日本のことが欧州に大々的に紹介されたのは、マルコポーロの「東方見聞録」が最初だと思います。また、それには「千夜一夜物語」にも出てくる、インドのダイヤモンドの谷の話も登場します。それが大航海時代をつくったというか、幻のダイヤモンドの谷の国インドや黄金の国ジパングを求めて、西や東に船団を繰り出すきっかけになったのでしょう。世界一周の旅へ、そして新大陸発見。
で、面白そうなので、本を買ってきて、読んでみました。
結構、読み応えがあって、まだ全部は読み終わっていないのですが、日本が出てくるところだけでも、ページ数は多くないのですが、内容にはとてもびっくりしました。
”色白で、慇懃、優雅な偶像教徒が大きな島に住んでいる。莫大な量の黄金があり、君主の宮殿は黄金で敷き詰められている。美しいバラ色の真珠がたくさんとれる・・・”
黄金で覆われた宮殿・・・と聞いただけで、行ってみたくなりますよね(^ ^;
マルコポーロのお父さんはヴェニス市民で貿易をしていて、その父親と兄弟がペルシャにいたときに、金タルタル(モンゴル帝国)の大汗(クビライ・ハン)の使者に出会い、大汗の都まで来るように誘われます。それで、大変な旅をして、大汗の都まで行き、実際にクビライと接見します。すると、クビライは喜び、次にはキリスト教の賢者を都まで連れてきてほしいとマルコの父達に頼みます。クビライのお母さんがキリスト教徒ということでした。結局、賢者を連れて行くことは失敗するのですが、その時にマルコは父に連れられてクビライのいる大汗の宮廷まで行きました。
そこで、聡明なマルコは世界各地の珍しい話や風俗習慣を聞くことが好きなクビライ・ハンに気に入られて、マルコはクビライの使者としてモンゴル周辺各地に出かけたり、中国地方への遠征にも同行します。中国の地方(杭州)の行政長官までしていたとか・・・1292年に父と共にヴェニスに戻ってくるまでの25年あまりのお話。
で~~~、最も驚いたのは、あの黄金の国ジパング島の莫大な財宝について耳にした大汗、皇帝クビライが、ジパング島を征服しようと思い立った、という記載があったことです。
元寇(13c The Mongol invasions of Japan )は、
「黄金の国ジパング島」の噂を聞いたせいだったの???
いろいろな理由もありますでしょうが、クビライの側近として長年寵愛されていたマルコの話だし、信頼できる気がします。
また、日本の何をもって、黄金の国ジパングということになったのか、これもちょっと不思議ですが、日本では中尊寺の金色堂のことだということにはなっていますよね。だいたい、遣隋使、遣唐使などは砂金を持って、隋や唐に渡っていますしね。日本には金がたくさんあると、中国人には思われていたのかもしれません。
まぁ、ちょっと種明かしをすると、「2ちゃんねる」の膨大な書き込み群の中に、あの「黄金の国ジパング」というのは、当時の中国人の日本に対する思いなんだよ、っていうのを見つけたからで、ちょっとだけでも「東方見聞録」のことにも触れてたこともある。
本当、いろいろ面白くって・・・(^ ^)
それに、金を薄く薄く紙のようにまで延ばして、金箔細工をするのって、日本が世界初なわけ???
でないと、外国人が驚くわけないものね。