カンボジア旅行の2日目の昼休み。
昼休みだけで独立させて書こうと思う。
たった2時間ほどの昼休みであったが、俺にとってこの2時間はカルチャーショックがあまりに大きく、
本当に考えさせられた。この時間が俺にとってあまりに大きいからだ。
本当に今回の旅行は、何かを見て感動したこと以上に多くのことを考えさせられた。
ここまで勉強になったな、と感じた旅は初めてかもしれない。
生きる力って一体何なんだろう?
日本では生きる力を育むって言われてるけど。
カンボジアで見た子どもたち、特にこの時間に見た子どもたちは生きる力に満ち溢れていた。
幸せかどうかなんて本人しかわからないし、生活水準も全く違う日本人が勝手に判断していいものじゃないだろうけど。
とにかく必死で生きていた。
一生懸命生きていた。
生きることに絶望している感じも、生きることを放棄している感じも全くなかった。
その環境にならなければわからないことなんだろうけど、とにかく生きよう、生活しようとする意思は強く感じられた。
まあ、日本人の勝手な判断基準だけどね。
幸せが飽和状態で、かつ飽食の日本人が第3者的に見ているって事実は十分ご承知。
では昼休みにどこに行ったのかを以下に記す。
午前中の遺跡巡りが終わり、周りのメンツは慣れない猛暑に疲れ切っていた。
体力が有り余っている俺は昼休みが3時間もあり、この時間はどこに行こうかと考えていた。
そんな中、オプションで、近くのトンレサップ湖に行くツアーがあるとのこと聞いた。
もう即決。行くに決まっている。
トンレサップ湖は前から知っていた。テレビで見たこともあったし。
ガイドブックを見て、シェムリアップから近いことを知り、行ってみたいなと思っていたところだったので、キター、って感じだ。
トンレサップ湖は東南アジア最大の湖。
琵琶湖の25倍だからね。見た目は湖ではなく、もはや海だよ。
シェムリアップからトンレサップ湖までは車で30分程度。
湖に近づくにつれ、街並みがどんどん変わってくる。
道路もすぐに舗装されていないものに変わった。
シェムリアップの街並みは観光客向けの街並みなんだろうな。
車を5分ほど進めただけで間にの様子は一変した。
ただ、これがカンボジアの原風景なんだろう。
中国で見た胡同のような感じ。素朴で質素な高床式住居が並ぶ。
トンレサップ湖に到着し、クルーズ船に乗り込む。
湖は濁っており、決してきれいだとは言い難い。
ガイドはこの水を飲んだら、日本人ならほぼ100パーセント腹を壊すといっていた。
まあ、現地の人はこの水で生活しているんだから、人間の体っていうものは順応するものなんだなと実感。
エンジンの音がけたたましい船は進む。しばらくはトンレサップ川。
湖までの川の両脇には、現地の生活をそのまんま見ることができた。
その合間を縫うようにマングローブが生い茂っている。
家屋は水の上に浮かんでいる。そう水上家屋である。
生活がすべて水の上で行われる暮らしというのは一体どんなものなのだろうか…トイレはきっと川に垂れ流しなんだろうな…
洗濯物など生活感丸出しで、中も丸見えである。プライベートもあったもんじゃない。
子供たちは元気に全裸で水に飛び込んだりしていた。
驚くべくは、結婚式場や学校までもが浮かんで着ることである。
ガイドの話によると、小学校も水に浮かんでいるため、時期によって場所が変わってしまうため、たどり着けないじょともあるとのことである。
そして俺がこの旅で一番衝撃を受けた光景が、ここトンレサップ湖に暮らす子供たちの通学手段である。
子ども一人がようやく入れるタライと木の棒で通学しているのだ。
あの琵琶湖の何十倍はあろうかという湖を。
あの光景を見たときは心底驚いた。
ひっくり返ったりしないのだろうか。当然底も深い広大な湖である。
泳げなかったら死は確実である。
あの湖の大きさに対して、子どもたちが乗っているタライがあまりにも小さすぎる。
あの光景には生きる力を感じざるを得なかった。
日本では考えられ無すぎて笑えた。絶対に死人が出まくるだろうな。
アレで毎日学校通っていたら、そりゃ根性つくわ。
子どもの生きる力を感じられるのはタライ通学だけではない。
子どもは生まれて、物心ついたときには必死に働く即戦力なのだ。
俺が乗っているボートに何層もの船が群がって並走する。
まだ小学校にも通っていないような小さな子が、太い蛇を体に巻きつけ、
“ワンダラー、ワンダラー”とひたすら大声で叫んでいる。
彼らは立派に生きるために、生計を立てるために働いているのだ。
カンボジアの小学校は夏休みや冬休みはないらしい。
何も考えていないツアーの同行者は“かわいそ~”とかぬかしていたが、全然かわいそうじゃないだろ。
というか絶対学校行きたいだろ。普通に考えて。
だって家にいても、生きるために本当に幼いころから毎日必死に働かされるんだから。
学校行って勉強したいだろ。
休みたい、学校に行きたくないなんてのは日本のぶったるんだ基準であって、ここでそんな考えは考えられないと思った。
日本にもいろいろな問題はあるんだろうけど、彼らを見るとやっぱり少しおかしい思う。
まあ、彼らは自分で働かないと、教科書も買えないそうだ。
学校に行きたいとか、そういう次元ではなくて行きたくても行けない子どもが一体どれほどいるんだろう。
学校で普通に勉強ができるという状況が彼らにとってどれほど幸せな状態なのか。
小さい子がニシキヘビのようなでかい蛇を体に巻きつけ、写真を撮らせようとする。
撮ったら当然、“ワンダラー、ワンダラー…”
どんどん近づいてくる。俺らとは生きる世界が違いすぎる。
俺らの船には来なかったが、並走して違う船に平気で飛び乗ってくる奴もいた。
必死に生きてるんだな~
俺が乗った船にも小学生と思われる少年が一人乗り込んできた。
何も言わずに客の背後に回り、肩たたきを始める。
当然サービス、好意でやっているのではない。お金を稼ぐためにやっているのだ。
客はそれを理解して彼らに接しなければ逆に失礼だと感じた。
この時間で俺の中の経験値がすごく上がったような気がする。
それは全体を通じても言えることだけど、このカンボジア旅行を通じて、自分の経験値は大きく上がった気がする。
所詮はツアーだし、個人でバックパック一つで地方を回った!なんて人に比べたら微々たるものかもしれないけど、
ツアーで回った分だけ、多くのものを見れたし、多くのことを考えさせられた。
何よりガイドの方が本当にいろいろなことを教えてくれた。
そんなことは人それぞれの感じ方だと思うが、俺はやたらとこの旅行でいろいろ感じて、考えた。
そのきっかけとなったのがこのトンレサップ湖だった。
彼らはみな必死に生きていた。俺にはそう見えた。
名前を聞いたことあるし、時間あるから行ってみたい~!というノリで行ったこの湖でこんなに多くのことを目の当たりにするとは思わなかった。
本当にいい経験になったって話。
昼休みだけで独立させて書こうと思う。
たった2時間ほどの昼休みであったが、俺にとってこの2時間はカルチャーショックがあまりに大きく、
本当に考えさせられた。この時間が俺にとってあまりに大きいからだ。
本当に今回の旅行は、何かを見て感動したこと以上に多くのことを考えさせられた。
ここまで勉強になったな、と感じた旅は初めてかもしれない。
生きる力って一体何なんだろう?
日本では生きる力を育むって言われてるけど。
カンボジアで見た子どもたち、特にこの時間に見た子どもたちは生きる力に満ち溢れていた。
幸せかどうかなんて本人しかわからないし、生活水準も全く違う日本人が勝手に判断していいものじゃないだろうけど。
とにかく必死で生きていた。
一生懸命生きていた。
生きることに絶望している感じも、生きることを放棄している感じも全くなかった。
その環境にならなければわからないことなんだろうけど、とにかく生きよう、生活しようとする意思は強く感じられた。
まあ、日本人の勝手な判断基準だけどね。
幸せが飽和状態で、かつ飽食の日本人が第3者的に見ているって事実は十分ご承知。
では昼休みにどこに行ったのかを以下に記す。
午前中の遺跡巡りが終わり、周りのメンツは慣れない猛暑に疲れ切っていた。
体力が有り余っている俺は昼休みが3時間もあり、この時間はどこに行こうかと考えていた。
そんな中、オプションで、近くのトンレサップ湖に行くツアーがあるとのこと聞いた。
もう即決。行くに決まっている。
トンレサップ湖は前から知っていた。テレビで見たこともあったし。
ガイドブックを見て、シェムリアップから近いことを知り、行ってみたいなと思っていたところだったので、キター、って感じだ。
トンレサップ湖は東南アジア最大の湖。
琵琶湖の25倍だからね。見た目は湖ではなく、もはや海だよ。
シェムリアップからトンレサップ湖までは車で30分程度。
湖に近づくにつれ、街並みがどんどん変わってくる。
道路もすぐに舗装されていないものに変わった。
シェムリアップの街並みは観光客向けの街並みなんだろうな。
車を5分ほど進めただけで間にの様子は一変した。
ただ、これがカンボジアの原風景なんだろう。
中国で見た胡同のような感じ。素朴で質素な高床式住居が並ぶ。
トンレサップ湖に到着し、クルーズ船に乗り込む。
湖は濁っており、決してきれいだとは言い難い。
ガイドはこの水を飲んだら、日本人ならほぼ100パーセント腹を壊すといっていた。
まあ、現地の人はこの水で生活しているんだから、人間の体っていうものは順応するものなんだなと実感。
エンジンの音がけたたましい船は進む。しばらくはトンレサップ川。
湖までの川の両脇には、現地の生活をそのまんま見ることができた。
その合間を縫うようにマングローブが生い茂っている。
家屋は水の上に浮かんでいる。そう水上家屋である。
生活がすべて水の上で行われる暮らしというのは一体どんなものなのだろうか…トイレはきっと川に垂れ流しなんだろうな…
洗濯物など生活感丸出しで、中も丸見えである。プライベートもあったもんじゃない。
子供たちは元気に全裸で水に飛び込んだりしていた。
驚くべくは、結婚式場や学校までもが浮かんで着ることである。
ガイドの話によると、小学校も水に浮かんでいるため、時期によって場所が変わってしまうため、たどり着けないじょともあるとのことである。
そして俺がこの旅で一番衝撃を受けた光景が、ここトンレサップ湖に暮らす子供たちの通学手段である。
子ども一人がようやく入れるタライと木の棒で通学しているのだ。
あの琵琶湖の何十倍はあろうかという湖を。
あの光景を見たときは心底驚いた。
ひっくり返ったりしないのだろうか。当然底も深い広大な湖である。
泳げなかったら死は確実である。
あの湖の大きさに対して、子どもたちが乗っているタライがあまりにも小さすぎる。
あの光景には生きる力を感じざるを得なかった。
日本では考えられ無すぎて笑えた。絶対に死人が出まくるだろうな。
アレで毎日学校通っていたら、そりゃ根性つくわ。
子どもの生きる力を感じられるのはタライ通学だけではない。
子どもは生まれて、物心ついたときには必死に働く即戦力なのだ。
俺が乗っているボートに何層もの船が群がって並走する。
まだ小学校にも通っていないような小さな子が、太い蛇を体に巻きつけ、
“ワンダラー、ワンダラー”とひたすら大声で叫んでいる。
彼らは立派に生きるために、生計を立てるために働いているのだ。
カンボジアの小学校は夏休みや冬休みはないらしい。
何も考えていないツアーの同行者は“かわいそ~”とかぬかしていたが、全然かわいそうじゃないだろ。
というか絶対学校行きたいだろ。普通に考えて。
だって家にいても、生きるために本当に幼いころから毎日必死に働かされるんだから。
学校行って勉強したいだろ。
休みたい、学校に行きたくないなんてのは日本のぶったるんだ基準であって、ここでそんな考えは考えられないと思った。
日本にもいろいろな問題はあるんだろうけど、彼らを見るとやっぱり少しおかしい思う。
まあ、彼らは自分で働かないと、教科書も買えないそうだ。
学校に行きたいとか、そういう次元ではなくて行きたくても行けない子どもが一体どれほどいるんだろう。
学校で普通に勉強ができるという状況が彼らにとってどれほど幸せな状態なのか。
小さい子がニシキヘビのようなでかい蛇を体に巻きつけ、写真を撮らせようとする。
撮ったら当然、“ワンダラー、ワンダラー…”
どんどん近づいてくる。俺らとは生きる世界が違いすぎる。
俺らの船には来なかったが、並走して違う船に平気で飛び乗ってくる奴もいた。
必死に生きてるんだな~
俺が乗った船にも小学生と思われる少年が一人乗り込んできた。
何も言わずに客の背後に回り、肩たたきを始める。
当然サービス、好意でやっているのではない。お金を稼ぐためにやっているのだ。
客はそれを理解して彼らに接しなければ逆に失礼だと感じた。
この時間で俺の中の経験値がすごく上がったような気がする。
それは全体を通じても言えることだけど、このカンボジア旅行を通じて、自分の経験値は大きく上がった気がする。
所詮はツアーだし、個人でバックパック一つで地方を回った!なんて人に比べたら微々たるものかもしれないけど、
ツアーで回った分だけ、多くのものを見れたし、多くのことを考えさせられた。
何よりガイドの方が本当にいろいろなことを教えてくれた。
そんなことは人それぞれの感じ方だと思うが、俺はやたらとこの旅行でいろいろ感じて、考えた。
そのきっかけとなったのがこのトンレサップ湖だった。
彼らはみな必死に生きていた。俺にはそう見えた。
名前を聞いたことあるし、時間あるから行ってみたい~!というノリで行ったこの湖でこんなに多くのことを目の当たりにするとは思わなかった。
本当にいい経験になったって話。