母校の後輩たちのビオトープ研究に触れてみます。
新聞で校長先生の熱意を感じていました。土木科だけでなく各科がそれぞれ取り組んで

いるようですからうれしくて、前回投稿の県庁向洋会に祝辞を頂きましたし、私も微力
ながら協力したいと思っています。じつは、市が西高跡地利用についてのパブリックコ

メントにコメントしたのが延岡市の模型とビオトープと校舎のバイオセンター化でした
データはできていましたが1年間意見を聞くこともなく支援学校に決定しました。

愛宕山から眺めて構想をねったものですが、その時の別のデザインは実現しています。
小林市須木に流れるプールとして昭和60年にテープカットをした県内1号があります

最近、国交省や各土木事務所で県民と親しむ見学や体験会に力をいれているように見受
けます。砂防河川で実習できるといいですね。

画像はあるのですがプライバシー法で考えさせられます。検討します。

    2012-11-26  安 部 好 巳




自分たちのまちは 自分たちでつくる (3)

2012-11-20 | まちつくり
  2012-11-20
 
  宮崎県立延岡工業高等学校土木科、環境化学システム科生徒の研修に感激

 先月20日宮崎で県庁向洋会50周年記念祝賀会が開かれ出席しました。私は195
 
1年から1953年までの3ヶ年間土木部砂防課に勤務し、宮崎、鹿児島、長野3県に

重点配分される議員立法成立資料作りの測量、設計に従事しました。霧島連山ジオパー

ク認定地域です。旧西岳村に3か月逗留しましたが、東京大、京都大、卒の応援の上司

から川についての貴重な指導を受けました。課長さんが前号投稿の全国砂防協会常務に

なられて角栄さんの事務所があったのです。私の人生ターニングポイントでは全てそう

だんにゆきました。話がそれましたが、祝賀会の前日母校を訪問し、ビオトープ(自然

を生かした子供の遊べる川)やホタルの幼虫やえさの研究を見てきました。


















画像投稿が未熟でごめんなさい。       2012-11-20 安部好巳

自分たちのまちは 自分たちでつくる(2)

2012-11-20 | まちつくり
 2012-11-20

       日中友好共同声明調印から40周年をむかえて

  

  

  前掲写真は、1981(昭和56)年大原一三後援会で目白邸に陳情した時の写真。

  左から故大原一三(元農水大臣)。故田中角栄(元総理)。小生49さい。

  下段は現況写真、ベッドまわりに酸素吸入設備、外来語辞典、スマートフォン、

  血圧、XO2測定器、薬等、本棚には山川海に関するもの、地質図、1980年

  10月撮影された日向延岡新産都市地図作成航空写真、都市計画基本図全葉等

  さて、わが母校県立延岡工業の生徒諸君が第5回「全国いい川づくりワークシ

  ョップ」で「企業と連携」しての護岸水制工事を評価され、準グランプリに

  輝きました。指導して頂いた岡田工業をはじめ国県市、祝子川水系のみなさん

  にお礼を申し上げます。

  トップに田中角栄さんとの出会いから失礼と思いましたが、池のほとりで治水

  の問答をしたことが、今日まで山川海に関する仕事に取り組むことができたと

  感謝を込めて掲載しました。

  昨日は、第2回「五ヶ瀬川かわまちづくり検討会」が、18日は防災フェスタ。

  気象災害の講演聞きたかったな、担当課と広報課、早めにホームページに掲載

  すべきでは。延岡市発信力の低さに講師に恥ずかしくないのかな。

 ながくなるので、第一弾を発信します。