Blogを書くのが久しぶりです。
去年の7月から受けてきたコーチングの研修が昨日終了しました。
3日間、10時に始まって6時に終わるというのは、毎回同じだったけれど、その前後の時間も頭の中がその研修でいっぱいになっていて、精一杯の毎日だっただす
それだけに、久々に、得た物の大きさに、感動しています
今まで、マダムJudyさまは、何事にも必死でトライしてきました。
このブログのタイトル、42歳美という課題も、自分へのひとつのチャレンジであります!
このままでいいの?このまま、年をとるだけでいいのであろうか?自分を研いていかねばならぬ!というトライです。必死です。
でも、その必死さは、何かから逃れるために、必死な自分を演じてきた気がします。
何から逃れたかったのか?
それは、恐怖。
このBlogのテーマの視点で語るのなら、老いて、いつか死ぬという恐怖なのかもしれません。
30代まではいつか死ぬとは漠然と感じていた感覚が、私はあと何年生きるかわからないけれど確実に死ぬということをはっきりと感じたことが、恐怖であり、焦りになったのです。
そして、Judyさまは、わがまましたい放題してきたことも認めますが、特に結婚してからは、自分のことは二の次で、いつもいつも誰かのために必死で生きてきたのでございます。
それでも、もっとその人達のためにやってあげられることはなかったのかと、後悔したり、力不足な自分を反省したり、だから、もっと強い自分でいられるために、自分を鍛えなければならない、と、息切れしながらも戦ってきたのです。
しかしながら、今回の研修で、その時その時の『今、その瞬間』は、ありったけのエネルギーでぶつかってきた自分を発見しました。
その時、もう、いいじゃーん、もっと自分のために生きようか、、、と、
疲れ果てた自分を見ました。誰にも頼らず、強くあらねばならぬと言い聞かせ、一人で戦い抜いてきたみたいな感じ。
弱い自分があってもいい。
肩肘張って、強がることもない。
誰かに頼りたいときは、すっぴんの自分になって、頼ればいい。
本当は、私が頼りたい人は、そんな自分も受け入れてくれるはずなのに、どこかで、絶対受け入れてくれないとブレーキをかけて、人を信用していない自分がいました。
100%の自分で相手に心を開かないのだから、そう感じるのも当然かもしれません。
ありったけのエネルギーは使っていても、上手に車を操縦できていないのに、ガソリンばっかり減っていくのと似てる。
もう、やめた。
そんな運転は、事故に遭い、傷を負う。
かっこいいスポーツカーに乗って、平然を装い、車がどこかにぶつかって、塗装がはがれても、自分でペンキをぬり、見た目は何も無かったように繕って、へたな運転をできるだけごまかしている感じだなー。けれど、そんなことに、もう飽き飽きしていた自分を今回の研修で発見せざるを得なかった。
へっこんでしまったら、誰かにお願いして修理すればいいし、自分の思い通りに好きに運転していけばいい。
助手席で道を誘導してくれるのなら、その誘導を信じて、助け合えばいい。
でもその人が車から降りたいときには、降ろしてあげればいい。
降りてどうするのか、心配でその人を手放せない自分がいたけれど、それは私の問題。
手放す恐怖と、新しい事に向かう恐怖。
その恐怖を感じたくないから、必死で走る。
もう、やめます。
いいところも、弱いところも含めて、ありのままの自分でいられることが、美しいJudyさま。
今、あらためて、美への挑戦に向かいます。
でも、ある意味、こうして書いてみると、必死さって好きなんだよねー、私の奥にある魂が求めている感じ。手放すことはしても、生き方は、必死というか、生きることへの情熱は、熱いっす!!
そんな必死な私も、私の持ち味である事も認め、それも含めて、ありのままの必死な私でしばらくやってみましょう。
まあ、結論的に、一言で言えば、『必死な無駄な抵抗はやめろ!』ということでしょうか。フゥー
去年の7月から受けてきたコーチングの研修が昨日終了しました。
3日間、10時に始まって6時に終わるというのは、毎回同じだったけれど、その前後の時間も頭の中がその研修でいっぱいになっていて、精一杯の毎日だっただす
それだけに、久々に、得た物の大きさに、感動しています
今まで、マダムJudyさまは、何事にも必死でトライしてきました。
このブログのタイトル、42歳美という課題も、自分へのひとつのチャレンジであります!
このままでいいの?このまま、年をとるだけでいいのであろうか?自分を研いていかねばならぬ!というトライです。必死です。
でも、その必死さは、何かから逃れるために、必死な自分を演じてきた気がします。
何から逃れたかったのか?
それは、恐怖。
このBlogのテーマの視点で語るのなら、老いて、いつか死ぬという恐怖なのかもしれません。
30代まではいつか死ぬとは漠然と感じていた感覚が、私はあと何年生きるかわからないけれど確実に死ぬということをはっきりと感じたことが、恐怖であり、焦りになったのです。
そして、Judyさまは、わがまましたい放題してきたことも認めますが、特に結婚してからは、自分のことは二の次で、いつもいつも誰かのために必死で生きてきたのでございます。
それでも、もっとその人達のためにやってあげられることはなかったのかと、後悔したり、力不足な自分を反省したり、だから、もっと強い自分でいられるために、自分を鍛えなければならない、と、息切れしながらも戦ってきたのです。
しかしながら、今回の研修で、その時その時の『今、その瞬間』は、ありったけのエネルギーでぶつかってきた自分を発見しました。
その時、もう、いいじゃーん、もっと自分のために生きようか、、、と、
疲れ果てた自分を見ました。誰にも頼らず、強くあらねばならぬと言い聞かせ、一人で戦い抜いてきたみたいな感じ。
弱い自分があってもいい。
肩肘張って、強がることもない。
誰かに頼りたいときは、すっぴんの自分になって、頼ればいい。
本当は、私が頼りたい人は、そんな自分も受け入れてくれるはずなのに、どこかで、絶対受け入れてくれないとブレーキをかけて、人を信用していない自分がいました。
100%の自分で相手に心を開かないのだから、そう感じるのも当然かもしれません。
ありったけのエネルギーは使っていても、上手に車を操縦できていないのに、ガソリンばっかり減っていくのと似てる。
もう、やめた。
そんな運転は、事故に遭い、傷を負う。
かっこいいスポーツカーに乗って、平然を装い、車がどこかにぶつかって、塗装がはがれても、自分でペンキをぬり、見た目は何も無かったように繕って、へたな運転をできるだけごまかしている感じだなー。けれど、そんなことに、もう飽き飽きしていた自分を今回の研修で発見せざるを得なかった。
へっこんでしまったら、誰かにお願いして修理すればいいし、自分の思い通りに好きに運転していけばいい。
助手席で道を誘導してくれるのなら、その誘導を信じて、助け合えばいい。
でもその人が車から降りたいときには、降ろしてあげればいい。
降りてどうするのか、心配でその人を手放せない自分がいたけれど、それは私の問題。
手放す恐怖と、新しい事に向かう恐怖。
その恐怖を感じたくないから、必死で走る。
もう、やめます。
いいところも、弱いところも含めて、ありのままの自分でいられることが、美しいJudyさま。
今、あらためて、美への挑戦に向かいます。
でも、ある意味、こうして書いてみると、必死さって好きなんだよねー、私の奥にある魂が求めている感じ。手放すことはしても、生き方は、必死というか、生きることへの情熱は、熱いっす!!
そんな必死な私も、私の持ち味である事も認め、それも含めて、ありのままの必死な私でしばらくやってみましょう。
まあ、結論的に、一言で言えば、『必死な無駄な抵抗はやめろ!』ということでしょうか。フゥー
成長には、年齢も何も関係ない。
もし成長や発展や、judyのいうところの「美」に限界があるとしたら、それはほかでもない「自分の意識」によるところだと思うよ。
人間のからだも脳も、そんな簡単なものじゃない。
もっと奥深くて、可能性に満ち溢れている。
世の中の固定観念、一般常識など、一旦一切捨ててしまって、感じるままに、五感に正直に生きてみよっ。
そうすれば、何かが変わってくるはず。
すでに、その兆候をしっかり感じているもんね。judyは^^。
私は君のその溢れるエネルギーやアイディアを恐れることなく、すべての事柄や周りのひとたちに使ってほしいと思います。
それをすることで、どう見えるかは気にしない・・・・・
そして、君に直接帰ってくる・・・・
幸せとか、楽しさ、もちろん美しさとかそんなものになって確実にJUDYに戻ってくると信じています。
わたしも、自分の感覚(五感、センス)を信じて
できることをどんどんやっていこうと思っています。
言いたいと思ったら言う、聞きたいと思ったら聞く、触りたいと思ったら触る(これは気をつけてください。相手が人だと・・・・・困るときもあるので、一応おことわりしてからにしないとね)やりたいと思ったらやる。これも注意しましょう
なんて・・・・・
でも、ほとんどスレスレです。
レイちゃんは脳に関してもうかなりエキスパートになってきましたが、今読んでいる本には、人間の本能に関わる欲求は、生物が人間に進化する以前からの歴史があるので、それは
生きるうえで、無意識に出てきてしまう・・・・・・
どんなにすごい宗教家や哲学者でもその欲求が、出てくるのを抑えることはできなかったらしいです。逆にいうと、社会生活で抑えなければならない場面はあるので、それがストレスになることは確かです。でも私たちはもう、あまり抑えなくても大丈夫・・・・・・・
危険なことにはならないよ。
だから、思ったように、自然に身を任せてみましょうよ・・・・・・
絶対うまくいくと思うから・・・・・・
ね。・・・・・・・・・
Love You
固定観念、自分の意識の持ち方によって人生のあり方まで変わって行くということを確実に骨の芯まで確信しています。固定観念を手放す事が出来た事がCTIと出会った一番の収穫だと思います。固定観念というものの恐ろしさを今しみじみと感じます。自分を100%信じて、失敗も恐れず、今まで以上に前向きに進んで行きたいと思います。これからもよろしくね!