日本男道記

ある日本男子の生き様

道標(岡山県倉敷市藤戸町天城)

2006年12月16日 | 道標
道標は古くより旅人の道しるべとして、石等に里程や方向を示し、三叉路の路傍に立てられたものです。
現在は全国画一化され道路標識にとって代わられ、道端に忘れられた様な存在になっています。
散歩・ドライブの途中気をつけてみると、今なお大切に残されている道標を見かけます。
私はなぜか風雪にたえ人々の往来を見守り続ける道しるべにひかれます。
道標シリーズ第六十四段。
所在地   岡山県倉敷市藤戸町天城 位置図
建立年   不明
導(しるべ) (左)倉敷酒津 川辺 高梁 道
          すぐ 下津井 田の口 道
         (右)由加神社 金刀比羅 道
        (右)不洗観音 惣社(総社) 足守 道
寄付者   不明 
撮影日   2006/12/02
メモ    
笹無山の入口にある。年代や施主は刻まれていない。
高梁と刻まれていることから明治維新後の作と想定される。
 





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2 コメント

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高梁とあると..ですか。 (地理佐渡..)
2006-12-17 10:03:36
おはようございます。

コメントありがとうございました。
だいぶ楽になってきました。

さてさて、高梁(市)とありますと
新しいのでしょうか?
というか、市となってからの地名
なのかなぁ。同名の川もあり、私
でも知っている地名ですから、結
構古いものと思ったのですが.。
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Re:高梁とあると..ですか。 (日本男道記)
2006-12-17 14:24:34
こんにちは!

風邪だいぶ良くなられているようで安心しました。

さて、お訪ねの件ですが、江戸時代までは備中松山藩でした。
現存する天守を持つ山城としては最も高い所にお城は国の重要文化財で備中松山城と呼ばれています。
また、道標など古いものはすべて「松山」の表記になっています。
ここからは私の推測ですが、四国の松山市との混同をさけて川の名前をとって高梁市としたのではないかと思います。
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