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大和路、郡山城跡

2011年01月04日 | お知らせ
郡山城といえば

私にとって

一番先に思い浮かべるのは

豊臣秀吉が 羽柴秀吉と呼ばれている時代

腹違いの弟、羽柴秀長の事


秀長は大和国を領して

この郡山城の城主と成っていたのです。

秀長は実に立派な武将で

仕える 兄 秀吉のため

たえず 兄の影役に徹し、その功績から

名参謀だったそうです。

歴史を見ると 織田信長が明智光秀の

闇討ちにあって、その敵を討ち果たした秀吉が

その後柴田勝家を

北圧の城で自刃させ

前田利家を家臣に加えたとき

正に家康と秀吉の二大勢力が

できあがっていた時の事です。

その強敵家康と秀吉が和睦を結ぶことが出来たのは

この秀長の才量であったようです。

又、この時期秀長は軍船に乗って四国阿波国の土佐泊まりで

土佐の長宗我部元哉の支配する

和気城を攻め落とし、長宗我部と和睦を結んでいるのです。

私は名参謀として知られる羽柴秀長をしのび、

初めての地、郡山にいい思い出をつくりました。

因に私の好きな藤堂高虎も後に

この城の主になっていました。


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