片山日出雄大尉のことを読まれた方が、下記のようにコメントしてくださいました。
「読ませていただいて、つらくなります。
正直者がどうしてこのようなつらい思いをさせられるのでしょうね。」
ほんとですよねえ。読むのがつらくなることと思います。
それが原因か確認はできませんが、この記事を転記し始めて、二人のフォロワーさんが去って行かれました。
残念ですが、仕方のないことですね。
少し脱線しますが、私は沖縄県西原町の出身です。
司令部があった首里から近く、米軍の通り道になったため、沖縄戦の中でも一番激しい地上戦が繰り広げられ、住民の半分が死にました。
十数年前、役場が戦争体験記を募集しまして、母も応募したのですが、私は聞き取りと文章のまとめを手伝いました。
あまりにも凄まじいことばかりで、話が終わらなくなりますので、ここでは書くのはやめておきます。
話を戻します。
片山大尉は実に勇敢に戦ったと思います。
自分の刑が確定しているのに、他人のために奔走しました。
そうは言っても29歳の青年です。
彼は自分を弱い人間として、ゲッセマネの祈りを日々祈ったと告白しています。
ゲッセマネの祈りとは、イエス・キリスト十字架刑になる前夜に祈った祈りです。
「父よ、御旨ならばこの杯を我より取り去りたまえ。
然れど我が意にあらずして御意の成らんことを願う」
片山大尉も同じ祈りをしています。
彼は処刑の朝、執行者に向かって
「おはよう、皆さん。心ならずも今日このような苦しい立場に置かれて、私を処刑しなくてはならない皆さまに心から同情申し上げます。」
と祈っています。
人格者であったとしても、一人の若者に、こんなことができるでしょうか。
私はやはり、彼は撰ばれた人であり、見えざる力が働いて彼をたたせてくれたと思います。
だからこそ、彼が書き遺した日記や遺書、手紙が詳細に書き写され、危険を冒してまでも日本に持ち帰られ、遺族や関係者のもとに届けられ、今も、大きく用いられているのだと思います。
地上での与えられた道のりを勇敢に走り抜け、今は義の冠を与えられているのだと思います。
最後まで読んだいただいた方、ありがとうございました。