原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「発達障害」の多様性

2018年09月25日 | その他オピニオン
 本日いつものように昼の時間帯にNHKテレビを付けていたら。

 午後12時45分から始まる“連ドラ”再放送の3分程前から、「普通ってなんだろう?」と題する発達障害を取り上げた番組の予告編のような、短時間ショット番組を偶然見ることとなった。

 その番組に登場したのは、現在15歳との男子だったのだが。
 この少年が長身スリムで何と言うのか、カッコイイ雰囲気の男の子で、その外見を一見するからに既に“自己を創り上げている感覚”を私は抱いた。
 
 この少年こそが「発達障害児」であるようなのだが、彼の「発達障害ぶり」が実に特異的だったのだ。


 娘のサリバン業を幼少の頃より主体的に担当している我が身にして、今までの人生に於いて数々の「発達障害児」と接する機会があった。
 故に、発達障害児(者)達と一言でいえどもその実態には大いなる“多様性”があることは熟知している。

 (本日のエッセイでは、既に20代半ばに達し曲がりなりにも社会人として⦅活躍?⦆している我が娘の事例を取り上げる事に関し本人の名誉を尊重し敢えて“小出し”にするが、我が娘もかなり“個性的”な部類ではあろう。)


 「発達障害児」の中で何と言っても一番問題なのは、他者に迷惑を及ぼす特質を持つ人材だろう。
 例えば、ADHD などは多動性があり落ち着きがない事で著名だが。 この児童が教室に一人存在するだけで教室内の風紀が乱れ周囲に迷惑を及ぼすため、教育現場ではその対応に困惑することであろう。

 あるいは、暴力気質がある発達障害者も困りものだ。
 当然ながら女子にもこの部類の子が存在するが、我が娘も某発達障害研究所内で人目が無い時に、この気質を抱える少女に殴る蹴るの被害を受けている。

 そうではなく他者に全く迷惑が掛からない「発達障害児」は、その存在が放置されてしまう危険性がある。 
 (まさに我が娘がこの部類だ。 世には、他者に迷惑が掛からないのならばそれは「障害」ではないとの見方もあるようだが…。 ところが「発達障害」と一旦名が付けば、それを放置しておけば脳が“退化の一途”を辿るのみであり、早期発見、そして幼少期からの支援は絶対に欠かせない。 脳医学分野の話をここで少し披露するならば、ヒトの脳とは生来的な要因に左右されるのはもちろんだが、発達期に於ける外部からの刺激(働きかけ)により目覚ましいまでの発展を遂げる可能性も秘めていて、既にそれが証明されてもいる。 要するに、人間の脳とは育つ環境により更なる「発展」を遂げ得るのだ! だからこそ、「発達障害児」の支援は今後も必須である!)


 冒頭に紹介した、15歳の少年に話を戻そう。

 この少年の「発達障害」の特徴とは、とにかく“手書きの文字が書けない”との事実に尽きるようだ。
 NHKの取材には少年一人で応じていたのだが、我が印象では「頭脳明晰」「自己表現力豊か」そして何と言ってもその「会話力」の程が素晴らしい!

 この少年が「字が書けない」!!?? 
 にわかには信じ難かったものの、実際にこの少年が文字を書く場面が映し出されて私は愕然とした。
 本当に書けない!!  のだ。 
 (娘のサリバン業を20数年務めている私にして、この種の「発達障害児」とは初対面だった。) 

 ただ、この少年が持って生まれた能力と、生後培って来た能力の両者の程が素晴らしい。 おそらく生育家庭環境に恵まれつつ、少年は発達を遂げたのであろう。
 それでも、やはり途中不登校に苛まれる歴史も経験してきた様子だ。
 少年曰く、「来年高校進学が待っているが、自分としては既に自分自身がある程度紡いできた“美術方面”への進出を目指したい」 

 ここで、残念ながら両親からの「No!」が噴出してしまった。
 少年は抵抗したものの……
 結果としては、ご両親の意向に従って通信制高校への進学を決定したようだ。


 我が娘の話題は控えると冒頭で宣言したものの……

 我が娘に関しては、我がサリバン指導に従い何のコネも無くして大学進学まで従順に歩んでくれた。 それが現在の娘自身の就職にも繋がった事は絶大なる事実だが。
 それもサリバンの私が娘の“真面目かつ勤勉”なる特質を幼少の頃より見抜きつつ方向性を指南し、二人三脚で共に歩んで来たからに他ならないと自負している。

 このNHK番組の少年の場合、未だ15歳にして我が娘よりもずっと高度な脳内思考力に恵まれていると私は推測する。
 どうして、そんな類まれな息子氏の脳内思考力に親どもが気が付かないのか!! 下手に「高校は出ておくべきだ」なる陳腐な一般論を持ち出すよりも、息子氏の潜在能力を見抜く事が先決問題だろうに…
 ただまあ、少年が進んだ道筋が「通信制高校」である事をラッキーとしよう。 (まかり間違って普通高校などへ行ったものなら、その貴重な能力が必ずや潰されるであろう嫌な予感がある… )
 おそらくこの「発達障害少年」は自由度が高い通信制高校を難なく通過して、更なる美術系大学進学を果たすことだろう。


 ただ、一般人からの「発達障害」とは障害でなく単に個性だ! との怒りの程も少し理解出来る気もする。
 発達障害児を取り上げたメディア番組で登場するのは、比較的豊かな家庭の子どもばかりではなかろうか??
 (我が家は決してそうではないが、娘の発達障害に母親であるサリバン自らが気付き、自宅内で支援可能な学際力ある家庭である事が幸いしているかもしれない…)

 その印象が庶民間で根強いが故に、我が国に於いては今の時代に至って尚、「発達障害」など障害ではない! なる反発が勃発するのだろうかと、少し悲しく考察したりもするのだが……