森の中の恍惚

野山が笛を吹いている

六波羅蜜寺

2019年05月30日 | 1/7,726 

松原通「六道の辻」を下がると、社会科の教科書でもおなじみの「空也上人立像」を安置する『六波羅蜜寺』となります。


本堂に上がり南側を裏に回りこむと、所蔵の重要文化財等を保管する「宝物館」。ここで「空也上人立像」とお会いできます。寺院入口での拝観受付を忘れずに........。


だいぶ現世に戻ってきたところで、そろそろ轆轤町ともお別れとなります。

重くとも五つの罪はよもあらじ 六波羅堂へ参る身なれば
花山天皇が御落飾ののち、西国三十三所霊場を、御巡錫になり、各霊場に下された御製が、現在も御詠歌として奉詠されています。その意味は例え五つの大罪(五逆罪=一つには父を殺し、二つには母を殺し、三つには聖を殺し、四つには平和を擾す、五つには仏の身より血を流す)を犯した者でも、御観音様と御縁を結び今後は六つの波羅密を日々実践する事により罪は消えて行くであろうと云う御心が当山の御詠歌と成っています。開山空也上人は「彼を先とし、吾を後とする情を情とする」と説かれました。即ち無限に変化して行く過程の中で瞬時のためらいも停止も許されない厳しさで六波羅密の行動を教えておられるのです。円満な人格となり、日々悔を残さず、幸せな充実した人生を送りたいものです。

六波羅密とは あなたの座右のために
布施―見返りを求めない応分の施しをさせていただくこと。貪欲の気持ちを抑えて、完全な恵みを施すことで、布施行は物質だけではない。
持戒―道徳・法律等は人が作り、現在はますます複雑になっている。私たちは高度な常識を持ち、瞬時瞬時に自らを戒めることが肝要である。
忍辱―如何なる辱めを受けても、堪え忍ぶことが出来れば苦痛の多い現代社会に置いて、自らが他の存在に生かされていることがわかる。全ての人の心を我が心とする仏様の慈悲に通じることとる。
精進―不断の努力のことをいう。我々、人の生命は限りがある。ひとときも無駄にすることなく、日々誠心誠意尽くすことである。
禅定―冷静に第三者の立場で自分自身を見つめることをいう。
智慧―我々は本来仏様の智慧を頂戴して、この世に生をうけいる。しかし、貪りや怒り、愚痴によってその大切な智慧を曇らせてしまいがちである。


■京都だお 2019 2日め
 朝の寺町から祇園さん
 祇園さん 再び
 安井金比羅宮
 六道珍皇寺
 ハッピー六原
 みなとや幽霊子育飴本舗
 六道の辻地蔵尊 西福寺
 六波羅蜜寺
 京のえべっさん
 花見小路通のいけず石
 本家田毎 de そば寿司だお!


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