前回の投稿からようやく気力を振り絞って投稿しました。
喜楽にブログをUP出来ると言うことはどれだけ幸せなことか、ありがたいことか。
私にとっては今人生で最大の悲しみの中に居ます。
我が連れ合いが膵臓がんで3月7日午前2時24分に亡くなりました。
検査結果で初めて膵臓がんと言われたのが2月19日。
ペット検査,CT、血液検査での診断でした。
全く偶然に内科医の健康診断で大腸のポリープ検査をすることになりその時生まれて初めてCTを撮ったところ
肝臓腎臓膵臓に影が映り、ペット検査の結果詳しく映像が示されました。
青天の霹靂とはこんなことをいうのでしょうか。
解った時にはもう手術は出来ない状態で周辺に転移しがんも5cmとなっていました。
2月23日に入院。今まで入院は胃のポリープでお世話になった胃腸外科しかありません。
大腸のポリープと言うことで同じ胃腸外科で入院したので、ほかの大病院より、何より担当の先生を信頼していたので
引き続いて抗がん剤治療となりました。
丁度入院する日に、歌舞伎の三津五郎さんが無くなられたニュースが大きく出て、それを彼が見てしまって「僕はまだこれから抗がん剤で小さくしてから手術できるのだね。」と話しました。
膵癌についての知識を図書館で調べ、怖くて本は見せなかったものだから、先生がうまく説明してくださって良い方に考えていたようです。
2月24日から初めての抗がん剤。血糖値が300以上となりインスリンを1日4回も。
血液検査の変遷はめまぐるしく、11月12月の数値は全く異常がなかったのに2月には5倍になり
膵臓がんのマーカーは正常が30と言うのに1200ありました。
2回抗がん剤を投与した結果好転が見られず肝臓腎臓の機能が落ちてこれ以上は緩和治療となってしまいました。
身の置き所の無いしんどさで、日々刻々、点滴と酸素吸入、痛み止めの挿入、導尿。
酸素吸入や点滴の管を取ろうとしてこんな力があるのかと思うくらい私の手を払いのけ。
「しんどいな、頑張って」としか言えなくて泊まり込みの看護。
4日に子どもたちと妹で先生の話を聞き、余り永くないことを覚悟しました。
5日には合わせたい人があれば連絡するようにと言われ土曜日に来ると言っていた弟たちにも早く来るようにと連絡し、
「来てくれたよ目を開けて」と言うと少し目を開けて、どこまで解ったのだろうか。孫も東京から帰ってきて逢えて本当に良かった。
息子と娘と私で看病でき、明け方静かに静かに息が止まり、それでも呼びかけると又息をして、
心臓のモニターが線状になったと先生が来られ臨終でした。
看護師さんたちにきれいにしてもらい葬儀社の寝台車が迎えに来て皆さんで寒いのに私たちを見送ってくださいました。
本当に良くしてもらいありがたくて・・・・。
そして帰りたがっていた家に帰り仮通夜、いつも来ていただくお寺さんに枕経を上げてもらいました。
お線香を絶やさぬように、子供たちと3人で順番に休みながら静かに家でこうして一夜を送ることが出来本人もきっと喜んでいることでしょう。
昔からの学生時代そして仕事をした友人が夫婦で駆けつけてくれ、兄弟姉妹も孫たちもにぎやかに、よい仮通夜が出来ました。
皆さんに窶れもせず、声をかけてきそうな安らかな良い顔だと言ってもらい、みんなの話をにこにこと聞いていた好々爺そのまま。
今日の午後家から葬儀場に行き通夜、明日は告別式。
ブログを書く時間が、心の余裕があるゆったりとした時間を持てたのも子供たちがいろいろ面倒を看てくれたから。
あなた、ありがとう。感謝しかありません。50年と1か月足らず、私はとても幸せでした。尊敬と信頼と感謝の気持ちでいっぱいです。
周りのみんなが私を助けてくれます。心配しないで天国で待っていてください。
いつも先に行っても曲がり角で私を待ってくれていたように。
喜楽にブログをUP出来ると言うことはどれだけ幸せなことか、ありがたいことか。
私にとっては今人生で最大の悲しみの中に居ます。
我が連れ合いが膵臓がんで3月7日午前2時24分に亡くなりました。
検査結果で初めて膵臓がんと言われたのが2月19日。
ペット検査,CT、血液検査での診断でした。
全く偶然に内科医の健康診断で大腸のポリープ検査をすることになりその時生まれて初めてCTを撮ったところ
肝臓腎臓膵臓に影が映り、ペット検査の結果詳しく映像が示されました。
青天の霹靂とはこんなことをいうのでしょうか。
解った時にはもう手術は出来ない状態で周辺に転移しがんも5cmとなっていました。
2月23日に入院。今まで入院は胃のポリープでお世話になった胃腸外科しかありません。
大腸のポリープと言うことで同じ胃腸外科で入院したので、ほかの大病院より、何より担当の先生を信頼していたので
引き続いて抗がん剤治療となりました。
丁度入院する日に、歌舞伎の三津五郎さんが無くなられたニュースが大きく出て、それを彼が見てしまって「僕はまだこれから抗がん剤で小さくしてから手術できるのだね。」と話しました。
膵癌についての知識を図書館で調べ、怖くて本は見せなかったものだから、先生がうまく説明してくださって良い方に考えていたようです。
2月24日から初めての抗がん剤。血糖値が300以上となりインスリンを1日4回も。
血液検査の変遷はめまぐるしく、11月12月の数値は全く異常がなかったのに2月には5倍になり
膵臓がんのマーカーは正常が30と言うのに1200ありました。
2回抗がん剤を投与した結果好転が見られず肝臓腎臓の機能が落ちてこれ以上は緩和治療となってしまいました。
身の置き所の無いしんどさで、日々刻々、点滴と酸素吸入、痛み止めの挿入、導尿。
酸素吸入や点滴の管を取ろうとしてこんな力があるのかと思うくらい私の手を払いのけ。
「しんどいな、頑張って」としか言えなくて泊まり込みの看護。
4日に子どもたちと妹で先生の話を聞き、余り永くないことを覚悟しました。
5日には合わせたい人があれば連絡するようにと言われ土曜日に来ると言っていた弟たちにも早く来るようにと連絡し、
「来てくれたよ目を開けて」と言うと少し目を開けて、どこまで解ったのだろうか。孫も東京から帰ってきて逢えて本当に良かった。
息子と娘と私で看病でき、明け方静かに静かに息が止まり、それでも呼びかけると又息をして、
心臓のモニターが線状になったと先生が来られ臨終でした。
看護師さんたちにきれいにしてもらい葬儀社の寝台車が迎えに来て皆さんで寒いのに私たちを見送ってくださいました。
本当に良くしてもらいありがたくて・・・・。
そして帰りたがっていた家に帰り仮通夜、いつも来ていただくお寺さんに枕経を上げてもらいました。
お線香を絶やさぬように、子供たちと3人で順番に休みながら静かに家でこうして一夜を送ることが出来本人もきっと喜んでいることでしょう。
昔からの学生時代そして仕事をした友人が夫婦で駆けつけてくれ、兄弟姉妹も孫たちもにぎやかに、よい仮通夜が出来ました。
皆さんに窶れもせず、声をかけてきそうな安らかな良い顔だと言ってもらい、みんなの話をにこにこと聞いていた好々爺そのまま。
今日の午後家から葬儀場に行き通夜、明日は告別式。
ブログを書く時間が、心の余裕があるゆったりとした時間を持てたのも子供たちがいろいろ面倒を看てくれたから。
あなた、ありがとう。感謝しかありません。50年と1か月足らず、私はとても幸せでした。尊敬と信頼と感謝の気持ちでいっぱいです。
周りのみんなが私を助けてくれます。心配しないで天国で待っていてください。
いつも先に行っても曲がり角で私を待ってくれていたように。