今朝起きると、ようやく怠さが少し抜けたように感じた。
これだけで、どんなに気が楽なことか!
身体が自由に思い通りに動けるのだから。
今、ゲリラ的なものすごい雨が降っています。
まるで、昨日のJudyのように爆発しています・・
昨日のイライラは、きっと、
「何もかもが思い通りにならーーーーん!!」
と、手術後から約5ヵ月間、水面下で静かに耐えていた不満がいきなり爆発したような・・・
今もまだ、グレています・・
今週は、とことんグレまくろうと思うのだ
今日は、夕方、久しぶりに走った。
走り出したら、雨が降ってきたが、濡れながら走った。
要らないものを雨が洗い流してくれたら・・
と、祈るように走った。
『思い通りにならないこと』が、
Judyの大の苦手なことだったんだなあ、と、走りながら気付く。
しかし人生とは、思い通りにならないことがほとんどだろうが、
それでも、時々、どうしても、何が何でも、
思い通りにしたい!!と、
思うときがあった。
そのときは、がむしゃらに頑張るだけ。
寝る時間も惜しみ、食べる時間も忘れ、
ひたすら力の限り頑張った。
そうすると、必ず、ほぼ思い通りになってきた。
完全に思い通りにならなくとも、頑張った分だけ、
思い通りの満足感を得ることができた。
今までは!
しかし、手術してから、
抗ガン剤が始まってから、
どうも勝手が違う。
『体が思い通りにならない』ということが、
決定的だ。
頑張りたくても、身体が思い通りに言うことを聞いてくれないから、頑張れないのだ。
ガンになる前から、計画していた夢があった。
色々考えたが、こんな身体じゃ、体力的に無理だ。
しかも、無理をして、再発したり転移したりするのも困る。
命が大事か、夢が大事か・・・
しようがないじゃん!
と、潔くあきらめていたつもりだったのに、
思い通りにできないことに、
実はものすごい哀しみが残った。
それは、『仕事の意欲』のパワーになっていたので、大きな喪失感だったのだ。
癌、という出来事は、
私から、色々な『思い通り』に運ぼうとしていた夢を奪った。
ずっと、この1行を認めたくなかったので、
自分をごまかしてきたけれど、
そろそろしっかりと向き合わない限り、
引っかかり続けていた心の重石をリリースできないようだし、
先に進めない。
そういう時期にきたみたい。
思い通りにならないことに挑めないことのもどかしさ。
だいたい、こんな風に考えていることさえ恥ずかしい。
悔しい。
焦り。
あきらめ。
そんな自分の小ささがイヤになる。
最後の5kmを走っているときに、雨が強く降ってきた。
雨がまるで、自分を抱きしめてくれるように、感じた。
《よくがんばってるよ。いっしょうけんめい生きてるよ。》
そう言ってくれるように聞こえて、大泣きしながら走った。
私、やっぱり、絶対に、思い通りにするから。
癌なんかに、決して屈しない。
そのために、今回は、とことん悩もうと思います
これだけで、どんなに気が楽なことか!
身体が自由に思い通りに動けるのだから。
今、ゲリラ的なものすごい雨が降っています。
まるで、昨日のJudyのように爆発しています・・
昨日のイライラは、きっと、
「何もかもが思い通りにならーーーーん!!」
と、手術後から約5ヵ月間、水面下で静かに耐えていた不満がいきなり爆発したような・・・
今もまだ、グレています・・
今週は、とことんグレまくろうと思うのだ
今日は、夕方、久しぶりに走った。
走り出したら、雨が降ってきたが、濡れながら走った。
要らないものを雨が洗い流してくれたら・・
と、祈るように走った。
『思い通りにならないこと』が、
Judyの大の苦手なことだったんだなあ、と、走りながら気付く。
しかし人生とは、思い通りにならないことがほとんどだろうが、
それでも、時々、どうしても、何が何でも、
思い通りにしたい!!と、
思うときがあった。
そのときは、がむしゃらに頑張るだけ。
寝る時間も惜しみ、食べる時間も忘れ、
ひたすら力の限り頑張った。
そうすると、必ず、ほぼ思い通りになってきた。
完全に思い通りにならなくとも、頑張った分だけ、
思い通りの満足感を得ることができた。
今までは!
しかし、手術してから、
抗ガン剤が始まってから、
どうも勝手が違う。
『体が思い通りにならない』ということが、
決定的だ。
頑張りたくても、身体が思い通りに言うことを聞いてくれないから、頑張れないのだ。
ガンになる前から、計画していた夢があった。
色々考えたが、こんな身体じゃ、体力的に無理だ。
しかも、無理をして、再発したり転移したりするのも困る。
命が大事か、夢が大事か・・・
しようがないじゃん!
と、潔くあきらめていたつもりだったのに、
思い通りにできないことに、
実はものすごい哀しみが残った。
それは、『仕事の意欲』のパワーになっていたので、大きな喪失感だったのだ。
癌、という出来事は、
私から、色々な『思い通り』に運ぼうとしていた夢を奪った。
ずっと、この1行を認めたくなかったので、
自分をごまかしてきたけれど、
そろそろしっかりと向き合わない限り、
引っかかり続けていた心の重石をリリースできないようだし、
先に進めない。
そういう時期にきたみたい。
思い通りにならないことに挑めないことのもどかしさ。
だいたい、こんな風に考えていることさえ恥ずかしい。
悔しい。
焦り。
あきらめ。
そんな自分の小ささがイヤになる。
最後の5kmを走っているときに、雨が強く降ってきた。
雨がまるで、自分を抱きしめてくれるように、感じた。
《よくがんばってるよ。いっしょうけんめい生きてるよ。》
そう言ってくれるように聞こえて、大泣きしながら走った。
私、やっぱり、絶対に、思い通りにするから。
癌なんかに、決して屈しない。
そのために、今回は、とことん悩もうと思います
いうのも欲になってしまうのかな?
Judyさんは「生きる」よりも「生きて行く」、その行く先が欲しいのだよね。それを目指してやってきたのでしょ。達成できた時、生きていると感じるわけでしょ。そりゃ悩むよね。
命と夢はどちらも大事。
ただ、時たま優先順位が入れ替わるだけだよ。我が子(夢)を助けるために我が身(命)をかえりみない親がいる。
同様に命(我が身)があるから夢(我が子)と共に生きられる親もいるわけだ。
この二つに妥協点は無いに等しい。
時と場合でどちらかを選択するわけだ。生き方としてね。どちらにせよ決められるのは自分だけだもの。その時々で決めればいいのかもね。
貫く強さも大切だけど、くねくね曲がってみるのも手段かも。肌に合わないかもしれないけど。山登りと同じだ。やっぱりまっすぐ頂上を目指すのはキツイ。
たとえ夢が奪われても、希望は必ずあるさ。
焦らず、サボらず、あきらめず、だよ。
キテいます!!
こうして、自分を暴れさせるのも、生きたい欲が強烈だから、なのですよね。今は、ありのままの自分を受け入れるプロセスなのかな。
sabavianさん、
達成することが幸せなのではなく、達成するまでが幸せなのだと思います。でも達成なんてことは、どうでもよくて、
設定した夢に向かって歩くことを含めた、今まで設計してきた将来のイメージは、有り得るのだろうか・・・とか、
癌になったことによって、今後の人生対する不安や恐れに苛まれてしまったのですね。
これも、人生のお勉強だと思って、じっくりと向き合いたいと思っています。
怒る自分も意外と楽しんでいますので、大丈夫だよ!!
ありがとう。