原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「カリスマ主婦」って何様だ?!

2007年09月08日 | その他オピニオン
 3、4ヶ月程前の話になるが、NHKのトーク番組に君島十和子が出演していた。この方、結婚前の吉川十和子時代から女優としてのご活躍の程はともかく、とにかく完璧に美しい女性であり、私は個人的に好感を持たせていただいている。ご結婚後は女優として表舞台に立つ姿をお見かけしたことはないが、ここのところ、「カリスマ主婦」としてその名を轟かせていらっしゃるようだ。このトーク番組でも、主婦としてのカリスマ性をアピールしておられた。
 この方以外にも、「カリスマ主婦」のレッテルを振りかざしている中年の女性タレントが何人か存在する。CKやRMがその代表格であろう。(と言いつつ、私は残念ながらこの方々のことはあまり存じていない。元モデルさんだった云々の話は耳にするが、映像や写真を拝見しても美人ではあるものの、何かをアピールするがごとくのインパクトもなく特徴がとらえにくい女性たちのため、申し訳ないがあまり興味もわかない。)
 さて、近頃なぜ「カリスマ主婦」とやらが一部のマスメディアの間でもてはやされているのかにつき、次に考察してみることにしよう。今から約20年ほど前に男女雇用機会均等法が施行された頃、「キャリアウーマン」なる言葉が流行った。それに伴い専業主婦の地位が相対的に低下の一途を辿らざるを得ないこととなる。そこで一部の専業主婦たちは自分達の名誉回復に躍起になったようだ。そのような中、出現したのが「カリスマ主婦」なのではなかろうか。すなわち、就業の有無にかかわらず“主婦業”をそつなくスマートにこなしている女性に社会的地位を与えようという心理の表現と位置づけられるのではなかろうか。
 だが、ちょっと待って欲しい。そもそも“主婦業”とはいったい何であろうか。子育ては別問題として、食事の準備、片付け、掃除、洗濯…、それら身の回りの雑務は、本来、老若男女を問わず自立の第一歩として誰もが自分自身でこなすべき性質の業である。その業を役割分担して主婦が担当することに全面的に異を唱える訳ではないが、それがそつなくスマートにこなせたからといって、それで社会的地位を得ようとする程大袈裟な事でもないであろう。
 「カリスマ主婦」は細分化しているようで、料理、家計、収納等々の“専門”分野でご活躍中の主婦も出現している。個人的には料理の分野だけは自分が苦手なため、尊敬の念を抱かないでもないのだが…。その他の分野に関しては、マスメディアが取り上げる「カリスマ主婦」を拝見する限りでは内容的に専門性が高いとは言えず、「カリスマ」と名乗るにはお粗末と言わざるを得ない。ご本人が趣味でやっていらっしゃる分にはご自由だが、これを職業として収入を得ることはちょっと図々しすぎるのではなかろうか。
 「カリスマ主婦」として一時的にマスメディアに取り上げられた女性の離婚が多いのも必然的な話であるが、その方々の今後のタレント生命を拝察申し上げると、そんなことのために払った犠牲も大きいのではなかろうかと老婆心ながら心配申し上げる次第である。
 話は戻って、君島十和子さんは40歳を過ぎた今でも輝くように美しい。その美しさで、君島家の広告塔としての役割は十分に果たしていらっしゃると思う。プライベートで“主婦業”に励まれる分には何の問題もないが、「カリスマ主婦」の冠ははずされてはいかがか。生来の美しさを磨かれつつ、表舞台ではプロフェッショナルの広告塔として燦然と輝くことに徹された方がよっぽどカリスマ性が高いのではないかと、私は思うのだが…。
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美の呪縛

2007年09月08日 | その他オピニオン
 昔から“才色兼備”という言葉があるように、才能と美貌を兼ね備えていられるならばそんなすばらしいことはない。
 ところが近年、この“美しさ”が全国民の義務となったのではないかと思うほど、美しくあるべきことがノルマ化されているがごとくの場面によく出くわす。また同時に、“美”の基準が画一化しているようにも感じられる。
 先日、私用で都内の某オフィスを訪ねたときのことだ。私と同年代の担当者とお会いしたのだが、一通りの用件が終わると、こともあろうにその女性は私の薄毛を指摘し始めるではないか。第一その方とは初対面であるし、美容目的で伺った訳でもないため、いい年をして不躾にずい分と失礼な事を言う人だと、私はその方の常識を疑い唖然としていた。ところが、その女性はひるむことなく私に薄毛対策をあれこれ伝授し続ける。私とて美的感覚は決して鈍い方ではないと自負しているし、当然ながら現在薄毛を気にしており、自分なりにどうにか対処したいと思いあれこれ手立てはしている。だが、元々医学的知識のある私は、そもそも更年期以降の高齢者の薄毛対策はそう簡単にはいかないことは承知の上である。それに、薄毛対策よりも優先してやるべき事が日々盛りだくさんである。それ故にその女性の不意打ちには呆れるばかりであった。そうは言いつつ、薄毛で外を出歩く事がそんなに目障りなことなのかと、打ちのめされた感も正直なところあった。
 別件であるが、私の知人が現在、小学生の娘さんの歯の矯正をしていると言う。私の認識では、そのお嬢さんは十分に可愛らしい女の子で特に歯並びが悪い印象もないため、何であえて矯正するのか確認した。知人の話によれば、お友達の女の子が(その子も元々歯並びが悪かった訳ではないそうだが)、歯の矯正をしたら見違えるほど美人になったらしいのだ。それで追随しているということだが、今度は中学生のお兄ちゃんまで歯の矯正をしてイケメン度を上げるそうだ。(念のため、歯の矯正に関しては、審美目的のみではなく、本人の健康上、医学的に要請されることもあることは皆さんご承知の通りである。)
 今や世間では、歯の矯正やプチ整形はエチケットとして常識化しているようにさえ見受けられる。聞くところによれば、近年の芸能界では美容整形と審美目的の歯並び矯正はデビューの最低条件であるらしい。私と同年代の女優や歌手やタレントは皆、しわ伸ばし整形をして不自然なテカテカ顔をしているし、旧小泉チルドレンはじめ議員のおばさん達は、チンドン屋じゃあるまいし皆そろって厚化粧でケバケバと原色のスーツを着て、トップレディたる者が何であんなに悪趣味なのかと首をかしげざるを得ない。(ただし、政治家の場合は、あれでまさか美しさを競っている訳ではなく、とにかく目立つ事が第一義的なのであろうが。)
 確かに人間、第一印象は肝心だ。人の魅力を測る尺度として外見的要素が大きな割合を占めることも事実だ。だが、人間は生き物である以上、結局はやはりその生き様に惹かれるものである。特に年齢を重ねていくと、自ずと生き様が外見を形作ってくるものでもある。
 画一的に故意に仕立てられた“美”も、ひとつの努力として認められるべきかもしれない。ただ、その美しさは一時しのぎでしかなく、真の意味での美貌が手に入ったことにはならないであろう。その画一的美しさをゲットしたならば、次は自分なりの美意識を持ち、さらなる骨太美人をめざすべく引き続き日々努力を続けよう。