山口市出張の序に友人に山口市内に残る「萩往還」を案内してもらった。
この「萩往還」幕末には、維新の志士たちも往来しており、歴史の上で重要な役割を果たし、司馬遼太郎作品にも度々登場する。
「萩往還」案内文
歴史の道 萩往還
萩往還は萩市から旭村、山口市をとおって防府市までをほぼ直線状に結ぶ約五十三キロ(十二里)の道をいいます。
この道は江戸時代以前から部分的には利用されていましたが、江戸時代になってから徳川幕府の一石一城によって、毛利氏の萩築城と参勤交代精度の開始によって萩と山陽道を結ぶ重要な道となり幅約四メートル(二間)の道に整備され萩往還と呼ばれるようになりました。また多くの人馬の往来に必要な施設として一里塚や御茶屋、通行人の取締りなどにあたる口屋、往還の両側には往還松が植えられていました。
現在では交通手段が変わったために急な坂や峠など難所が多いために廃道となった箇所が多くあります。
萩往還について
<写真撮影:2006.03.18>
この「萩往還」幕末には、維新の志士たちも往来しており、歴史の上で重要な役割を果たし、司馬遼太郎作品にも度々登場する。
「萩往還」案内文
歴史の道 萩往還
萩往還は萩市から旭村、山口市をとおって防府市までをほぼ直線状に結ぶ約五十三キロ(十二里)の道をいいます。
この道は江戸時代以前から部分的には利用されていましたが、江戸時代になってから徳川幕府の一石一城によって、毛利氏の萩築城と参勤交代精度の開始によって萩と山陽道を結ぶ重要な道となり幅約四メートル(二間)の道に整備され萩往還と呼ばれるようになりました。また多くの人馬の往来に必要な施設として一里塚や御茶屋、通行人の取締りなどにあたる口屋、往還の両側には往還松が植えられていました。
現在では交通手段が変わったために急な坂や峠など難所が多いために廃道となった箇所が多くあります。
萩往還について
<写真撮影:2006.03.18>
高杉晋作も通ったのでしょうね・・・。
>現在では交通手段が変わったた
めに急な坂や峠など難所が多い
ために廃道となった箇所が多くあ
ります。
過ぎた歴しを一本の古い道に思う。
なんとロマンチック。これだから皆さ
んとの交流が楽しみになります。
佐渡では金山奉行や唐丸篭に入
れられていた無宿者達の通った道に
歴史を感じるところでしょうか..?
また、越後では塩の道とも言われる
北国街道。信玄に塩を送ったという逸
話の道です。
でも50kmの歩きはかなりきついですよ。
二日に分ければノンビリ、ユックリでしょうけど。(笑)
前向きに考えておきましょうか?
そうですねか「三田尻」、以前はバレーボールの強い三田尻女子商業?という学校ご存知ですか?
すいません、話が横道にそれました。
高杉晋作も通ったと思います。
さてWBCの後は、今日から選抜高校野球楽しみが増えました。
佐渡の街道、北国街道歩いてみたいですね。
それに熊野古道、鯖街道。
その前に司馬遼太郎作品の「街道をゆく」を読まねばと思っています。
が、何時のことになるやら!