日本男道記

ある日本男子の生き様

三帰戒(さんきかい)

2008年11月14日 | お経を読む・理解する
三帰戒(さんきかい)とは
今から約2,500年前、お釈迦さま在世の時、当時のインドの人々は、この三帰依文を唱えて、お釈迦さまの弟子として入門の儀式を行ったと伝えられている。
以来、この三帰依文は広く世界の仏教徒によって大切に唱え継がれている。



原文
南無帰依仏・南無帰依法・南無帰依僧(なむきえぶつ・なむきえほう・なむきえそう)
帰依仏無上尊・帰依法離欲尊・帰依僧和合尊(きえぶつむじょうそん・きえほうりよくそん・きえそうわごうそん)
帰依仏竟・帰依法竟・帰依僧竟(きえぶつきょう・きえほうきょう・きえそうきょう)

読み下し文
南無、仏に帰依したてまつる。
南無、法に帰依したてまつる。
南無、僧に帰依したてまつる。
仏なる無上尊に帰依したてまつる。
法なる離欲尊に帰依したてまつる。
僧なる和合尊に帰依したてまつる。
仏に帰依し竟(おわ)る。
法に帰依し竟(おわ)る。
僧に帰依し竟(おわ)る。

現代語訳
三帰戒の「三」とは、仏(ぶつ)・法(ぽう)・僧(そう)の三宝(さんぽう)のこと。
仏教ではこの三宝を大切にする。
まず「仏」の宝路は、悟りを開かれたブッダお釈迦様のこと。
最も優れたお方という意味で「仏無上尊」(ぶつむじょうそん)という。
次に「法」とは、仏様のお悟りになった立派な真理や、その真理を説く教えや経典をいう。要するに般若心経などの経典などの仏の教え。それらの教えに従って努力すれば、必ずや一切の悪業や煩悩から離れて清い心になることができるので「法離欲尊」という。
そして「僧」は、仏様の慈悲の心を伝え、教えの道理を説いて、衆生を導く僧侶のこと。僧侶は、常に和合を保ち、戒律を守って修行に励み、真理にも和合し、自らも仏になろうと努力することから「僧和合尊」という。

仏の威徳に従って信心を捧げます。教え(法)に従って信心を捧げます。僧に従って信心を捧げます。
仏は最上に尊いものであるから、従っていきます。教えは欲を離れた清らかで尊いものであるから、従っていきます。僧は和合し尊いものであるから、従っていきます。
仏に従いました。教えに従いました。僧に従いました。



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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
三帰戒 (地理佐渡..)
2008-11-15 07:21:05
おはようございます。

三とは仏・法・僧である。なるほどと思いました。
信心あるところに心の平穏があります。人は不思
議なものです。年齢を重ねるごとに信心を増して
いく人がいます。

次第に欲というものから解き放たれて、ひたすら心
の平穏や周囲の安寧を願うのでしょうねぇ。
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Re:三帰戒 (日本男道記 )
2008-11-15 07:54:58
お早うございます。

ご丁寧なるコメント恐れ入ります。

聖徳太子が制定したと言われる「十七条憲法」にも
『二に曰く、篤(あつく)く三宝を敬へ。三宝はとは仏(ほとけ)・法(のり)・僧(ほうし)なり。すなわち四生の終帰、万国の極宗なり。はなはだ悪しきもの少なし。よく教えうるをもって従う。それ三宝に帰りまつらずば、何をもってか柱かる直さん。』
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検索から伺いました (法螺)
2008-12-19 22:37:48
本文中の現代語訳にて、竟を「従いました」と過去形で訳されていますが、ここは同じく「おわる」の訓がある終の「終日」「終生」という用法から、「常に従っています」の様に現在完了形で解釈するのが適当かと考えますが如何でしょう。

ところで、日本には三帰依文の訳が各種ありますが、この三帰戒文がもっとも素直な漢訳であると個人的には思っております。
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Re:検索から伺いました (日本男道記 )
2008-12-20 07:29:55
おはようございます。

ご指摘ありがとうございました。

勉強になりました。

                 合掌
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