震災から6年
私の定年と時を同じくする東日本大震災から6年。
http://www.asahi.com/shinsai_fukkou/
卒業生から教わったmixiでブログを書いていた。
当日のブログには次のように書かれている。何を書いたか忘れている。自分の記憶も風化している。ダメだ!東北大震災を忘れるな!死者、不明者、そして今でも苦しんでいる人がたくさんいることを。
2011年03月11日22:54
みんな怖かったと思う。
想像を絶する状態。
私は歩いていて気持ち悪くなりくらっとした。
その時誰かが地震だ逃げろと叫んだ!
血圧が高いのではなく地震の揺れだったのだ。
止まっている車がガタガタ大揺れしている。
校舎はギシギシ音がして倒壊寸前!
今日は本当にヤバイと思った。
ヤットの思いで家に帰ってきた。
反対車線は混雑の兆候。
何しろ連絡手段がないから迎えに行くこともままならない。
ナイターテニスどころではない。
道路情報を見たら前線真っ赤。
大渋滞だ。予想を超えている。
津波の怖さを改めて知った。甘く見ていた人が多いはずだ。
都内では帰宅困難者が溢れている。
避難所が解放されていてももがくだけだ。
明日は講習会だ。
その企画書の手直しをしなくてはいけない。
何か揺れがあるようで怖い。
がたっと言う音がすると構えてしまう。
家族の顔を見て安心した。
テレビは臨時ニュースを続けている。
仙台・荒浜で200人から300人の水死体がみつかったという。
今日痛感したのは近所の大切さ。
慌てているからガスの復旧方法がわからない。
場所さえわからない。
隣の奥さんに教えてもらった。
声が聞こえたらしくみんなが出てきた。
教えあった。
これを機会に新しいネットワークをつくろう。
嬉しいことは生徒・保護者の方からのメッセージが届いたこと。
この繋がりを大事にしないと。
ありがとう。
下を向くなよ しっかり生きろと
私は、当日、この状態の中でも金曜日のナイターテニスのこと、明日土曜日のシニア情報生活アドバイザー講習会の宿題のことを考えている。ということは、こんな大惨事になるとは思っていなかったのだ。想定外の津波のこと、そしてまさかの原発事故があるとは。
今、今から、私にできることは何か。真剣に真正面から考え、できることから実行していこう。まずは当時の記録を掘り返すこと。教訓として何を学んだのか。やっぱり現地を見ることだろう。何も聞かなくていい、辛いから。お互いに。