原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

信州伊那より今冬も真っ赤なリンゴが到着しました!

2017年12月13日 | 旅行・グルメ
 (写真は、昨日信州伊那より到着した採れたての“サンふじ”りんご。)


 このリンゴの贈り主は、当エッセイ集に幾度が登場している長野県伊那市にて大農場を経営していらっしゃるK氏である。

 K氏との最初の出会いは2007年に遡るが、当「原左都子エッセイ集」がそのきっかけだ。
 エッセイ集開設当初時に我がエッセイ集のファンであられたK氏から、「農場で収穫した農作物を届ける」と申し出ていただいて既に10年超の年月が経過した。
 何とも有り難い事に、毎年、春・初夏・秋・そして冬と年に4,5回のペースで四季折々の採れたて農作物を宅配(大抵はクール便にて)にて頂戴している。

 今年の8月には、その10年来の御礼を申し上げるために、信州伊那のK氏の大農場まで娘と共に旅をした。
 ところが結果としてはこちらから御礼を申し上げるどころか、観光案内から何から至れり尽くせりのおもてなしを受けた上に、帰宅後、伊那名産品を自宅まで盛り沢山宅配して下さるとの結末だった。 

 K氏は、10年来の“メル友”でもある。  私にとっては、心理面や実質の距離感が“メル友”を続行するに打ってつけのお相手だ。 
 K氏は働き者であられるのに加えて、とにかく律義かつまめな方で、どれ程多忙であられても必ずやメールの返事を送信して下さる。 それも長文の!  私のメールもかなりの長文だが、それに勝る長文メール回答を頂けるのだ。 しかもお優しく、必ずや私を肯定して下さる。 それを良きこととして、何やかやとK氏にメール相談しつつ10年の月日が流れている。 

 定期的に農作物を宅配下さるわ、随時メール相談に乗って下さるわ、こんな良き「友」はまたとは得られないことだろう。(Kさん、今後共よろしくお願い致しますね!♪♪)


 さて、冒頭のリンゴに話を移そう。

 この“サンふじ”は、伊那郡中川村にて栽培されたようだ。
 添付資料によれば、「味を重視して栽培しています。 通常より(長期間)木に実らせ大玉にしています。 また、化学肥料を一切使わず栽培しています。 採りたてのりんごを農園より直送します。 形はいびつですが、袋をかけずに太陽の光をいっぱいに浴び、蜜が入ったシャキシャキ食感の自然な味の逸品です。」とある。

 形が“いびつ”と書かれているが、決してそんな事は無く十分に綺麗な丸形であるし、何よりも大玉で真っ赤な色彩が実に美しい。
 多忙期でもあり、皮をむくのが面倒臭い(こらっ!罰当たりめ!)ため未だそのまま保存中だが、本日帰宅後、今夜こそ家族皆でこのサンふじりんごを堪能させていただこう!

子冷たく、職なく友なく、趣味もなく ・・・

2017年12月11日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞2017.12.09 別刷「be」 「サザエさんをさがして」の漫画を転載したもの。)


 この長谷川町子氏による「サザエさん」の漫画は1971年の作品だそうだが、何だか今現在の定年退職男たちを彷彿とさせる情景だ。

 定年退職男性のみならず、この私とて同じようなものだ。
 「子つめたく 職なく 友なく 趣味もなく……」と脳裏に浮かべつつ街中を男性がランニングしている姿など、まるで近年の私の姿・行動パターンと二重写しだ。

 参考だが、漫画はこの後 「妻と合わねど 死にたくもなし」 と続く。
 これまた、いたく同感だが……。 
 いやまあ私の場合、娘は可愛いし、亭主と“合わない”と表現すると若干ニュアンスが異なるのだが。 (お互いに独立独歩 “我が道を行っている” と言うべきか。)


 朝日新聞記者の解説によれば。
 この長谷川町子氏による短歌は、ある有名な短歌の一部をちゃっかり借用しているそうだ。
 その本歌とは。
   親も無し
   妻無し 子無し 版木無し
   金も無けれど 死にたくも無し
 作家は、江戸中期の経世家 林子平(1738~93) (自称:六無斎) だそうである。


 私見でまとめよう。

 解説では、長谷川町子作漫画の主人公のおじいちゃんと六無斎さんの空虚な思いが重なる、とあるのだが。
 私は決してそうは思わない。
 むしろ、子が冷たくとて、職も友も趣味もなく、と言いつつも、おじいちゃんは日々外でランニングする意欲に溢れているではないか! たとえ妻ともあわずとて、死にたくもなし。 と明言しているそのおじいちゃんのパワーこそを高く評価するべきではないか!?
 それが証拠に、傍で見ているカツオくんも、「ああいうおジイサンになりたい」と、子ども心にプラス評価しているではないか。

 そうだよ。 その通りだ。
 世のおジイサンたちよ。
 職がない。 友がいない。 妻と合わない。 とブータレていないで、外へ出て走ってごらん。
 発見するものはいくらでもあるし、その後の爽快感・達成感は物凄いものがあるぞ。
 その活力があれば、「死にたい」なる発想が出るはずもないというものだ。


   P.S.
 本日より3日程 “多忙期” に突入するため、本日は短文エッセイにて失礼致します。

えっ?! 「トラックバック」が無くなるの??

2017年12月09日 | 自己実現
 それはブログ開設以来良質なトラックバック受信に恵まれ続けて来た「原左都子エッセイ集」にとって、大変残念な事態だ。
 (参考だが、当方よりトラックバックを送信した事は一度も無い。)

 確かに近年トラックバックが届く回数が激減している事実には気付いていたが。


 つい先だって、当該goo編集画面の片隅に「トラックバックを廃止する」旨が記されているのに気付いた私が、早速テンプレートを確認したところ。
 既に、テンプレート内の「トラックバック欄」が全面消去されているではないか!?!
 これ、gooの早とちり、大失態ではなかろうか??

 「トラックバック」を廃止するとの方針に関しては、スパム受信等々に迷惑しているブロガーが存在する等の事情があるのだろう。
 それにしても、ブログ管理人の意思によりテンプレート上に公開しているバックナンバーへの「トラックバック」群を、管理人の承諾無くしてすべて抹消行動に出たのは、法的にも問題を孕んでいるように解釈するのだが。

 とにかく私にとっては、「トラックバック」とは我がエッセイ集を盛り立ててくれるまたとない“応援団”のような存在だった。
 しかも、そのほとんどが学際的で価値が高い内容だったのに、実に残念だ。 

 
 やむを得ないため、今回のエッセイではそれらgooにより消去されてしまった我がエッセイ集・テンプレートに公開していたトラックバックの一部を、以下に改めて紹介させて頂くこととしよう。
 (以下、 トラックバックが届いた日付、トラックバック題名、送信者名、最後の「 」内は大本の我がエッセイ集の題名、 の順に記載します。)

 2010.12.02   林真理子おぼろタオル (ほっとにゅーす) 
       「嫌な人に会うと勉強になる」

 2010.11.03   マイケル・ジャクソン「ブラック・オア・ホワイト」 (ダンス動画)
       「トシちゃん、あなたはビッグです」

 2010.08.02   新型ワクチン余剰分メーカー買い取りへ厚労相が表明 (あじさい文庫だより)
       「インフルワクチン過剰発注が招いた巨額損失」

 2010.06.12   菅直人の所信表明演説を読むのが面倒な貴方に 
       (んがべのちょっとした政治・経済の話)
       「国民が期待するのは菅内閣の『実行力』であるべき」

 2010.05.25    自動的な生殖  (哲学はなぜ間違うのか?)
       「都会のど真ん中で美声を披露するウグイス」

 2009.07.10  新たな都市伝説か? 便所飯  (名古屋人伝説。税理士バッキーの日記帳)
       「昼飯くらい一人で食べさせてくれ!」

 2009.07.10  最高裁の事例を教訓に 熊本県天草市の事例に学ぶ  (“しょう”のブログ)
       「『体罰』と『指導』の狭間」

 2008.10.16  #064自然対数の底「e」も生活になくてはならない数値
        (コラム「自分学」 監査法人に就活中、でも物理学!)
       「1か0かの世界」

 2008.10.11  ノーベル物理学賞・化学賞に日本人が選出  (やぎの宇宙ブログ)
       「対称性の破れ」

 2008.05.16    全キーでのスケール ~ ロクリアンスケール(Locrian Scale)編
         (バイエルを辞めよう! ピアノコードのすすめ)
        「むなしい若者」

 2008.01.19    結果の平等ではなく「成長」の平等を (教育失敗学から教育創造学へ)
        「中高一貫校急増の社会的背景とその是非」

 2008.01.19    ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート2008 (気軽にクラシックルーム)
        「今年はラデツキーが聴けるか?!」

 2007.11.06    the golden age music from plentyさん♪  (クラランド・アイランド)
        「70年代ディスコサウンドで踊ろう!」

 2007.10.23   自己ってなに?  (ベリーロールな日々)
        「self or not self」

 (以上、ごく一部だが、「原左都子エッセイ集」宛にご送信下さったトラックバックより公開させていただいていたものを紹介。 この他、保留措置を採らせていただいたものも多数存在する。)


 特に印象的だったのは、上記一番下のベリーロールな日々氏より頂戴したトラックバックだ。
 「原左都子エッセイ集」公開直後期の2007年10月の事だった。
 この「self or not self」と題するエッセイは、20代に医学関連民間企業にて免疫学分野業務に携わった時期の我が業務経験や、当時インパクトを受けた免疫学トピックスを綴った内容だ。
 エッセイ集立ち上げ公開前より、このテーマを是非綴り公開したいと虎視眈々と狙っていた題材である。
 当時ブログド新人の我がエッセイ集に、トラックバックが届けられるなど夢にも思っていなかった。
 しかもベリーロールな日々氏より届けられたトラックバックには、我がエッセイを読んで多田富雄著「免疫の意味論」を是非読みたい!なる有り難きメッセージが書かれていて実に感激したものだ。

 そんな思い出があるバックナンバー「self or not self」の結びの部分のみを、今回再度以下に紹介させていただこう。
 ところが、その後の研究により「免疫」とは“self"を認識するシステムであることがわかってきた。 すなわち、「免疫」とは“not self"を排除するために存在するのではなく(もちろん結果的には排除するが)、“self"の全一性を保証するためのシステム、すなわち「自己」の「内部世界」を監視する調整系として捉えられる時代に入るのである。 ところが、この“self"と“not self"の境界も曖昧だ。 それでも、そんなファジーな「自己」は一応連続した行動様式を維持し、「非自己」との間で入り組んだ相互関係を保っている。
(詳細は、上記の多田富雄著「免疫の意味論」をお読みいただくか、あるいは免疫学に関する各種論文等文献を参照いただきたい。)
 “self or not self" 、 当時の若き私はこの言葉に惹きつけられ、自然界のひとつである人間の体内にもこんなすばらしい哲学があることにいたく感動したものだ。
 あれから20年以上経過した今(2007年時)でも、私の思想の根底にこの“self or not self" の哲学はまだ息づいている。 そんな一端を今回は少し語らせていただいた。
 (以上、我がエッセイ集開設初期のバックナンバー「self or not self」より一部を引用したもの。)


 最後に、話題をトラックバックに戻そう。

 コメント欄閉鎖措置を採って既に数年の年月が流れている私にとり、メッセージ欄やトラックバック欄はそれを補完する媒体として活用可能だったとも言える。
 ただし、近年はトラックバックの着信が劇的に減少している事実は確かだ。

 繰り返すが、そんな時代背景に伴いgooのトラックバック廃止措置はやむを得ないとして。 
 テンプレート欄にて公開していた過去のトラックバック群を自身のブログに掲載し続けてもgooには何らの損失も発生しないと考える私としては、今後も過去に頂いた価値あるトラックバックの公開をブログ管理者の自由意思に任せて欲しいものだが。  
 単に私がその再掲載手段を心得ないだけのことかもしれないが、とにかく、gooの今回の措置によりトラックバックがテンプレートから消去された事態に大いにショックを受けているgoo会員が存在する事実に、gooは慮って欲しい気がする。

TOTO 買ったのに Pansonic が届けられる不可思議

2017年12月07日 | 時事論評
 今年の我が家は、度重なる家電の故障・買い替えに苛まれる年回りのようだ。


 2月に冷蔵庫が故障して買い替えを実行したものの、その新品冷蔵庫がわずか3ヶ月後の5月に故障した事実は、当該エッセイ集にて既に公開している。
 結局故障原因不明のまま電源を入れ直したら復旧したため、メーカー側の判断で一旦様子見の措置が取られたのだが。 私が恐れていた通り6月には同じ症状にて再故障し、結果として保証期間内無料新品交換と相成った。
 その時の短期間内2度に及ぶ冷蔵庫内食品入れ替え作業の重労働、及びメーカーとの折衝等々のストレスにより心労が貯まり、体重を2kg減らした事実に関しても公開済みだ。


 3月には、洗濯機が故障した。
 旧機種は亭主が選択した乾燥機付きのドラム式だったのだが、現役中に乾燥機を使用したのはただの2回のみ。 こんな無駄な機能は我が家では必要無いのに大型で洗面室の場所ばかり取って邪魔な存在だったため、日々洗濯を担当している私としては、やっと買い替えられると肩の荷が下りたものだ。
 そして新たに届けられた洗濯機は、上から洗濯物を入れる方式の私の理想型だ。 

 ところが、この洗濯機入れ替え時にもトラブルが発生した。
 若き運搬担当2名の若者達が、洗濯機内底辺部分に溜まった(?)水分を廃棄せずして室外へ運び出したのだ。  室内の廊下も室外共有部分の通路も洗濯機内から溢れ出た排水で一面汚染されてしまった。 軽く一言だけ「水が溢れ出ました」なる報告はあったものの、若者達が作業を終えて帰った後しばらく経過して室外共有部分通路の汚染状態を確認したところ、その汚染が広範囲だった有様に仰天させられた。
 室内は自己責任として、室外通路の汚染を何とかせねば! と早速掃除に取り掛かったところ、ラッキーにもマンションの管理人氏も共有部の掃除中であられた。 私が通路の拭き掃除を実施しているのを見るなり、「どうしましたか?」と親切に問うて下さる。 事情を話すと、早速階下から専用の洗剤とモップを持参して掃除を手伝ってくれつつ、「後は私がやりますからいいですよ。」と親切にも告げて下さる。 確かに管理人氏のおっしゃる通りだろう。 掃除素人の私よりもプロの管理人氏に委ねるべきと思ったら、まるで何事もなかったかのごとく綺麗に掃除し尽くされていた。


 時が10月に移り、今度は我が家の温水洗浄便座(いわゆるウォシュレット)が不具合を発生している様子だ。
 いつもの事だが、家電の不具合をいち早く発見するのは我が家の家族の中で私以外の誰でもない。 とにかく、普段はボーッとしていると表現するべき我が家族達が、そんな事態に気付くはずもない。
 まずは、自動消臭機能が付いたままになっている事実を発見した私が亭主にその旨告げたのだが。 返って来た回答とは「別にそれでも問題ないんじゃないの~?」
 そこまではまだしも良かった。
 次なる故障は、まさに温水洗浄便座が成すべき主たる機能である温水洗浄機能が不確実になった事態だ。 これに関しても亭主に相談すると、「ボクが便座に座った時には必ず使えるよ~」との我が身息災回答が来た。 要するに使用時の機能選択により使えたり使えなかったりする状態だが、これを故障と言わずして何と言う!?? と亭主に迫ると、「じゃあ、買い替えたら~~」

 と言う訳で、11月のロードレースとフルート個人レッスン終了後に単身にて家電量販店に出向いた私だ。
 
 いつも行く自宅近くの家電量販店(全国的に名が通っている大手家電量販店、早い話がヤマダだが)にて、温水洗浄便座の説明を係員氏より受けた。
 現在まで使用した商品がTOTO製だったため、それを中心に購買対象商品を選別せんと係員氏に相談したところ。 その結果、最終選考段階まで残ったのが「TOTO製」と「東芝製」商品だった。 (参考だが、その時傍らに「Panasonic製」商品が陳列されていたのは記憶している。)
 係員氏の説明によると「東芝に関しては経営破綻による悪風評もあり売価が激安となっているが、その分今後故障した場合の部品の入手が不明確状態」との事だ。
 大いにガッテンした私は、当然ながら「TOTO製」商品を買い入れる決断を下した。


 さて、その後実際に当該商品が自宅に運ばれ、旧機種取り外し・新機種取り付け工事と相成る。

 その場にも、もちろん私が同席した。
 何分、トイレなる汚い場所の作業故、作業に先立って出来得る限りの掃除作業を執り行い作業員氏を迎え入れることと相成る。
 当日作業に来て下さったのは、良き若者だ。 挨拶も丁寧ならば、その作業風景も丁寧であられた。 それに安堵して、作業終了後の点検を執り行った私は十分な御礼を申し上げた。

 しばらくして亭主が帰宅した。
 早速トイレに入った亭主が私に告げるには。
 「あれ、〇子(私の事)は今回TOTO製を買ったと言わなかったっけ?」 「その通りだよ」と応えつつトイレに入ると、何と‼  温水便座には堂々と「Panasonic」と掲げられているではないか!!

 何故、この種の取り違いが起きてしまったのかを後で考察するならば、それは機種が我が家に到着した時点で私が確認作業を怠ったからに他ならないだろう。

 ただ、自己弁護するならば、作業担当者が我が家到着時点で真っ先に実行した作業とは「古い便座」取り外しに他ならない。
 その後も、一階外に停車している車と我が自宅を行き来しつつ作業員氏が作業を進める段階の詳細を私が監督し続けるのも失礼だと判断した私は、全ての作業を終えて後に作業員氏と対応するべきと心得たのだ。

 そうして最終点検はもちろんの事私が取り付けられた新たな便座に座り、その状態を確認して問題はなかったと判断する事態となろう。 便器の蓋が開けられた状態で、便座に記されているメーカー名など、その時点で確認不能だったとして許されて然るべきだと私は思うのだが。


 ただまあ我が亭主が、元々私を含め他者を責める人格では無い事に常々助けられているのも事実だ。

 しかも今回の温水便座事件に関しても、何処のメーカーが優秀な機種を製造し販売しているかなど分かったものでもなかろう。
 とりあえず、我が家に届けられた“Panasonic製”の製品がひとまず用を足してくれているのならば、それで一件落着としよう、との亭主との合意の結末だ。

過疎地Uターン者に対する「村八分」騒動の根の深さ

2017年12月05日 | 時事論評
 郷里過疎地から上京後、40年以上の年月に渡り大都会東京で暮らしている我が身にして、まさか今後まかり間違っても過疎地へ舞い戻ろうなどとの発想が一切湧き出て来ない人種だ。 

 「村八分」。  この言葉の印象に関しても。
 今現在、もしも近隣コミュニティから我が身がその仕打ちを受けたとしても、それでも構わない気もする。 それどころか、基本的に“一匹狼”派の私としては、集団コミュニティ内の無意味で不要な付き合いを避けて通れ、返って清々しそうな気がしたりもするのだが……


 話題を変えよう。

 ネットにて、その「村八分」に関する情報を得た。 早速、以下に要約引用しよう。

 大分県北部の小さな集落が「村八分」騒動に揺れている。 自治会がUターンした移住者の加入を拒んでいるなどとして、県弁護士会が「人権侵害」と勧告。 これに住民が反発している。 地方への移住が盛んになる中、双方に歩み寄る姿勢が必要とUターン経験者は指摘する。
 県弁護士会の勧告などによると、兵庫県に住んでいた元公務員の男性(68)は2009年、母親の世話などのため、家族を残して計14戸が暮らす大分県北部の集落にUターン就農した。 自治会には母親が入っていたが11年に他界した。
 男性は13年3月、国から農家に出る補助金の配布方法などを巡り、自治会の役員らと対立。 自治会は翌4月、「男性は集落に住民票がない」として自治会から外すことを決め、市報の配布と行事の連絡をやめた。 男性は14年に住民票を移し加入を申請したが、自治会は「必要な集落全員の賛同が得られなかった」として拒否した。
 男性の申し立てを受けて調査した県弁護士会は、地域に住所をもつ個人の自治会加入を正当な理由なしに拒むことを地方自治法が禁じていることから、「排除は明らかな人権侵害」と判断。 自治会長に対し、加入を認め、行事の連絡などをするよう今年11月1日付で是正勧告し、同月6日に開いた記者会見で「明らかな村八分」と批判した。
 一方、自治会側は「行事参加やごみ集積所の使用は拒否していない」と反論。 元会長(65)は、男性が加入拒否に絡んで自治会役員らを脅迫の疑いで刑事告訴したことを挙げ、「告訴は、地方自治法が定める加入を拒む条件の『正当な理由』にあたる」と訴える。「そもそも『感情の問題』なのに」と話し、法律論を持ち出す県弁護士会にも不満を示す。 自治会は11月12日に会合を開いたが、加入についての結論は出なかった。「男性が入るなら、自分は抜ける」という声もあったという。
 男性は取材に対し、告訴理由を「地区は間違ったことをやったんだ、ということを知ってほしかった」と説明。 そのうえで、「この5年間、毎日孤独だった。勧告を真摯(しんし)に受け止めてほしい」と話す。
 (以上、ネット情報より要約引用したもの。)


 一旦私見に入ろう。

 このUターン男性の当初の帰省の目的は、郷里に一人暮らしの母親の世話であったようだ。
 少し分かりにくいのは、この男性が兵庫県に暮らす家族を残したまま単身でそのUターンを実行した事実だ。 元公務員とやらの男性家族が抱えていた実情の詳細は一切不明だが、家族を残して男性一人がUターンするとの事態とは、もしかしたら兵庫県での男性の家庭が崩壊状態だったと捉えられようか??

 それが証拠に、母親が11年に他界後もUターン男性は単身で過疎地に残った様子だ。 その後も家族が暮らす兵庫県へ戻らずして、周辺住民との間にトラブルを起こしつつ住民票を過疎地に移している。

 要するにこのUターン男性は、母亡き後も自らが生まれ育った過疎地にて暮らしていこうと志したのだろう。
 全世帯14戸との超零細コミュニティ過疎地にて自分の家族も捨て去り残りの人生を歩むことを志したのならば、それなりの覚悟も周囲への歩み寄りも必要だったはずなのに、何故かこの男性は自己主張最優先行動に邁進してしまったようだ。
 その顛末としての、自治体コミュニティからの「村八分」とのお仕置き。
 それに対するUターン男性のコメントが、「この5年間、毎日孤独だった。勧告を真摯(しんし)に受け止めてほしい」
 
 私見だが。
 貴方の家族が円満だったならば、何も今更郷里過疎地まで舞い戻って、それほどまでに寂しい人生を送らずに済んだはずだ。 それを実行せねばならない責任の大本が自分自身にある事実を、何故68歳にもなって分からないのか!?!
 厳しい表現だが、貴方の人生とは“墓穴を掘り続けている”としか表現しようがない。
 もっと呆れるのは、自分の孤独の解消場所を過疎地自治体に期待して済むと思っているその浅はかさだ。 もしも貴方が訴え出た訴訟にたとえ勝利しても、悲しいかな、貴方という人間とは一生「孤独」なのだろう。


 最後に、私論でまとめよう。

 冒頭で記した通り、私自身は今後郷里過疎地に舞い戻る意思の欠片もない。 この東京に我が骨を埋めようと志し、既にその永代供養場所を都内某所に夫婦共々確保している。
 その前段階の方策として、郷里の実母は昨年秋に地元の高齢者有料介護施設へ入居の段取りを取った。 我が勧めに自身の意思にて従った実母は、その施設で日々比較的楽しく暮らしている様子だ。
 
 もしかしたら現在に於いて「村八分」などとの状態を生み出しているのは、現地の人々ではなく、むしろ一旦郷里過疎地を離れた後に郷里へ舞い戻ったUターン者の孤独感に苛まれつつの身勝手な行動・思想なのではなかろうか?!?

 そんな印象を抱かされる、上記の「村八分」事件だ。