「名古屋城」は昭和5年に国宝に指定されましたが、昭和20年の名古屋空襲で本丸のほとんが焼失。
「天守閣」は、「小天守(左)」と共に昭和34年に鉄骨鉄筋コンクリート造で再建。手前が「本丸御殿」(撮影:令和1年7月15日)
平城で五重七階地下一階。徳川家康が1610年に築城。
「天守閣」は、設備の老朽化や耐震性が低いため閉館。名古屋城天守閣の木造復元は、2022年12月の竣工を予定。
金のシャチ。火除けのまじない。高さは約2.6m、重さ約1200kg。金(18K)は約43kg(雌:南側)~約45kg(雄:北側)使用
「東南隅櫓(重要文化財)」 屋根二重・内部三階の櫓。
「西南隅櫓(重要文化財)」。大正10年に災害で倒壊。大正12年に宮内省により修復。奥が東南隅櫓。
「正門」。藩主や年寄職など一部の家臣しか出入りできない格式高い門。戦災で焼失し、天守閣とともに昭和34年に再建。
「表二之門(重要文化財)」。本丸南側にあり、鉄板張り。門の両側にある袖塀は土塀で、鉄砲を撃つための穴、鉄砲狭間(てっぽうざま)が開いています。
「本丸御殿」は、初代尾張藩主の住居・政庁として使用するため。1615年徳川家康により建てられた。
総面積約3,100㎡、部屋数は30を超える平屋建て。昭和20年空襲で焼失。平成21年から復元工事開始し、完成したところから順次公開。昨年全体公開となりました。総工費は約150億円
「本丸御殿・玄関車寄」。入母屋造の妻入りで、入り口となる車寄は正面に突き出ている。杮(こけら)葺の屋根、丸みのある唐破風。
「本丸御殿・玄関・一之間」。本丸御殿を訪れた人がまず通され、対面を待つ殿舎。金地の障壁画(竹林豹虎図)
「本丸御殿・表書院」。一番広大な建物で、正式な謁見に用いられた殿舎。
「本丸御殿・表書院」 奥が「上段の間」。華麗な花鳥画など。天井(上段の間)は「折上げ小組格天井」。
「対面所」。藩主が身内や家臣との私的な対面や宴席に用いた殿舎。
「本丸御殿・上洛殿(左)」、「鷺の廊下(中央)」、「対面所(右)」、「小天守(奥)」、「天守閣(最奥部)」
「本丸御殿・上洛殿・一之間(手前」)、「上段の間(奥):家光の御座所」。絢爛豪華な彫刻欄間・飾金具等。
「本丸御殿・上洛殿・二之間(二十二畳)」
天井、金具、欄間、襖など一つ一つの装飾が格式の高いものです。
「黒漆塗二重折上げ蒔絵付格天井」
「黒漆塗金具付格天井」
「破風金具、懸魚」
「唄金具(ばいかなぐ)」
「釘隠し」
「釘隠し」
「釘隠し」(上洛殿)
「引手金具」
彫刻欄間(上洛殿)
「花欄間」
「花狭間格子欄間」(上洛殿)
「花欄間」(表書院・上段之間)