3104丁目の哀愁と感傷の記録

日々生きてます。自分なりに。感じた事を徒然に書きます。素直に。そんな人間の記録。
since 2008.4.4

天文学的数字

2008-08-04 02:00:59 | 徒然
今日はサークルの同期と飲んだ。

本当は8月中に一回集まろうという案があったのだが、
俺が8月丸々いないので、
急遽日曜日の今日ということになったのだ。

集まりは悪かった。

12人いるのだけど、6人。

こりゃ俺の人としての魅力がそのまま現れたんですかね??
イギリス行く前にぜひ懐かしい顔を見ておきたかったのだが。

しかし、幹事を勤めてくれた(計画を練ってくれた)Tさん、
そして今日集まった人、激励の言葉ありがとうございました。

たかだか1ヶ月といえど、
このようにいってもらえると、やはり素直にうれしいものである。

今日は俺の為の会なんかでは決して無いけど、
来てくれた人は俺を主賓って呼んでた。

本当にありがとう。
行ってきます。土産期待しとけ。



タイトルは最近思ってる事。

俺の人生は全て(人はみなそうだが)限りなく奇跡的に形作られているという事。

サークルに高校の同級生がいる。
高2の時同じクラスだったのだが、
特によく喋るわけでもなく、
てか因みに俺の高2時代はヤンキーファッション時代だったので、
なんなんだコイツはって向こうは思ってたらしいが、
俺の目つきの悪さと雰囲気で仲がよいとは言えなかった。

しかし、奇跡的に偶然同じ大学に入り(偶然にも両方1浪)
偶然にも同じサークルに勧誘され、
いま7年の時間が経った今、そいつと同じ席で酒を飲んでるわけだ。

奴はいった。

『お前と、こんな風に酒の飲むようになるとは思ってなかった』

全く同感である。
俺の台詞だよ。

人はそれぞれの時間がある。
その中で色々な選択をしてくる。

その確立を数値にしたら、
俺とやつとの関係は限りなく奇跡に近い。
奇跡って呼ぶのもあれだけどな。

同じ空間で生活をしている友人、彼女、
極端に言えば俺が生まれた事だってそうだ。

なんだかRADWIMPSのようだが、
本当に限りなく存在する選択肢の中から、
限りない天文学的数値の偶然で、
であったり、出会わなかったりしているのだ。

コレを奇跡と呼ぶのか、
偶然と呼ぶのか、
運命と呼ぶのか。

そんな事はどうでもいい。

そんな事は自分で決めればいい。

ただ、俺はその奇跡的な運命のような偶然を、
経験して俺の人生があるのだから、
大事にしていこうと思う。

だって、

もし手放しちゃったら、
絶対にもう二度と手に入らないものばかりだ。

俺がそれを手に入れたのは、
天文学的数値の低確率の中なのだから。



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