道標は古くより旅人の道しるべとして、石等に里程や方向を示し、三叉路の路傍に立てられたものです。
現在は全国画一化され道路標識にとって代わられ、道端に忘れられた様な存在になっています。
散歩・ドライブの途中気をつけてみると、今なお大切に残されている道標を見かけます。
私はなぜか風雪にたえ人々の往来を見守り続ける道しるべにひかれます。
道標シリーズ第六十五段。
・所在地 岡山県倉敷市田の口六丁目 位置図
・建立年 1848年
・導(しるべ) (東面)右 ゆがさん(由加山)
(南面)弘化三丙午年九月 世話人 当所 吉浜屋庄右衛門 浜田屋九右衛門
(西面)左 ゆが(由加)
(北面) 施主 阿州小松島 生島馬之助 同伊之助
・寄付者 生島馬之助 同伊之助
・撮影日 2007/01/08
・メモ
高さ172cm、正・側面とも幅44.5cm、上端を山形に造った方柱、規格の大きさ、文字の美しさ、彫りの洗練さなど、県下に残る道標中、群を抜く大物。
この道標はもと十字路の中央にあり、東から来た者にも西から来た者にも、由加山への道を大文字で示している。
施主は現在の徳島県小松島市に住む兄弟らしい。
由加山への参詣する主な道として、林からの北往来、田の口港からの南往来、小川からの西往来、日比からの東往来の四つのルートがある。
そのひとつである田の口港から参詣する南往来は金毘羅信仰がさかんになった江戸中期、金刀比羅宮との両参りのため、多くの人々が訪れたという。
「ゆ」の右上にある損傷が痛々しいがよく保存されている。
鳥居の向こうは道を隔てて瀬戸内海
現在は全国画一化され道路標識にとって代わられ、道端に忘れられた様な存在になっています。
散歩・ドライブの途中気をつけてみると、今なお大切に残されている道標を見かけます。
私はなぜか風雪にたえ人々の往来を見守り続ける道しるべにひかれます。
道標シリーズ第六十五段。
・所在地 岡山県倉敷市田の口六丁目 位置図
・建立年 1848年
・導(しるべ) (東面)右 ゆがさん(由加山)
(南面)弘化三丙午年九月 世話人 当所 吉浜屋庄右衛門 浜田屋九右衛門
(西面)左 ゆが(由加)
(北面) 施主 阿州小松島 生島馬之助 同伊之助
・寄付者 生島馬之助 同伊之助
・撮影日 2007/01/08
・メモ
高さ172cm、正・側面とも幅44.5cm、上端を山形に造った方柱、規格の大きさ、文字の美しさ、彫りの洗練さなど、県下に残る道標中、群を抜く大物。
この道標はもと十字路の中央にあり、東から来た者にも西から来た者にも、由加山への道を大文字で示している。
施主は現在の徳島県小松島市に住む兄弟らしい。
由加山への参詣する主な道として、林からの北往来、田の口港からの南往来、小川からの西往来、日比からの東往来の四つのルートがある。
そのひとつである田の口港から参詣する南往来は金毘羅信仰がさかんになった江戸中期、金刀比羅宮との両参りのため、多くの人々が訪れたという。
「ゆ」の右上にある損傷が痛々しいがよく保存されている。
鳥居の向こうは道を隔てて瀬戸内海
立派過ぎて、現在の寂しさの中では皮肉っぽくみえましたが、
とにかく存在感はありました。
何時までも残して欲しいものです。
快晴の日曜日です。
午前中、定例の犬を連れての散歩でしたが快適でした。
冬型の気圧配置でご当地は雪でしょうか?
本当に大きな者で当時の賑やかさがしのばれました。
今は寂れていますが。
これは立派ですね・・・。
目立つし、役に立ちそうです(笑い)。
確かに大きいです。
今までご紹介の中でも
群を抜いていませんか?
このサイズですと、
かえって別の石碑のよう
にも見えてしまいそうですね。