久しぶりに KOKAMI@network を観劇。
移住してきた宇宙人と、
それを受け入れられず排除しようとする地球人。
ネット上に乱れ飛ぶ情報に翻弄される人々。
ひとは、なぜ差別せずにはいられないのか。
だれかを自分よりも見下すことでしか、
自分を保ち、守ることはできないのか。
ネットという環境のおかげで、異なる価値観、
異なる生き方を知る機会が増えた。
それはとりもなおさず「わかりあえない」人たちとの
出会いを増やすことになり
新たな差別を生むことになった。
「わかりあえないんだ」ということをわかりあうほうが
わかりあえないことを憎み合うより
はるかにましなんじゃないか、と
鴻上さんの「ごあいさつ」は締めくくられていた。
ところで、上演前に読んだ「ごあいさつ」にあった
「電車で狭い隙間に割り込んでくるときに
周りの人を人間扱いしない人たち」を見て
「この人は、職場や学校で人間扱いされていないんだ」と思うという
フレーズに心が痛みました。
そうだ、自分がされているから、
自分以外の人にしてしまうんだ。
自分が「痛い」と思ったことは、
他の人も「痛い」と思うはず。
でも、何度も何度も傷つけられると
もう心の痛みがかさぶたのように積み重なって
「自分がやられているから、自分もやっていいんだ」
そんな風になってしまうのか。
できるだけ自分は、傷ついても傷ついても
痛いときに「痛い」と思う感覚を失いたくないと
思い続けているけれど、
他の人も「痛い」んだ、というところまで
想像できているんだろうか。
いろんな思いに気づかされる舞台でした。
ストレスのはけ口にしてるのかな?
私も「痛み」の感じられる人間であるよう頑張ります。
いろいろイヤなことが多いけど
「やられたらやり返す」からは何も生まれないからね~