田舎へ行ってご/見てご!

二地域居住(田舎暮らし)、花・写真、古民家めぐり、旅、日々のあれこれなど。

犬山城:犬山市

2019年07月19日 | 気になる物(乗物・建造物・構造物:巨木など)

国宝「犬山城(別名:白帝城)」1537年築城。織田信長の叔父信康が尾張と美濃の国境に築城。

現存する日本最古の城。日本100名城。(撮影:R1.7.16)

標高88mの丘陵地に築かれた平山城。背後は木曽川に面した絶壁。(天守の高さは約19m)

木曽川から犬山城を望む。正面の橋は「ツインブリッジ犬山橋」 

天守が国宝指定された5城のうちの一つ。(他は姫路城、松本城、彦根城、松江城)。日本で最後まで個人(成瀬氏)が所有していた城(~2004年)

望楼型・三重四階地下二階・複合式天守。唐破風:中央が弓なり状にせりあがっている部分。入場口は地下二階。

地下一階の梁。手斧(ちょうな)の跡がくっきり見えます。

「付櫓(つけやぐら)」天守の入り口が敵兵に破られそうな時、側面から攻撃を加えて防備する。

 本丸への入口である鉄門(くろがねもん)。復興された建物で、往時の建物ではない。

「廻縁(まわりえん)」四階の周囲に廻されている縁。高欄が低いのでスリルがあります。

天守から見た「木曽川」と「ライン大橋」。対岸は岐阜県

犬山遊園駅方向。

天守から望む鉄門

天守廻縁(左)から木曽川を望む。対岸の市街地は岐阜県各務原市。

亀の甲羅に桃が乗った形をした魔除けの瓦。


名古屋城(本丸御殿):名古屋市

2019年07月19日 | 気になる物(乗物・建造物・構造物:巨木など)

名古屋城」は昭和5年に国宝に指定されましたが、昭和20年の名古屋空襲で本丸のほとんが焼失。

 

「天守閣」は、「小天守(左)」と共に昭和34年に鉄骨鉄筋コンクリート造で再建。手前が「本丸御殿」(撮影:令和1年7月15日)

平城で五重七階地下一階。徳川家康が1610年に築城。

「天守閣」は、設備の老朽化や耐震性が低いため閉館。名古屋城天守閣の木造復元は、2022年12月の竣工を予定。

金のシャチ。火除けのまじない。高さは約2.6m、重さ約1200kg。金(18K)は約43kg(雌:南側)~約45kg(雄:北側)使用

「東南隅櫓(重要文化財)」 屋根二重・内部三階の櫓。

 「西南隅櫓(重要文化財)」。大正10年に災害で倒壊。大正12年に宮内省により修復。奥が東南隅櫓。

「正門」。藩主や年寄職など一部の家臣しか出入りできない格式高い門。戦災で焼失し、天守閣とともに昭和34年に再建。

「表二之門(重要文化財)」。本丸南側にあり、鉄板張り。門の両側にある袖塀は土塀で、鉄砲を撃つための穴、鉄砲狭間(てっぽうざま)が開いています。 

本丸御殿」は、初代尾張藩主の住居・政庁として使用するため。1615年徳川家康により建てられた。

総面積約3,100㎡、部屋数は30を超える平屋建て。昭和20年空襲で焼失。平成21年から復元工事開始し、完成したところから順次公開。昨年全体公開となりました。総工費は約150億円

「本丸御殿・玄関車寄」。入母屋造の妻入りで、入り口となる車寄は正面に突き出ている。杮(こけら)葺の屋根、丸みのある唐破風。

「本丸御殿・玄関・一之間」。本丸御殿を訪れた人がまず通され、対面を待つ殿舎。金地の障壁画(竹林豹虎図)

「本丸御殿・表書院」。一番広大な建物で、正式な謁見に用いられた殿舎。

「本丸御殿・表書院」 奥が「上段の間」。華麗な花鳥画など。天井(上段の間)は「折上げ小組格天井」。

「対面所」。藩主が身内や家臣との私的な対面や宴席に用いた殿舎。

「本丸御殿・上洛殿(左)」、「鷺の廊下(中央)」、「対面所(右)」、「小天守(奥)」、「天守閣(最奥部)」

「本丸御殿・上洛殿・一之間(手前」)、「上段の間(奥):家光の御座所」。絢爛豪華な彫刻欄間・飾金具等。

「本丸御殿・上洛殿・二之間(二十二畳)」

天井、金具、欄間、襖など一つ一つの装飾が格式の高いものです。

「黒漆塗二重折上げ蒔絵付格天井」

「黒漆塗金具付格天井」

「破風金具、懸魚」

「唄金具(ばいかなぐ)」

「釘隠し」

「釘隠し」

「釘隠し」(上洛殿)

「引手金具」

彫刻欄間(上洛殿)

「花欄間」

「花狭間格子欄間」(上洛殿)

 「花欄間」(表書院・上段之間)

 

 

 

 

 


熊本城(№6):熊本市

2019年06月21日 | 気になる物(乗物・建造物・構造物:巨木など)

№6は日本三名城の「熊本城(別名:銀杏城)」(S53.7.22撮影)(平山城) 重要文化財

加藤清正が1607年に築いた名城。西南戦争で本丸の大部分が焼失。櫓12棟と高石垣はほぼ完全な姿で残る。

昭和35年(1960年)に大天守、小天守が復元された。外観三重、内部は六階地下一階。

友人と北九州旅行(1978年)に行った際、「熊本城」にも行きました。41年前なので行ったことぐらしか覚えていません。

平成28年4月に発生した地震により、大きな被害を受けました。

早く元の姿に戻ってほしいものです。

熊本市の公式観光サイト:フォトギャラリーよりダウンロード

 


姫路城(№4):姫路市

2019年06月21日 | 気になる物(乗物・建造物・構造物:巨木など)

№4は「姫路城(別名:白鷺城)」(S47.11.10撮影、雨)(平山城)

1580年に羽柴秀吉が改修。その後池田輝政が大改修し、連立式天守を完成。

高校2年の修学旅行(約47年前)で訪れました。ここで記念写真を撮ったと思います?。

改修後:秋の写真(姫路フォトバンク(写真ダウンロードサービス)より)

左から「乾小天守(いぬいこてんしゅ)、西小天守、大天守」。東小天守を含めた四つの天守間は、渡櫓で結ばれている。いずれも国宝。重要文化財も74件あります。

改修後:夏の写真(姫路フォトバンク(写真ダウンロードサービス)より)

大変美しい連立天守群です。(この写真だと美しく見えませんよね?)

 改修後:冬の写真(姫路フォトバンク(写真ダウンロードサービス)より)

是非もう一度、訪れたいと思っています。