3104丁目の哀愁と感傷の記録

日々生きてます。自分なりに。感じた事を徒然に書きます。素直に。そんな人間の記録。
since 2008.4.4

Prague in Czech

2009-03-26 19:10:39 | 


ここはドコでしょう。

正解はCzechのPrague
読めない人が多いだろうな。



プラハは浮浪者が一杯いました。
要するに物乞いが一杯いました。

ご存知の通り、
プラハはついこの間まで共産主義国家。

世界史を知らぬものでも、
いわゆる“プラハの春”位はきいたことあるだろう。

簡単に言うと民主化運動が起こった。
その自由化を推し進めた代表人物が
ドプチェクというなんとも凄い名前の人物。

しかし、単純に考えて、
共産主義国家からしたら、その思想は危険なわけで、
当時の共産主義代表が介入。

誰かというと、もちろん、ソ連。

俺が今回訪れたベルリンの、旧東ドイツ。
当時はバリバリの共産主義国家で、
このときはソ連と一緒にチェコに進入した。

時は少し溯って、
1961年、ドイツでは、
ドイツ連邦共和国、通称西ドイツと
ソ連占領下のドイツ民主共和国、通称東ドイツ。

東ドイツでは反ソ暴動がおき、
西ドイツに逃亡を企てるものが多く現れた。

そこでその逃亡を遮断するため、
ベルリンに大きな大きな壁が造られた。
かの有名なベルリンの壁だ。



意外に薄いんだなというのが第一印象。
もちろん、当時はもっとイカツイものが建っていた。

ベルリンの壁が崩壊したのは、
1989年11月9日。
日本ではエックスが流行っていた時だ。
スターリンも流行っていた時だ。

東西ドイツは統一し、
現在のドイツ連邦共和国となる。

その頃チェコでもビロード革命という民主化革命が起こり、
共産主義国家としてのチェコは崩壊した。

聞いた話によると、
共産主義時代の、
民衆が職を持っている割合は、何と100パーセント。
もちろん、形式上はというところだろうが、
一人につき必ず一つ職があったそうだ。



彼らは雪が降りしきる氷点下のプラハの町に、
土下座のようなカッコをしながら、
何時までも座っていた。
何時までも。

多分、今も座っているんだろう。


よく見かけたのが、
彼らはよく犬を連れている。
自分のお金さえないのに、
なぜ犬なんかを連れて歩いているのだろうか。
コレには理由がある。

自分で調べてみた。
なるほどと納得した。










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