10/2 (火)
檜枝岐・・・懐かしい響きの所
高速道路を西那須野インターチェンジを降りてから、一般道を走ること約2時間で檜枝岐に着きました。
福島県のかなり内陸になります。 会津高原から舘岩を通過してはるばる檜枝岐に来ました。
驕る平家は久しからず・・・平家の落人がこの地にも落ち延びていました。
そのせいなのか話し言葉にズーズー弁の訛りが全くなかったです。
さすが檜枝岐、そば畑が広がっていました。
そば畑にはすでに白い花は終わっていました。 一面の白いそばの花見たかったな~
もっと枯れてくると、刈り取って新そばになるのですね~
このサフラン似た花何かと思って、ネットで調べたら分かりました。
「イヌサフラン」と言う名ですって、なんで犬が付くのかは分かりません。
青い実がなっている樹木、これも調べてみると、「サルナシ」だそうです。
味はキウィフルーツによく似ているそうです。葉の枝元がピンク色で特徴がありますね。
知らない植物の名前が分かるのは、とっても嬉しい~
この階段を上がり、突き当りまで行くと、檜枝岐歌舞伎の舞台がありました。
広場の周りは階段状になっていて、歌舞伎が上演される時の座席になるそうです。
歌舞伎の舞台です。思っていたより小さく見えました。
でもここでちゃんと、年に数回歌舞伎が上演されるのです。
歌舞伎の写真をクリックすると、檜枝岐歌舞伎にリンクします。
歌舞伎の舞台のすぐ隣に、「橋場のバンバ」がありました。
大きなはさみでしょう? これに意味があるのです。
ここに祭られている石仏のバンバ、慈悲深いバンバで昔から子供を水難から守ってくれたそうな、恋の取り持ちもしたそうな~
また悪縁を切りたい時はよく切れる鋏を供え、良縁で縁を切りたくない時には、錆びた切れない鋏を供えたそうです。
お椀をかぶせると、どんな願いも叶えてくれたそうですよ。 ありがたい石仏のバンバ様ですね。
沢山の鋏とお椀が供えてありました。
「六地蔵」が通りに並んでいました。
この地は昔冷害による凶作で、餓死者を多数出したそうです。
働けるものしか食べられないので、泣く泣く子供を間引くという悲惨な行為があったそうです。 悲しいことですね。
それから霊を慰めるために、6体の稚児のお地蔵様が祭られたそうです。
古い木造の小屋は、「板倉」と呼ばれていて、釘などを全く使わない建築様式だそうです。
セイロウ作りとも言われ、奈良の正倉院と並んで古い重要文化財とのことです。
この日の宿は民宿の「山びこ山荘」、ご夫婦の手作りの家庭的な料理の数々でした。
イワナのお造りに、イワナの塩焼きは絶品、頭からしっぽまでカリカリと芳ばしく戴きました。
山菜とキノコ料理、どれも美味しいので、夫は地酒が進み~ 私は生ビールで喉を潤しました。
焼肉は鹿肉、思っていたより柔らかく美味しかったです。
尾瀬では鹿が増えすぎて、ニッコウキスゲ等を食べてしまうので、困っているようですね。
鹿肉を食べながら、その話を思い出しました・・・ ちょっと微妙ですが~
地元で採れる舞茸ごはんにお味噌汁、これでおなか一杯なのに~
でも〆は、楽しみにしていた「十割そば」 そば粉100%の「裁ちそば」です。
そば粉100%とは思えない、つるつるしたのど越しが良いおそばでした。
そばつゆの味にもうるさい私たちですが、合格でしたよ~ 鰹節の香りも豊かなそばつゆでした。
そのうえデザート感覚の「はっとう」です。そば粉ともち米で出来ているんですって、周りは芳ばしいゴマです。
初日にスマホからさらりとアップしたけど、檜枝岐の見どころを紹介したくて再びアップしました。
10/3 (水) の続き
尾瀬沼から再び戻ってきた檜枝岐のお宿、昨夜お世話になったのは「山びこ山荘」です。
そしてそば好きの私たちのために、新そばが手に入ったので、前日石臼でご主人が引いてくれました。
檜枝岐の北の方では、すでに新そばが刈り取られていました。
それが手に入ったとか・・・ 嬉しい!
山歩きしてきた汗を温泉に浸かって、癒してきてからの「新そば」
昼間の灯りのもとでは、夕食のそばよりもっと色白のそばに見えました。
未だかって「十割そば」がこんなにつるつるして、のど越しが良いのは初めてです。
これってやっぱり技術なのでしょうね。 本当に美味しかったな!
帰りにはお願いしてあった、「新そば粉」を分けていただきました。
夫はそば粉100%は打てないので、たぶん二八そばかな~
久しぶりに尾瀬を歩いて、自信が付いた気がしています。
来年はもっと足を鍛えて、またちょっとした山登りを計画したいと思っています。
その時には是非またお世話になりたいです。 ありがとうございました。