近代市民法とは何か?
近代市民社会において施行されている法のこと
近代っていつ? → 市民革命以降の時代
市民社会って何? → 資本主義社会が市民社会
(社会主義社会は市民社会とは言わない。
生産手段の社会的所有により横並び社会では
あるが、反面、自由が制約されているため。)
我が国における近代市民法とは?
私権を確立するために制定された私法の基本法である「民法」のこと
これに対し、「憲法」とは、国家統治のあり方を定めた根本規範
政治指針であり、具体的な権利義務は表れない
近代市民法の根本理念 = “自由と平等”
ここから、次の3つの基本原理が導き出される。
↓
近代市民法の基本原理
○所有権絶対の原則
○契約自由の原則
○過失責任の原則
○所有権絶対の原則とその修正
所有権絶対の原則とは
近代市民法の根本理念 = “自由と平等” であるならば、
個人が自由な意思で、平等な地位において手に入れた財産権、特に
その代表的な所有権は何人によっても侵害されない、という原則
↓
この財産権をどのように行使しようが、これまた自由
= “権利行使自由の原則”
権利を行使する過程において他人に損害を与えようと、法に触れない
範囲内でならば責任は問われない。
資本主義経済の高度発展は、この原則に負うところが大きい。
しかし…
資本主義の発展 → 貧富の格差の拡大
一握りの独占企業がみずからの財産権を行使することにより
他人に損害を与えてもよいのか?多くの人が不幸になってもよいのか?
例: 公害問題、現在多発中の賞味期限偽造問題、etc…
20世紀に入ってから、この基本原理に歯止めがかかった。
「公共の福祉」 = 社会全体の共同の幸福 の思想の導入
この枠を超える権利の行使は 「権利の濫用」となる。
ワイマール憲法153条3項「所有権は義務を伴う」
(「公共の福祉」を世界に先駆けて明文化した。)
このように、「所有権絶対の原則」に制限を設けた。
ところが、この「公共の福祉」概念は抽象的かつ曖昧であり、
“諸刃の剣”の側面もあるという弱点を抱えている。
個人の自由が制限される。
権力者がこのような尺度を利用して、私権を恣意的に侵害する
危険性もある。
両者の整合性を取ることは、今なお困難な課題である…
次回の“左都子の市民講座”において、「近代市民法の基本原理とその修正(その2)」と題して「契約自由の原則」を、次々回「同(その3)」と題して「過失責任の原則」について解説します。お楽しみに!
P.S.
本エッセイ集の著者である原左都子が 2007年公開 「原左都子エッセイ集」内に綴った当該文書が、数年後の年月日の日付にて 見知らぬ人物により yahooに於いて丸ごと無断転載され、 “yahoo 知恵袋”内某質問事項の“ベストアンサー”として公開され続けております。
この案件に対し、私どもより yahoo相手に善処を要求したものの、なしのつぶての有様です。
yahoo には、一なる大手企業として「著作権」侵害に対する更なる認識をお持ち頂きたい思いですが、それが叶わない現状に即し、読者の皆様にお願いがございます。
我がエッセイ集より、ネット上の別サイトへ転載・引用する場合には、必ず 「原左都子エッセイ集より転載・引用」 の一言を末尾に記載して頂けますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
「原左都子エッセイ集」 著者 原左都子
近代市民社会において施行されている法のこと
近代っていつ? → 市民革命以降の時代
市民社会って何? → 資本主義社会が市民社会
(社会主義社会は市民社会とは言わない。
生産手段の社会的所有により横並び社会では
あるが、反面、自由が制約されているため。)
我が国における近代市民法とは?
私権を確立するために制定された私法の基本法である「民法」のこと
これに対し、「憲法」とは、国家統治のあり方を定めた根本規範
政治指針であり、具体的な権利義務は表れない
近代市民法の根本理念 = “自由と平等”
ここから、次の3つの基本原理が導き出される。
↓
近代市民法の基本原理
○所有権絶対の原則
○契約自由の原則
○過失責任の原則
○所有権絶対の原則とその修正
所有権絶対の原則とは
近代市民法の根本理念 = “自由と平等” であるならば、
個人が自由な意思で、平等な地位において手に入れた財産権、特に
その代表的な所有権は何人によっても侵害されない、という原則
↓
この財産権をどのように行使しようが、これまた自由
= “権利行使自由の原則”
権利を行使する過程において他人に損害を与えようと、法に触れない
範囲内でならば責任は問われない。
資本主義経済の高度発展は、この原則に負うところが大きい。
しかし…
資本主義の発展 → 貧富の格差の拡大
一握りの独占企業がみずからの財産権を行使することにより
他人に損害を与えてもよいのか?多くの人が不幸になってもよいのか?
例: 公害問題、現在多発中の賞味期限偽造問題、etc…
20世紀に入ってから、この基本原理に歯止めがかかった。
「公共の福祉」 = 社会全体の共同の幸福 の思想の導入
この枠を超える権利の行使は 「権利の濫用」となる。
ワイマール憲法153条3項「所有権は義務を伴う」
(「公共の福祉」を世界に先駆けて明文化した。)
このように、「所有権絶対の原則」に制限を設けた。
ところが、この「公共の福祉」概念は抽象的かつ曖昧であり、
“諸刃の剣”の側面もあるという弱点を抱えている。
個人の自由が制限される。
権力者がこのような尺度を利用して、私権を恣意的に侵害する
危険性もある。
両者の整合性を取ることは、今なお困難な課題である…
次回の“左都子の市民講座”において、「近代市民法の基本原理とその修正(その2)」と題して「契約自由の原則」を、次々回「同(その3)」と題して「過失責任の原則」について解説します。お楽しみに!
P.S.
本エッセイ集の著者である原左都子が 2007年公開 「原左都子エッセイ集」内に綴った当該文書が、数年後の年月日の日付にて 見知らぬ人物により yahooに於いて丸ごと無断転載され、 “yahoo 知恵袋”内某質問事項の“ベストアンサー”として公開され続けております。
この案件に対し、私どもより yahoo相手に善処を要求したものの、なしのつぶての有様です。
yahoo には、一なる大手企業として「著作権」侵害に対する更なる認識をお持ち頂きたい思いですが、それが叶わない現状に即し、読者の皆様にお願いがございます。
我がエッセイ集より、ネット上の別サイトへ転載・引用する場合には、必ず 「原左都子エッセイ集より転載・引用」 の一言を末尾に記載して頂けますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
「原左都子エッセイ集」 著者 原左都子
『クロサギ』という漫画で、こんな台詞があります。“法律は弱者を守ってはくれない”。法律が盾ではなくて、剣にしかならないとは、なんとも皮肉を感じます。正しく理解し、その上で議論や応用が可能な者にだけ、恩恵があるのは、これまた違った“格差”を感じる気がします。
・・・まぁ若輩者の言うことですので、お気になさらず(笑)
では、失礼しました。
実はこの「左都子の市民講座」シリーズは、私の教員時代の講義ノートを元に記事を書いており、まさに板書資料も利用しています。
「正しく理解し、議論や応用が可能な者にだけ恩恵があるのは違った格差…。」kuisinさんのおっしゃる通りのことを私も日頃痛感しています。その辺を教育の充実によりカバーすべきと、日頃より考えてもいるのですが…。
法律は弱者にこそ機能して欲しいものです。
また、お待ちしていますからね!!