一昨日、ようやく母が退院した。
しかし、職員の一人の方が、急病でお休みとのこと。
退院のときは、ホームからお迎えに来てくれることになっていたが、
退院するという報告の電話をすると、
人手が足りないから入院を一日延ばして欲しいとのことで、
声の様子が、どうも切羽詰まった感じ・・・。
しかし、私の体力もだんだん限界に近づいてきたし、母もいつまでも病院で寝たっきりというのも困るので、自分で連れて行くことになった。
幸い母の足の筋力が衰えることなく、以前のように歩くことが出来たので、車の乗り降りも何とか私ひとりでできた!
しかし、お昼前に母を連れて行ってみると、あらまあ~大変~
認知症の老人8名がリビングに座っていたが、職員たったひとり?
その人、その男性のスタッフ一人で、てんてこまい。。。
もう見ていられなくなり、お手伝いすることとなった。
思わぬ体験。
そして、新たな経験。
食事配膳、食事介助、キッチン後片付け、入浴介助、お風呂掃除・・・・・
確かに大変なのだが、以外と苦痛ではなく、むしろ楽しかった。
今まで何度も見ていた人たちだったのだけれど、お世話をさせていただくと、ひとりひとりの素敵な個性が見えてくるものだなあ、と不思議な愛情を感じた。
しかも、他の方のお世話をしていると、そばで母が嬉しそうに笑っている(気がした)。
日頃、母の介護をして下さるスタッフさんとも、色々な話も出来る。
これからは、時々、こういう形で、母のそばでボランティアさせてもらうのもいいかしら、と思いました。
しかしさすがにこの3週間、身体に応えました。
認知症の入院は大変だと言うことがよぉ~くわかったし・・・。
一人では食事ができないので、誰かが付き添って介助しないとダメ。
私が行けなかったときの食事の記録を見たら、なんと食事量が10%だ。
想像通り、病棟では人手が足りず、食事に時間がかかる母にじっくりとつき合っている暇はないのです。
それからは叔母と交代で必ず食事介助。
オムツ替えも大変だった。これまた、人手不足で時間が来ないと替えてくれないので、ずいぶん自分でやりました。
えい、やーっ、という感じで、体力勝負。
今になって、かなり腰が痛くなってしまったし・・・。
言葉をほとんど理解できないので、片手に汚れたオムツを持ったまま泣きそうになったこともあった。
寝たままの状態の母をあっちに向けたりこっちにむけたりしながら、汗だく。
オムツ替えは、慣れるまで至難の業でした。
でも、あとで、介護士さんや看護師さんの介助を見ていると、なんでそんなに簡単に?と目を見張ることがあり、なるほどぉ~!!!という唸るようなコツを覚えました。
まじめにヘルパー2級の講習を受けに行こうかと思ったほど。
それにしても、今月はあっというまに過ぎてしまった。
この合間に、結婚して22年目を迎え、息子は15歳となった。
ゆっくりと気が利いたお祝いもしてあげられず・・・。
帰宅して、夕食が9時近くになり、食事を出し終わるや否や、疲れ果ててどこでも爆睡し、11時頃起きると、もう息子が寝てる、、、みたいな、またまたフルマラソンのような生活をしてしまった。
まあ、これも私の人生、私の運命やん・・・!
10月1日に入院して、約3週間。
大変だったけれど、ほんとね、いい時間だった。
絶対、私のことが娘だとわかっていると実感した。
記憶がきっと10秒以上は続かないけれど、一瞬、一瞬が、真実だと感じた。
認知症の人の感性って、健康な人よりずっと研ぎ澄まされているんじゃないかと思ったくらいだ。
母と一緒に、何度も笑って、
そして、ときどき、母の横で何度も泣いた。
悲しくて、切なくて、苦しくなって。
でも、そうやって真剣に向き合っているうち、
母に心から甘えることができている自分に気付き、
母と過ごしたたくさんの日々を思い出した。
それは、私自身の人生の振り返りとなった。
母のあったかいお腹に顔をうずめて、
わたし、ここから生まれてきたんだ~、
と全身で感じることができたし!(笑)
この年になってこんだけ母に触れられるのは、もしかして幸せじゃないですか~。
おでことおでこをくっつけると、母がおどけて笑う。
母の肩に顔を寄せたり、手をつないだり、一緒にベッドに潜り込んじゃったり・・・。
しかし、誰も話しかけなければ、母はほとんど無表情で、ぼんやり天井を見つめていることが多い。
ときどき、何かをぼそぼそ話している。
妄想の中で誰かと話をしているのだろう。
そんな姿をもう数え切れないほど見慣れてきているというのに、私はやっぱり悲しくなるのだ。
癌だって、何だって、イヤなことは、必ず慣れて気持ちが何も感じないようになっていけるというのに、
母のことだけは、なかなか慣れないのだ。
こんなになってまで、何が楽しくていきなくてはならないんだろう、
どんな生きている意味があるのだろうか、と何度も思った。
けれども、この3週間、何かとても大事なことをつかんだような気がする。
生きることに、何の意味も理由も必要なんか無いのだ。
生きていればいいのだ。
その人がそこで生きていてくれればいい。
何も言わなくても、たとえ何か言いたいことを伝えられないとしても、ただそっとそばにいてくれればいい。
人間の力はすごい。
愛という力でいかに生かされているか、ということを思い知らされた。
何の取り柄もない、何も出来ない、自分には何の意味もないと、
生きることに悩んでいる人がいたら、
大声で言ってあげたい。
生きているだけで、十分に素晴らしいのだと。
自分は気がつかなくとも、生きているだけで、必ず誰かに愛を与えているのだもの。
大きな愛を注いでくれた母に感謝します。
しかし、職員の一人の方が、急病でお休みとのこと。
退院のときは、ホームからお迎えに来てくれることになっていたが、
退院するという報告の電話をすると、
人手が足りないから入院を一日延ばして欲しいとのことで、
声の様子が、どうも切羽詰まった感じ・・・。
しかし、私の体力もだんだん限界に近づいてきたし、母もいつまでも病院で寝たっきりというのも困るので、自分で連れて行くことになった。
幸い母の足の筋力が衰えることなく、以前のように歩くことが出来たので、車の乗り降りも何とか私ひとりでできた!
しかし、お昼前に母を連れて行ってみると、あらまあ~大変~
認知症の老人8名がリビングに座っていたが、職員たったひとり?
その人、その男性のスタッフ一人で、てんてこまい。。。
もう見ていられなくなり、お手伝いすることとなった。
思わぬ体験。
そして、新たな経験。
食事配膳、食事介助、キッチン後片付け、入浴介助、お風呂掃除・・・・・
確かに大変なのだが、以外と苦痛ではなく、むしろ楽しかった。
今まで何度も見ていた人たちだったのだけれど、お世話をさせていただくと、ひとりひとりの素敵な個性が見えてくるものだなあ、と不思議な愛情を感じた。
しかも、他の方のお世話をしていると、そばで母が嬉しそうに笑っている(気がした)。
日頃、母の介護をして下さるスタッフさんとも、色々な話も出来る。
これからは、時々、こういう形で、母のそばでボランティアさせてもらうのもいいかしら、と思いました。
しかしさすがにこの3週間、身体に応えました。
認知症の入院は大変だと言うことがよぉ~くわかったし・・・。
一人では食事ができないので、誰かが付き添って介助しないとダメ。
私が行けなかったときの食事の記録を見たら、なんと食事量が10%だ。
想像通り、病棟では人手が足りず、食事に時間がかかる母にじっくりとつき合っている暇はないのです。
それからは叔母と交代で必ず食事介助。
オムツ替えも大変だった。これまた、人手不足で時間が来ないと替えてくれないので、ずいぶん自分でやりました。
えい、やーっ、という感じで、体力勝負。
今になって、かなり腰が痛くなってしまったし・・・。
言葉をほとんど理解できないので、片手に汚れたオムツを持ったまま泣きそうになったこともあった。
寝たままの状態の母をあっちに向けたりこっちにむけたりしながら、汗だく。
オムツ替えは、慣れるまで至難の業でした。
でも、あとで、介護士さんや看護師さんの介助を見ていると、なんでそんなに簡単に?と目を見張ることがあり、なるほどぉ~!!!という唸るようなコツを覚えました。
まじめにヘルパー2級の講習を受けに行こうかと思ったほど。
それにしても、今月はあっというまに過ぎてしまった。
この合間に、結婚して22年目を迎え、息子は15歳となった。
ゆっくりと気が利いたお祝いもしてあげられず・・・。
帰宅して、夕食が9時近くになり、食事を出し終わるや否や、疲れ果ててどこでも爆睡し、11時頃起きると、もう息子が寝てる、、、みたいな、またまたフルマラソンのような生活をしてしまった。
まあ、これも私の人生、私の運命やん・・・!
10月1日に入院して、約3週間。
大変だったけれど、ほんとね、いい時間だった。
絶対、私のことが娘だとわかっていると実感した。
記憶がきっと10秒以上は続かないけれど、一瞬、一瞬が、真実だと感じた。
認知症の人の感性って、健康な人よりずっと研ぎ澄まされているんじゃないかと思ったくらいだ。
母と一緒に、何度も笑って、
そして、ときどき、母の横で何度も泣いた。
悲しくて、切なくて、苦しくなって。
でも、そうやって真剣に向き合っているうち、
母に心から甘えることができている自分に気付き、
母と過ごしたたくさんの日々を思い出した。
それは、私自身の人生の振り返りとなった。
母のあったかいお腹に顔をうずめて、
わたし、ここから生まれてきたんだ~、
と全身で感じることができたし!(笑)
この年になってこんだけ母に触れられるのは、もしかして幸せじゃないですか~。
おでことおでこをくっつけると、母がおどけて笑う。
母の肩に顔を寄せたり、手をつないだり、一緒にベッドに潜り込んじゃったり・・・。
しかし、誰も話しかけなければ、母はほとんど無表情で、ぼんやり天井を見つめていることが多い。
ときどき、何かをぼそぼそ話している。
妄想の中で誰かと話をしているのだろう。
そんな姿をもう数え切れないほど見慣れてきているというのに、私はやっぱり悲しくなるのだ。
癌だって、何だって、イヤなことは、必ず慣れて気持ちが何も感じないようになっていけるというのに、
母のことだけは、なかなか慣れないのだ。
こんなになってまで、何が楽しくていきなくてはならないんだろう、
どんな生きている意味があるのだろうか、と何度も思った。
けれども、この3週間、何かとても大事なことをつかんだような気がする。
生きることに、何の意味も理由も必要なんか無いのだ。
生きていればいいのだ。
その人がそこで生きていてくれればいい。
何も言わなくても、たとえ何か言いたいことを伝えられないとしても、ただそっとそばにいてくれればいい。
人間の力はすごい。
愛という力でいかに生かされているか、ということを思い知らされた。
何の取り柄もない、何も出来ない、自分には何の意味もないと、
生きることに悩んでいる人がいたら、
大声で言ってあげたい。
生きているだけで、十分に素晴らしいのだと。
自分は気がつかなくとも、生きているだけで、必ず誰かに愛を与えているのだもの。
大きな愛を注いでくれた母に感謝します。
大変でしたね。
お疲れさまでした。
でも、愛を実感された文章を読んで、感動しました。そして愛を実感できるひとときを持てたこと、ちょっとうらやましかったです。
お疲れがでませんように。
また、おしゃべりしましょう。
今日も老人ホームへ行って来ました。
最近の私の癒しの場所です(笑)
来月、おしゃべり楽しみにしています。