寝苦しかったな。
「寒暑」という新語が生まれそうだ。
接骨院からスタート。
体の動き出しはまあまあ。
11時、武蔵野市、曇り、気温22度、湿度78%、南2m/s
◎テルの日常:沖縄戦から78年。慰霊の日。
今こそ戦後の一期生の俺たちは平和を訴えなければ。戦後はとにかく貧しく辛かった。輸送機の響く音(立川飛行場に近い)、アメリカ兵(MP)の怖いこと、食べ物がないことなどなど。でも生き抜いてきたんだ。310万以上の人が犠牲になって。俺は意地になってアメリカ兵に「ギブミーチョコレート」と言わなかった。
「沖縄全戦没者追悼式」が営まれ、那覇市のつくば開成国際高校3年、平安名(へいあんな)秋さん(17)が「今、平和は問いかける」と題した「平和の詩」を朗読した。
2度と起こしてはいけない戦争。
何ができるか、まず、できることからやってみよう。忘れない、後世に伝えるためにも「平和の詩」を全文紹介する。
夏六月
溶けかけたアイスを手に走り出す
緑萌ゆるこの島の昼下がり
礎に刻まれた「兄」に
まるであの日のように
そっと触れるおばぁの涙は
陽炎が登る摩文仁の丘に
ただ果てしなく広がっていく
その涙は体を包み込み
私を「あの日」へといざなう
限りないこの空は
何を覚えているのだろう
涙に満ちたおばぁの瞳は
何を語りかけているのだろう
七十八年前の
あの日
あの時
かけがえのない
たったひとつの命が
憎しみと悲しみの中で
散っていった
名も無き赤子の
微かな
微かな泣き声は
震える母の手によって
冷たく光の無いガマの中で
儚く消えていった
幾多もの砲弾が
紺碧の海を黒く染める鉄の嵐となって
この島に降り注いだ
戦争が起きる前
そこには日常があった
私達と同じように
原っぱを駆け回り
友達とおしゃべりをする
みんなで暖かいご飯を食べ
時には泣き
時には笑い
時には「ありがとう」を伝える
そんな今と変わらない日常が
平和が
そこにはあった
平和は不確かで
脆く崩れやすい
いつもすぐそばにあるのに
いつのまにか消えていく
おばぁの涙は
摩文仁の丘に永遠(とわ)に灯る平和の火は
今、私達に問いかける
平和とは何かを
私達に出来ることは何かを
私は過去から学び
そして未来へと語り継いでいきたい
おばぁの涙を
沖縄の想いを
かけがえのない人達を
決して失いたくはないから
今日も時は過ぎていく
いつもと変わらずに
先人達が紡いできた平和を
次は私達が紡いでいこう
そして世界に届けていきたい
平和を創り
守っていく
この沖縄の「チムグクル」
*「ちむぐくる」 「くくる」は「心」という意味。 心に宿る深い思い、真心を指し、今も沖縄で大切にされている、思いやりや助け合いの精神など、心の優しさや豊かさを表した言葉です。
◎続LEO君インスタ
5月の陽気から一転、熱中症の季節に。湿気が多いからなおさら体調管理が難しい。街を眺めているとマスクを外している人が多くなった。でもコロナの感染者は増えてきているという。沖縄は大変らしい。
今日の「思い出話393」今日のLEO君、気が狂うような暑さだ
2010年8月17日撮影
当日のブログ(mixi)より、暑い昼ごろ大輔君が茨城県・高萩のお土産を持ってきてくれました。ありがたいことです。我が家のlEO君もこの暑さにはお手上げのようです。私が休みだからそばにずーっといます。