原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

自民政権の安保「新事態」提案及び文官統制見直しに異議申す!

2015年03月07日 | 時事論評
 私は現在NHKにて放映中の連続テレビ小説 「マッサン」 の一ファンである。
 何と言っても、主人公マッサンとエリー、その二人を取り巻く主たる登場人物達の演技力が素晴らしい。
 例年の当該ドラマの場合、半年に及び日々継続視聴していると、(脚本家氏がシナリオ展開に行き詰まったのか??)と推測し途中でダレる時期もあり、落胆させられるのが通常である。

 ところが今回の「マッサン」はずっと飽きる事無く見続けているうちに早くも3月に入り、ドラマ終盤を迎えているとの感覚だ。
 特に今週一週間をかけて放映された、戦時中に“赤紙”が届いてしまった 一馬(かずま)及び周囲人物を通じて、一馬及び周囲の激動の心理状態をじっくりと描いたシナリオは圧巻だった。
 マッサンのウィスキー工場の一番弟子である一馬に赤紙が届けられてから、出征までの日々を巡る本人及び周囲登場人物の心情がその個々の演技力により実に丁寧に表現されていた。
 戦争を知らない世代(私もその一人だが)も含め、戦争の悲惨さを視聴者に十分に伝えられる内容だったと高評価申し上げたい。


 さて時を同じくして、我が国の現安倍政権は自らの主たる政策である「改憲」に向けて現在事を急いでいる様子と受け止める。

 どうも先だってのイスラム国による2名の日本人拉致・殺害事件に対する安倍政権の対応が、自民党支持者より高い支持を得たらしい。 (私にとってはアンビリーバブルな話だが…)

 一貫して「護憲」思想を貫いている原左都子に言わせてもらうならば、あの事件こそが安倍政権が決定的“墓穴を掘った”事態と捉えている。 その“墓穴”を契機に国民世論が安倍政権が現在目論んでいる「改憲に向けた動き」に絶対的ストップをかけて欲しい思いだった。
 ところが、どうしたことか??  国民の多くはイスラム国にて殺害された2名日本人男性達を助けるために安倍政権は最大限の努力をしたと認識している様子だ。

 これこそとんでもない。
 以下は原左都子の私見に過ぎない事を承知の上で記させていただこう。
 安倍政権は2名の日本人男性がイスラム国に拉致されている事実を昨年秋頃より既に入手していた。  にもかかわらず、帰国勧告を促すでもなくそれを放置し続けていた事実は否めないであろう。
 しかも安倍政権は、欧米にてイスラム国より過激テロが相次いだちょうどその時に、中東諸国を訪れ巨額の資金援助を申し出ている。 これぞ「原左都子エッセイ集」バックナンバーにて取り上げた通り、安倍氏自らがイスラム国に“喧嘩を売りに行った”事態と理解して間違いないと結論付ける。
 その後すぐさまイスラム国より我が国政権に対して挑戦状が届くのは必然の事態だった。 その結果の安倍政権の対応とは、イスラム国に囚われの身となった日本人2名を殺害されるとの悲惨な結論に至っている。
 誰が考察したとて、この結論になる事など自明の理だった。

 要するに結果として、安倍政権とはイスラム国による日本人殺害の事実を自分の一番の政策である「集団的自衛権の行使」、強いては改憲に結び付けるために“まんまと利用”したものと私は結論付けるのだ。
 事実、あの事件以降、自民政権は「集団的自衛権」行使に向けて正々堂々と動き始めている。


 表題に戻そう。

 昨日(3月6日)の国会答弁に於いて安倍政権は、安全保障法制をめぐる与党協議で、現行の武力攻撃事態法を改正して日本が直接攻撃を受けなくとも「集団的自衛権」を行使できる「新事態」との法的手段を盛り込む方針を伝えた。
 加えて「文官統制(シビリアンコントロール)」に関しても改正法案を提出する事により、その見直し案を提出した。 安倍氏によれば「防衛装備庁」の新設も視野に入れているとの事だ。
 この安倍氏の政策変更改革法案は、政府内での官房長・局長と幕僚長が対等な立場となるのに加えて、背広組局を廃止し自衛隊の運用を「統合幕僚監部」として一元化したいとの意向だ。 更には、政権改革案には「防衛装備庁」の新設まで盛り込まれた。 この安倍政権よりの閣議決定が新法律に盛り込まれ、法律が成立すると、今年10月に発足の見通しだ。
 (以上、朝日新聞記事より一部を引用。)


 最後に、原左都子の私論で締めくくろう。

 何故、安倍氏はそれ程までにこの国を将来「戦争が出来る国」に導きたいのか!?
 これに関しては「原左都子エッセイ集」バックナンバーに於いて、安倍氏が生来的に(代々政治家一族先祖より培ってきたDNA思想)に基づいているのではないかと既に結論付けている。
 にもかかわらず、安倍氏とは過去の自民党政権時代にやっとこさ首相に選抜された暁に(持病故?)実力が発揮できないまま、短い政権時代を終焉せざるを得なかったとの辛い過去を背負っているとも見聞ししている。
 由緒ある政治家一族の末裔である安倍晋三氏にとっては、おそらくそんな自分の“不甲斐なさ”を世間の想像以上に身に沁みたものと想像する。
 束の間の民主党による政権交代の後、若き世代の石破氏を蹴落とし自らが首相の地位を得て、その後自民党政権の首相としての地位を築き上げている安倍晋三氏だ。

 彼(安倍晋三氏)が、自民党政治家一族のDNA力を活かして今こそ自民党の念願である「改憲」を成し遂げたい思いは理解出来なくもないが、これぞ身内の我が身息災思想であることに早く気付いて欲しいものだ。

 日本は敗戦によって、米国より素晴らしい「日本国憲法」をもらい受けた。
 どうしても私はこれを守り抜きたい。 
 日本国首相として安保の縛りで連合国と歩調を合わせたい安倍氏の思いも分からなくはない。

 が、ここは海外先進国に類を見ない程素晴らしいまでに平和理念を掲げた 「日本国憲法」 を日本国民の総意思にて維持してこそ、世界平和に繋がると私は信じたい!

我が娘よ、厳しい就活戦線を勝ち抜こう!

2015年03月04日 | 仕事・就職
 2016年春に卒業予定の大学生の就職活動が3月1日、解禁された。
 経団連が定めた新ルールで、会社説明会の解禁が“3年生の12月”から3か月間繰り下げられ、学生にとっては短期決戦となる。 すでに昨年中から本格的に動き出した学生も多く、解禁で活動を始めた学生との間で「二極化」も目立っている。 景気回復を背景に企業の採用意欲は高く例年以上に熱い就職戦線となりそうだ。
 3月1日に東京・渋谷の高層複合施設「渋谷ヒカリエ」で開かれた50社による合同会社説明会は、約1000人が入れる会場に多くの学生が詰めかけた。 人気企業のブース前は、学生らで身動きが取れないほどで、一時は入場制限が行われた。 4~5社のブースを回るというA大学3年の男子学生(20)は、「いつまでに内定を得られればいいのか不安だ。遅れ気味だという焦りがある」と話す。 B大3年の男子学生(21)も「すでに内定をもらっている知り合いの学生もいる」と不安顔だった。
 (以上、ネット情報より引用。)


 原左都子の家庭でも、現在大学3年生の娘がいよいよ就活を迎える段と相成った。
 と言えども、何とも静かな就活戦線のスタートだ。

 就活戦線に入る前の2月頃、私は娘に今後の就職に関する本人の意思を再確認した。
 そうしたところ、娘なりの回答があった。  それを以下に要約しよう。
 今まで親の要望に沿って“安定した”就職先を模索して来たが、自分の実力と勘案した場合荷が重すぎる。 (親が望む)就職に沿い無駄な時間を費やすよりも、自分自身で就職先を決定したい。

 その娘の決断に私としては泣ける思いだった。
 何分、出産時のトラブルにより若干の事情を抱えてこの世に生まれ出ている我が娘だ。 母である私自身も“サリバン先生”として娘幼少の頃より現在まで娘の指導者の立場で多大な時間を費やしてきている。
 そんな我が娘が、やっと一人前の社会人として自立しようとのその目前に、「自分自身で進路を決める。」とサリバン相手に健気に宣言してくれるではないか! その事実だけで親冥利に尽きる思いだ。

 しかも我が娘の場合、大学内での学業成績の程も素晴らしい。(あくまでも娘を通わせている学内での結果に過ぎないが。
 更には、自分の専門分野の資格もゲットした。
 よくぞまあ、厳しいサリバン(母の私の事だが)の指導に従い、真面目に着実に大学へ通い詰め、“娘なり”に地道に精進したものである。

 その道程の詳細をここで語るならば、正直に言うと大学2年生までの一般教養科目及び専門基礎科目に於いては、娘の苦手な小論文課題等をこのサリバンが手伝った(もっと正確に言うなら主に執り行った)。 ただ娘が大学3年生に進級し専門科目分野の履修が大方になった暁には、私は一切合切の“サリバン業務”より手を引くべきと心得た。 そうでもしなければ、娘の将来の真の自立が成り立たないと判断した故だ。
 ところが驚くには、その後娘は自ら独力で大学の課題に“下手なりにも”臨んだ様子だ。 その片鱗である課題の一部を娘から見せてもらった事があるが、例えば小論文課題に於いて、なんと母であり素人エッセイストである「原左都子エッセイ集」の論調と似たような記述があることに驚かされたものだ。 (あの子、見ないふりして我がエッセイ集を時折覗いてくれているのだと感慨深い思いでもあるし、親の思想とは必然的に次世代に受け継がれるものとも悟った。) 


 さて、就活戦線開幕で多忙なはずの我が娘を伴って、昨日都心に位置する某博物館を訪れた。

 当該博物館にて親子共々一時の心身的安らぎを得た後、その近隣に位置している某店舗を訪問した。 ここは娘の成人の日に先立ちその準備でお世話になった店舗である。
 東証一部上場企業が全国展開している当該店舗にて、娘は一男性担当者のお世話になり無事に成人の日を終えている。 その男性担当者氏が昨年転勤したとの話を聞いていたのだが、その後連絡が取れないまま月日が経過していた。
 昨日訪れた店舗にて娘の担当者であられた男性担当者氏に関して尋ねたところ、“既に退職された”との回答だ。
 これには実に驚かされた! 海千山千の私の視点からも、その男性担当者氏は若くして営業販売部門に於いて適材適所の“実力派”だった故だ。
 何故退職したのかの私の問いに「体調不良です」との回答だがどうも合点がいかない。 そうだとしても、それ以上の追跡は無理と諦め、娘と共に帰宅の道についた。 


 最後に原左都子の私論でまとめよう。

 何が理由で人が就職先を決めるのか、はたまた退職との道を選択するのかに関しては、人それぞれ千差万別であってよいであろう。
 それでも大学等よりの新卒者とは国家と経団連等の癒着指導の下、皆が未熟な身にして否が応でも“とりあえず”その進路先を決定せねばならない状況下に置かれている。
 そんな中、せっかく就職した一部上場企業にて適材適所の実力を備えていようが、わずか2年少しで退職せざるを得ない道程を歩む大卒の若者も存在する事実を、我が娘は昨日思い知ったことと心得る。

 娘は既にパソコンから各民間企業へ就活エントリーしたようだが、企業等へのコネなど一切無い我が家に於いて、はてさて如何なる就職先とご縁があるのか、今後の楽しみでもある。

ある事がきっかけで、現在“不運感”に苛まれる私…

2015年03月02日 | 自己実現
 今から遡る事ほぼ6年前の2009年4月19日、私は当該「原左都子エッセイ集」に於いて 「運と不運の分かれ道」 なる表題のエッセイを綴り公開している。

 そのエッセイ内でも記述しているが、我が人生、どちらかと言えば「運」に恵まれているとずっと自己評価してきたつもりだった。
 ところがそんな根拠無き自信など、ほんのちょっとした“事”をきっかけに脆くもガタガタと崩れ去ることを実感させられ、現在大打撃を受けている。


 それでは早速、つい一昨日の夜我が身に突如として降りかかった“事件”に関して読者の皆様にお聞き願う事としよう。 (この“事件”は特定の相手人物が存在する話題に付き、その相手人物のプライバシー及び個人情報に最大限配慮しつつ記させていただく。)

 一昨日の土曜日の夜、私は娘と共にリビングでテレビ(ニュース番組)を見ていた。 と言うよりも、私の方は家事をこなしつつ垣間見ていたと言った方が正確だが。
 ニュースの某場面で、娘が「○○大学(私の郷里の出身大学)の人が出てるよ。」と教えてくれるので、テレビ画面を見た。 医学分野トピックスニュースの中でその人物がインタビューに応えている場面だった。
 最初は(まあそういう事もあるだろう)程度に軽く画面を見たのだが、人物名とその所属肩書テロップを見た途端私は仰天した!

 「えーーー!!、この人、知ってる!!!」 

 その私の驚きようが尋常でなかったことに自分でも直ぐ気付いたのだが、案の定、娘も(一体どんな知り合いなんだ?!?)と言わんばかりに私の顔を見る。
 (想像力豊かな方は既にお気付きかもしれないが)、この人物を“知ってる”どころか、私は遠き過去に於いて郷里での学生時代にこの人物と“お付き合い”をした事があるのだ。
 ただそれ以降40年程の年月が流れその間まったく音信不通状態のため、私の記憶に誤りがあるかもしれないと思い、テレビを見た直後にネット情報にて当該人物のプロフィール等を確認した。
 そうしたところ我が記憶に間違いはなく、当該人物の年齢、経歴、そして写真等々すべてが記憶と一致した。

 まあここまでの話ならば特段珍しい事でもなく、誰しもご経験がおありだろう。
 別件だが、近い過去にも私は朝日新聞記事にて似たような経験をしている。
 数年前の朝日新聞「私の視点」に写真付きで取り上げられていた某大学教授氏も、過去(我が30歳前半頃)に於いてお付き合いをした時期があった。 ただこの事例の場合さほどのインパクトが無かったのは、交際したとは言えども私の方にその気(要するに“恋愛感情”)がなかった故だ。 自然消滅のごとく、この男性との交友関係は消え失せている。


 片や、上記一昨日のテレビニュースに登場した某氏に対しては、私は嘘偽り無く恋愛感情を抱いていた。ところが自然消滅で終わってしまっている。 だからこそ後ろ髪を引かれるのだ…

 今現在のこの時を自信を持って生き抜いているつもりのこの私が、あの時に戻ってもう一度あの恋愛をやり直したいと、一昨日の夜から一時の熱病のごとく悔やみ抜いている。 ネットで当該男性の写真(特に少し若い頃のお写真)を検索拝見しては、あの頃の記憶が鮮明に我が脳裏に蘇り、居ても立ってもいられない思いを募られる。

 ここで(読者の皆様にとっては聞くに忍びないくだらない私事であることは承知の上で)、その当時の我が恋愛事情を語らせて頂く事としよう。

 (上記テレビニュースインタビューに応えた男性を仮にA氏と名付けるが)A氏と私との恋愛関係は、そもそも私側に決定的な落ち度を抱えての関係だった。
 と言うのも、私はそれ以前より付き合っている彼氏(B氏と名付けよう)が学内に存在した。(B氏も某大学医学部生だったという事だが)。 ところが私が大学の夏季休暇中に1ヶ月間米国に語学留学した後から、B氏との関係がギクシャクし始めた。 若き世代の男女にとって1ヶ月のブランクとは大きい、などと後で思えば当然の成り行きだったのかもしれないが、とにかくB氏との関係も別れが近いとの予感があった頃、私は大学の女友達と秋の大学祭へ出かけた。

 そこで知り合ったのが、A氏である。 私は真面目で誠実そうなA氏に惹かれた。 ただ、私には現にB氏との彼氏がいる。 別れが近いとは思いつつ未だズルズルと付き合っている彼氏がいる事には間違いなかった。 それをA氏には言えないまま、A氏の誘いに乗った。(と言ったところで、当時の田舎の国立大学生など皆真面目だから単にデートをしたとの意味合いだよ。)
 A氏と3度程デートをした頃、自責の念に駆られていた私は元彼であるB氏にその事実を正直に話した。 そうしたところ、「○子(私の事)がA氏が好きならばA氏と付き合えばいい」とのB氏の回答だった。 ただそれ程恋愛関係とは甘くはない。 後で噂に聞いた話だが、A氏の一年先輩だったB氏がA氏に対し、「人の女に手だしするな!」と学内で直接迫ったのだと言う… (あくまでも噂に過ぎないし、我が記憶もあやふやだが。)
 その後、A氏、B氏共々我が恋愛関係は自然消滅の運命を辿った。 どちらからも連絡の無いまま自己責任を痛感させられ、こちらからも当然の礼儀ながらご両人に一切の連絡を控えるべきと承知しつつ季節が巡り、私は当該大学を卒業してその後上京した。


 上記の我が学生時代の複雑な恋愛関係を、今一度考察してみよう。

 上記B氏に関しては、A氏と知り合った後A氏と付き合いたい意向を私からB氏に表明している。この意思表明行為により私のB氏に対する“みそぎ”は済んだとの認識がある。
 ところがことA氏に関しては、私側から「好きです」とは一度も言えないまま、B氏よりの外部圧力(?)により関係が終焉してしまったとの印象があるのだ。
 要するにA氏との関係に於いては、どちらからも「別れ」を宣言しない状態で恋愛関係が自然消滅したとの私側の認識のまま、時が経過したとの事だ。 


 何を持って、現在私が“不運感”を抱くのか?
 それは上記A氏との関係に於いて、双方が「別れ」を告げた訳でもないのに二人の関係が消滅している点に於いてだ。
 いや、もちろん私とて今回のニュース報道に触れさえしなけば当の昔に忘れ去っていたA氏の存在だ。
 ところが、テレビ情報がA氏の存在を我が脳裏に呼び起こしてしまった。 何が不運とて、A氏との別れ方こそが私にとって最大不運だったと結論付ける。 別れた理由が分からない「別れ」程辛いものはないとの事ではなかろうか??

 そこで、私はA氏の連絡先までもネット上で調べ上げた。 
 今回のA氏所属学会発表の医学トピックスに関する私論も交え、私からA氏に連絡を取るとの手段はどうだろう?
 えっ? 多忙なA氏は当の昔に私の事など忘れ去っているって? それこそ本望かもしれない。そうだとすればすぐさま私側もA氏を忘れ去れることだろう。 
 何だかそうとも思えてくるなあ~。(と、とりあえず強がる事で自分の心情整理をしておこう。)

 もういいや、こんな事で「不運」感を抱いていないで、後々の我が強運を信じ、引き続き自分の時代を築き上げてこそA氏と今後対等な立場で渡り合えるのかなあ、などと思えたりもする…