37:市川男女蔵の関取雷鶴之助と二世大谷鬼次の浮世土平
この図は、寛政六年七月河原崎座上演の「二本松陸奥生長」という伊達騒動を扱った狂言の登場役者である。
この絵は、ここでも写楽の機構美が発揮されているのを見る。
それは四本の刀の枠の中に二人の役者の姿態がカッキリと構図されている巧妙さである。
そこに画面としての美しさと、舞台上の美しさが印象深くわれわれに迫ってくる。
姿態といえば、立ち身の鬼次の後ろ向きの、しかも尻をくるりと此方へ向けた大胆な描写には、誰でもが一驚するところであろう。あまりにふてぶてしいこの姿態からは、この浮世土平という悪役の役柄の演技上の最高の描写が行われているのを見る。とても他の絵師の及ぶところではない。
これに対して男女蔵の力士の姿態は、まことに整った歌舞伎の見得の美しさが描かれていて少しの奇もない。
その整調と、鬼次の破格の姿態との間に少しの不自然さもなく結びついている格調は、やはり写楽の芸術の卓抜さである。
※東洲斎 写楽
東洲斎 写楽(とうしゅうさい しゃらく、旧字体:東洲齋 寫樂、生没年不詳)は、江戸時代中期の浮世絵師。
寛政6年(1794年)5月から翌年の寛政7年3月にかけての約10ヶ月の期間内に約145点余の錦絵作品を出版し、忽然と浮世絵の分野から姿を消した正体不明の謎の浮世絵師として知られる。
本名、生没年、出生地などは長きにわたり不明であり、その正体については様々な研究がなされてきたが、現在では阿波の能役者斎藤十郎兵衛(さいとう じゅうろべえ、1763年? - 1820年?)だとする説が有力となっている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この図は、寛政六年七月河原崎座上演の「二本松陸奥生長」という伊達騒動を扱った狂言の登場役者である。
この絵は、ここでも写楽の機構美が発揮されているのを見る。
それは四本の刀の枠の中に二人の役者の姿態がカッキリと構図されている巧妙さである。
そこに画面としての美しさと、舞台上の美しさが印象深くわれわれに迫ってくる。
姿態といえば、立ち身の鬼次の後ろ向きの、しかも尻をくるりと此方へ向けた大胆な描写には、誰でもが一驚するところであろう。あまりにふてぶてしいこの姿態からは、この浮世土平という悪役の役柄の演技上の最高の描写が行われているのを見る。とても他の絵師の及ぶところではない。
これに対して男女蔵の力士の姿態は、まことに整った歌舞伎の見得の美しさが描かれていて少しの奇もない。
その整調と、鬼次の破格の姿態との間に少しの不自然さもなく結びついている格調は、やはり写楽の芸術の卓抜さである。
※東洲斎 写楽
東洲斎 写楽(とうしゅうさい しゃらく、旧字体:東洲齋 寫樂、生没年不詳)は、江戸時代中期の浮世絵師。
寛政6年(1794年)5月から翌年の寛政7年3月にかけての約10ヶ月の期間内に約145点余の錦絵作品を出版し、忽然と浮世絵の分野から姿を消した正体不明の謎の浮世絵師として知られる。
本名、生没年、出生地などは長きにわたり不明であり、その正体については様々な研究がなされてきたが、現在では阿波の能役者斎藤十郎兵衛(さいとう じゅうろべえ、1763年? - 1820年?)だとする説が有力となっている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
今回は男の役者絵でしたね。良い絵です。
それにしましても写楽一人が残した作品
点数ってどのくらいあるのでしょう。相当の
量のようですねぇ。
さて、今朝も寒い朝ですけど、外から時折
り朱鷺の鳴き声が聞こえます。もう朱鷺た
ちは行動開始のようです。
朱鷺の声、時の声。
贅沢ですね。朱鷺の声が聞こえるなんて。
寒い中頑張っているのでしょうね。
今朝は近所で市会議員の選挙で出発式があり
参加してきました。
男性につけても女性につけても、
写楽の奥の深さを感じます。
着物の紋入りなどにも目が行きます。
こちらでは、風がありましたが、
日差しが高く、先日の雪が融けまして、
ひと安心、この頃は、転びそうで転ばないです。
きょうも、ありがとうございました。。。
先日の雪がまだあったのですね。
今日朝東京のTBSラジオを聞いていましたら、安住さんが
番組の中で話されていました。
>転びそうで転ばない
お互いに気を付けましょう。(笑)