七草粥を食する節句日(「1月7日は人日(じんじつ)の節句と言われているそうだが)の昨日、私は遅ればせながら新年の初詣に出かけた。
何故初詣がこれ程遅くなったかの一番大きな理由は、我が家に程近い場所に位置する神社が(その所以は心得ていないのだが)とにかく毎年初詣の時期はゲロ混み状態の人気神社だからだ。
都心にして閑静な住宅地の中にひっそりと佇む小規模神社であり、周囲の住民人口も多くない。 なのに何故これだけの人また人が長蛇の列(元旦などその列が道路に沿って1km以上続くし、3が日が開けてもまだ参拝の列に並び順番待ちをしないと神社に入れない程)を成してまでこの神社へ初詣をするのかをそのうち知りたいとは思っている。
私はあくまでも混雑を避けたいとの理由で昨日になってやっと当該神社を訪れたところ、さすがに順番待ちはせずに済んだが、この時期にして未だ絶え間なく参拝者が訪れている。
参拝後、昨年は引く事がままならなかった「おみくじ」の札が入った竹筒をリズミカルに何度も振って引くと、「第八番 中吉」 と出た。
その内容をじっくりと読んでみたところ、なかなかの運勢のようだ。 「吹く風に 沖辺の波の 高けれど 心静けさ 我が港かな」 なるほどねえ。 世界情勢も国内情勢も、そして我が家の情勢もまだまだ高波が押し寄せるだろうが、私こそが心静かに落ち着いて行動すれば幸多かれ、と我が身息災に解釈し、そのおみくじを木には結ばず鞄の中にお守り代わりに入れた。
その後義母の財産管理に係る所用等があり銀行を訪れねばならず、神社から隣の駅まで徒歩で向かう事とした。
我が土地勘によりある程度その道のりを把握していた(つもりだった)にもかかわらず、どうやら道に迷ってしまったようだ。 それでも方角感覚だけは正しいと信じその道を突き進んだところ、(我が脳裏にある)地図上の方向とはまったく異なる地名の街に出てしまった。
これはもしかしたら、とんでもない遠方へ歩いてしまったのか?? こういう場合には人に道を尋ねるしかない。 それにしても、閑静な住宅街にして自転車はスピードを上げて歩道を“そこどけ!”とばかりに徒歩の我が横をすり抜けるものの、誰一人として人が歩いていないではないか。 あっ、やっと工事現場で作業している人を見つけた。ただどう考えてもこの人地元の人じゃないなあ… そうだ!コンビニで道を聞こう。でも、大の大人が何も買い物せずして道だけ尋ねるのも気が引けるしねえ…
そうこうしているうちに、逆方向から歩道を歩いてくるお年寄り女性を発見した! この人こそが我が道先案内人!と標的を定め、「すみませんが○○駅までの道順をご存知ですか?」と尋ねた。
ここから今回エッセイの本題テーマに入る。
そうしたところその高齢女性がおっしゃるには、「私は今散歩中ですが、ちょうど家へ帰る途中に○○駅がありますので、ご一緒しましょう。」 そのお言葉は有り難いものの、お年寄りのご迷惑を考慮して私曰く、「それはとても嬉しいのですが、駅はここから近いのでしょうか?」 お年寄り曰く「直ぐ近くです。私もちょうど話し相手が欲しいところでした。」
現在義母実母両人の面倒を看ている私にとって、お年寄りの相手は“お手の物”だ。 よし、“話し相手”が欲しかったとおっしゃる行きずりのお年寄り女性の“お相手”を務めながら駅へ向かおうと志した!
ところがどっこい、この女性意外と言葉少ない方でいらっしゃる。 そこでこちらから個人情報に配慮しつつそれとなく会話を持ち出すと、そこそこ丁寧に応えて下さる。 一応70代の女性である事を聞き出した事実と、この女性の徒歩力が素晴らしい(私が無理してゆっくり目に歩調を合わせずして同じ速度で歩ける体力を有しておられた)事を勘案し、我が義母実母よりずっとお元気なお年寄りと結論付けたのだ。
それにしても、当該女性が「○○駅はすぐ近くです」とおっしゃったにもかかわらず、道案内道中にかかった時間は15分程と決してすぐ近くではなかったのが印象的だ。
女性はきちんと私を駅の近くまで案内下さり、「私は左を曲がって家へ帰りますが、貴女はどうされますか?」と別れ際にさりげなく尋ねて下さる。 「これから駅近の銀行へ寄って、その後○○スーパーで買い物をしてから電車に乗って自宅へ帰ります。」と応えると、ニコニコ笑顔で左側の自宅方面へ向かわれた。 その笑顔が嬉しくて、私は「また偶然道でお会いできるといいですね!」と返しつつ銀行へと向かった。
私見だが、上記の高齢女性は口では「ちょうど話し相手が欲しかった」と言われたが、その真実とは(誰でもいいから短時間でいいから)「横に並んで一緒に歩いてくれる人が欲しかった」のではなかろうか? と私は考察するのだ。(おそらく一人暮らしをされている方と推測するが。)
我が義母・実母のごとく平均寿命が近づき多少痴呆が混ざって来た年齢ではなく、まだまだ日々散歩が叶う脚力も、見知らぬ相手に失礼なく対応可能な能力も完備されておられる。
それでも、行きずりの私に「話し相手が欲しい」なる言葉を発してくれる事実を嬉しいと思う反面、どうしてもこの国の社会保障制度不備状態に目を向けざるを得ない。
時を同じくして、朝日新聞夕刊1月6日付記事 作家 池澤夏樹氏による 「隣人と認め合う努力 一緒に行きましょう」 なるエッセイを発見した。
(昨日まさに私など隣人である地域住民高齢者女性と偶然出逢え、一時認め合えて駅まで一緒に行けた感覚だが… )
それでは、上記池澤夏樹氏によるエッセイの後半部分から一部を以下に紹介しよう。
我々日本人はまこと幸運だった。 古代、日本語という一つの言葉のもとに国の体制を作ってから1945年の敗戦に至るまで異民族支配を知らないで済んで来た。 世界史年表をいくらみてもこんな国はない。
片や大陸では国境線とは勢力によって自在に動くものだ。 民族との概念は一方で結束によって力を生み、他方で敵対関係を作る。
我々日本人は、そんな事を何一つ知らないままやって来れた。 自分達と異なる人と接する訓練をしてこなかった。
(池澤様、大変申し訳ございませんが、今回原左都子の都合のいい部分のみ引用させて頂いた事をお詫び申し上げます。)
最後に私論に入ろう。
昨日偶然出会えた70代高齢者女性は、幼き頃に戦中を生きて来られた人物であろう。 おそらく、その世代の日本民族とは皆同じイデオロギーの下にこの国を支えつつ、皆が同じ価値観で行動してきた(ご本人の意思によらずとも)と判断する。
だからこそ見知らぬ私が突然道を尋ねたにもかかわらず、ご婦人は好意的に反応して下さったのではなかろうか? その認識とは日本国民が異種民族知らずに歩んで来た道程の一端であり、私とて喜んでその思いに応えたいものだ。
ところがこの国の国民達は、一体いつから(一部を除き)民族差が無いとも言える国民同志で“人と接する事”自体を億劫と捉え、回避し始めたのか?
この国に於いて「人間関係の希薄化」が加速し始めたのは今に始まった事ではない。
同種民族がほとんどの日本国内に於いて、何が原因でこの国の「人間関係希薄化」がこれ程までに蔓延ってしまったのか??
それを結論付けられてこそ、現政権が国内・国外関係なく有意義な国際政策を初めて打ち立てられると私は信じるのだが…
我が国が高度経済成長期以降歩んだ“平和ボケ”国民性を解消せずして、更には(特に行きずりの)人とかかわらない人種を増産してしまった過ちを国政が反省せずして、真の「平和」がこの国に訪れるすべもないであろうに…。
何故初詣がこれ程遅くなったかの一番大きな理由は、我が家に程近い場所に位置する神社が(その所以は心得ていないのだが)とにかく毎年初詣の時期はゲロ混み状態の人気神社だからだ。
都心にして閑静な住宅地の中にひっそりと佇む小規模神社であり、周囲の住民人口も多くない。 なのに何故これだけの人また人が長蛇の列(元旦などその列が道路に沿って1km以上続くし、3が日が開けてもまだ参拝の列に並び順番待ちをしないと神社に入れない程)を成してまでこの神社へ初詣をするのかをそのうち知りたいとは思っている。
私はあくまでも混雑を避けたいとの理由で昨日になってやっと当該神社を訪れたところ、さすがに順番待ちはせずに済んだが、この時期にして未だ絶え間なく参拝者が訪れている。
参拝後、昨年は引く事がままならなかった「おみくじ」の札が入った竹筒をリズミカルに何度も振って引くと、「第八番 中吉」 と出た。
その内容をじっくりと読んでみたところ、なかなかの運勢のようだ。 「吹く風に 沖辺の波の 高けれど 心静けさ 我が港かな」 なるほどねえ。 世界情勢も国内情勢も、そして我が家の情勢もまだまだ高波が押し寄せるだろうが、私こそが心静かに落ち着いて行動すれば幸多かれ、と我が身息災に解釈し、そのおみくじを木には結ばず鞄の中にお守り代わりに入れた。
その後義母の財産管理に係る所用等があり銀行を訪れねばならず、神社から隣の駅まで徒歩で向かう事とした。
我が土地勘によりある程度その道のりを把握していた(つもりだった)にもかかわらず、どうやら道に迷ってしまったようだ。 それでも方角感覚だけは正しいと信じその道を突き進んだところ、(我が脳裏にある)地図上の方向とはまったく異なる地名の街に出てしまった。
これはもしかしたら、とんでもない遠方へ歩いてしまったのか?? こういう場合には人に道を尋ねるしかない。 それにしても、閑静な住宅街にして自転車はスピードを上げて歩道を“そこどけ!”とばかりに徒歩の我が横をすり抜けるものの、誰一人として人が歩いていないではないか。 あっ、やっと工事現場で作業している人を見つけた。ただどう考えてもこの人地元の人じゃないなあ… そうだ!コンビニで道を聞こう。でも、大の大人が何も買い物せずして道だけ尋ねるのも気が引けるしねえ…
そうこうしているうちに、逆方向から歩道を歩いてくるお年寄り女性を発見した! この人こそが我が道先案内人!と標的を定め、「すみませんが○○駅までの道順をご存知ですか?」と尋ねた。
ここから今回エッセイの本題テーマに入る。
そうしたところその高齢女性がおっしゃるには、「私は今散歩中ですが、ちょうど家へ帰る途中に○○駅がありますので、ご一緒しましょう。」 そのお言葉は有り難いものの、お年寄りのご迷惑を考慮して私曰く、「それはとても嬉しいのですが、駅はここから近いのでしょうか?」 お年寄り曰く「直ぐ近くです。私もちょうど話し相手が欲しいところでした。」
現在義母実母両人の面倒を看ている私にとって、お年寄りの相手は“お手の物”だ。 よし、“話し相手”が欲しかったとおっしゃる行きずりのお年寄り女性の“お相手”を務めながら駅へ向かおうと志した!
ところがどっこい、この女性意外と言葉少ない方でいらっしゃる。 そこでこちらから個人情報に配慮しつつそれとなく会話を持ち出すと、そこそこ丁寧に応えて下さる。 一応70代の女性である事を聞き出した事実と、この女性の徒歩力が素晴らしい(私が無理してゆっくり目に歩調を合わせずして同じ速度で歩ける体力を有しておられた)事を勘案し、我が義母実母よりずっとお元気なお年寄りと結論付けたのだ。
それにしても、当該女性が「○○駅はすぐ近くです」とおっしゃったにもかかわらず、道案内道中にかかった時間は15分程と決してすぐ近くではなかったのが印象的だ。
女性はきちんと私を駅の近くまで案内下さり、「私は左を曲がって家へ帰りますが、貴女はどうされますか?」と別れ際にさりげなく尋ねて下さる。 「これから駅近の銀行へ寄って、その後○○スーパーで買い物をしてから電車に乗って自宅へ帰ります。」と応えると、ニコニコ笑顔で左側の自宅方面へ向かわれた。 その笑顔が嬉しくて、私は「また偶然道でお会いできるといいですね!」と返しつつ銀行へと向かった。
私見だが、上記の高齢女性は口では「ちょうど話し相手が欲しかった」と言われたが、その真実とは(誰でもいいから短時間でいいから)「横に並んで一緒に歩いてくれる人が欲しかった」のではなかろうか? と私は考察するのだ。(おそらく一人暮らしをされている方と推測するが。)
我が義母・実母のごとく平均寿命が近づき多少痴呆が混ざって来た年齢ではなく、まだまだ日々散歩が叶う脚力も、見知らぬ相手に失礼なく対応可能な能力も完備されておられる。
それでも、行きずりの私に「話し相手が欲しい」なる言葉を発してくれる事実を嬉しいと思う反面、どうしてもこの国の社会保障制度不備状態に目を向けざるを得ない。
時を同じくして、朝日新聞夕刊1月6日付記事 作家 池澤夏樹氏による 「隣人と認め合う努力 一緒に行きましょう」 なるエッセイを発見した。
(昨日まさに私など隣人である地域住民高齢者女性と偶然出逢え、一時認め合えて駅まで一緒に行けた感覚だが… )
それでは、上記池澤夏樹氏によるエッセイの後半部分から一部を以下に紹介しよう。
我々日本人はまこと幸運だった。 古代、日本語という一つの言葉のもとに国の体制を作ってから1945年の敗戦に至るまで異民族支配を知らないで済んで来た。 世界史年表をいくらみてもこんな国はない。
片や大陸では国境線とは勢力によって自在に動くものだ。 民族との概念は一方で結束によって力を生み、他方で敵対関係を作る。
我々日本人は、そんな事を何一つ知らないままやって来れた。 自分達と異なる人と接する訓練をしてこなかった。
(池澤様、大変申し訳ございませんが、今回原左都子の都合のいい部分のみ引用させて頂いた事をお詫び申し上げます。)
最後に私論に入ろう。
昨日偶然出会えた70代高齢者女性は、幼き頃に戦中を生きて来られた人物であろう。 おそらく、その世代の日本民族とは皆同じイデオロギーの下にこの国を支えつつ、皆が同じ価値観で行動してきた(ご本人の意思によらずとも)と判断する。
だからこそ見知らぬ私が突然道を尋ねたにもかかわらず、ご婦人は好意的に反応して下さったのではなかろうか? その認識とは日本国民が異種民族知らずに歩んで来た道程の一端であり、私とて喜んでその思いに応えたいものだ。
ところがこの国の国民達は、一体いつから(一部を除き)民族差が無いとも言える国民同志で“人と接する事”自体を億劫と捉え、回避し始めたのか?
この国に於いて「人間関係の希薄化」が加速し始めたのは今に始まった事ではない。
同種民族がほとんどの日本国内に於いて、何が原因でこの国の「人間関係希薄化」がこれ程までに蔓延ってしまったのか??
それを結論付けられてこそ、現政権が国内・国外関係なく有意義な国際政策を初めて打ち立てられると私は信じるのだが…
我が国が高度経済成長期以降歩んだ“平和ボケ”国民性を解消せずして、更には(特に行きずりの)人とかかわらない人種を増産してしまった過ちを国政が反省せずして、真の「平和」がこの国に訪れるすべもないであろうに…。