テンプレートを変えたら文字がちっちゃくなりました。
文字サイズ「中」のほうが読みやすいようです。
先週・先々週とオニのように忙しかったので、
今日は年休を取って、ウチでのんびり・・・・するつもりだったんだけど、
結局たまった洗濯を済ませたり、部屋を片付けたりと、
意外と、ボーっとするのって難しい~
さて、先週の土曜日に観てきたお芝居の報告なぞ。
今回見てきたのは「僕たちの好きだった革命」。
ダンナの好きな鴻上尚史さん演出の舞台です。
30年前に学生運動中、意識を失った高校生が目覚めて、
ちょっとだけ昔(1999年)に復学するところから始まるお話。
「自由な文化祭」をめざして戦う高校生たちが主役ということもあって、
舞台が始まる前から、劇場全体がまるで文化祭を準備している学校のような雰囲気。
シアターアプルに入ると、入り口にいきなり機動隊のコスプレをしてる人がいたり、
ロビーでセーラー服姿の片瀬那奈ちゃんと学ラン姿の陰山泰さんと鴻上さんが、
フォークを歌っていたり。
(陰山さん・・学ラン姿がステキー)
客席に入れば、舞台は幕が開いた状態(まだ始まってないのに)で、
自由に出演者が制服姿でおしゃべりをしたり、呼び込みをしたり。
客席からビデオ撮影してる人がいるなーと思ったら、中村雅俊さんだったり。
「まつりの前」の、いちばん楽しい瞬間。
そして舞台が始まる。
主役の「山崎」が口にする数々のアナクロな発言と、
それにたいする高校生たちのギャップがリズミカルに展開される。
そうかぁ、イマの世代は「シュプレヒコール!」って知らないんだよねぇ。
ガリ版を切ったこともないんだよねぇ。
当然「アジビラ」も知らないんだよねぇ。
って、私も「シュプレヒコール」と「アジビラ」は、
社会人になって労働組合で知ったんだけどね。
私は「学生運動」がリアルな世代ではなくて、
かといって90年代の高校生ほどイマの世代でもなくて、
鴻上さんいわく「どちらにもクスッと笑っちゃう」世代。
でも、そんなギャップを超えて、仲間たちがひとつになり始める。
いつの時代でも、若者が(って書くのもイヤなんだが)
自由を押さえつけようとする圧力と戦おうとする思いは変わらない。
人によってそれは文化祭の出し物であり、
理不尽な校則であり、目的の見えない受験勉強かもしれない。
それは、「いま」感じないと、「いま」見ないと、
「いま」聞かないと、「いま」勝ち取らないと、
全身全霊で受け止められないから。
この感性が、年齢とともに消えてしまうことを、
若者は本能的に知っているからなのだろうか。
そのときの行動を悔いて、いまは生徒を抑圧する側に回った教師。
学生運動の中で心がこわれてしまった母親。
一緒に戦い始めた息子に「今度は負けるな」とヘルメットを渡した父親。
そして30年間封印された想いをとげるため、最後まで戦った山崎。
戦いの途中で、仲間が理科室の劇薬を使って戦おうとしたときに、
「だめだ、俺たちは正しく戦って、正しく負けるんだ」といった台詞に泣けました。
勝てないことはわかっている。でも、戦う。
そういう時代が、そういう人たちがいたこと、
それは、確かに残り続けている。
その時代に戦ってきた世代の皆さんが客席に多く、
山崎が途中で「私たちの望むものは」(岡林信康)を歌い出すと
一緒に歌い出す方も多かったですね。
つい重たい感想を書いてしまいましたが、
ちりばめられたギャグも捨てがたかったのよー。
(他の方もブログにたくさん書いてたので、そちらをご参照くださいませ)
文化祭に「加藤鷹さんを呼ぶぞー!」と戦ってる奴もいましたが、
R18は呼んじゃまずいだろー
っていうか、このネタを聞いたとき、
ダンナより先に爆笑した自分はどうよ
劇中に、「こんにちは。加藤鷹です。」
という、音声だけが聞こえるシーンがあったのおぼえていますか?文化祭を強行している場面です。
あの声だけは、加藤鷹さんご本人だそうです。『鴻上尚史の生きのびるために笑う ポッドキャスト3月29日号』で鴻上さんが言っていました。
加藤鷹は偉大だー