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矢切の渡し・関八州夢幻譚(下)

2020-09-01 07:49:00 | 小説

池田一貴さんの短期連載小説(上・中・下=毎週火曜日)

矢切の渡し 関八州夢幻譚(下)

 

源次楼の留守を狙った忠治は、百合の香を力づくで……

 

 

     八 板割の浅太郎の無残(承前)

 与えられた田部井村の農家で、源次楼と仲睦まじく暮らす百合の香は、不器量とはいえ、幼い面影をのこす初々しい新妻だと、周囲から好感をもって迎えられていた。
 近隣の百姓らも源次楼を「旦那さん」、百合の香を「御新造(ごしんぞ)さん」と呼んでくれる。源次楼がいつも長脇差(ながどす)の一本差しで出歩く姿をみれば、無宿渡世の博徒らしいことはすぐに察しがつくが、国定忠治親分が一軒家を貸してくれるぐらいだから、それなりに重んじられているのだろうと若夫婦に親切にしてくれた。源次楼も百姓には腰が低い。生まれは百姓家の次男坊なのだ。
 特別な待遇(もてなし)には理由(わけ)があった。初対面のときから忠治は、百合の香を妖怪(あやかし)の化身だと直感していたからである。狐や狸が人に化け、誑(たぶら)かすことがごく普通に信じられていた時代である。美女はおろか醜女、妖怪にまで手を出す悪食(あくじき)の忠治が、尋常な女とは違う何かを背負った百合の香に気づかないはずがなかった。それは、半分は当たっていたのである。
 狐や狸ではない、れっきとした人間なのだが、百合の香の家系は女しか生まれない女系の家で、しかも先祖代々特殊な遺伝を背負っていた。初潮をみるまではただの醜女として育つが、女の月のものが始まると遺伝が発現する。満月の夜に限って発作が起き、顔のみならず四肢までが変身するのである。驚くほどの美貌、また小股の切れ上がった(現代でいえば脚の長い八頭身の小粋な)超美形になってしまう。しかし翌朝には元の醜女にもどるのである。
 柴又村で百合の香に懇願され、しぶしぶ醜女との駆け落ちに応じた源次楼が、そんな事情を知ったのは、忠治一家にわらじを脱ぎ、農家を貸し与えられたのちのことだった。源次楼は一連の事実を知り、百合の香に同情し、そして惚れた。二人は夫婦の契りを交わし、百合の香はその夜、身ごもったという。
 しかし、「ゲテモノ食い」忠治の欲望は相手の隙を窺っていた。八州廻り(関東取締出役、かんとうとりしまりしゅつやく)の道案内を務めた三室の勘助を裏切り者と考えた忠治は、勘助の殺害を、その甥である板割の浅太郎らに命じた。その夜、源次楼の留守を狙って、忠治は百合の香がひとり留守番をしている一軒家に押し入り、力ずくで欲望をとげた。
 入れ違いに帰ってきた源次楼は、半裸で泣いている百合の香を見てとっさに事情を察し、忠治を追って大声で呼び止め、刀を抜いた。

     九 忠治との果し合い

 「若造、いま、待て忠治、と叫んだか」
 「当たり前だ。ひとの女房を手籠めにしやがって、無事でいられると思ったか。一宿一飯の恩義もへったくれもねえ。この腐れ外道(げどう)が!」
 「ふん、俺の腕を知らねえらしいな」
 忠治の撃剣術には定評があった。半端でなく強い。武士でも一対一の真剣勝負に勝てる者は近郷近在にはいないだろうとまで言われている。
 忠治は能面のような顔になり、源次楼を見据えて長脇差を抜いた。
 その構えや間合い、呼吸、どれをとっても一流剣士そのものである。まったく隙がない。源次楼は内心驚き、攻め方を変えた。相手が互角以上の力をもつ場合の秘技を使って攻めることにしたのだ。それ以外に勝てる見込みはない。
 源次楼は腰の鞘(さや)を左手で抜き取って刀のように構えた。つまり右手に抜き身の長脇差、左手にその鞘を構えている。左手がもし小刀なら、宮本武蔵の二天一流の構えである。
 忠治の能面がふだんの表情にもどった。
 「ぷっ、なんだそりゃ。二刀流のつもりか。その鞘をすぱっと斬ってやるぜ」
 「斬れるもんならやってみろ。てめえの田舎剣術じゃ無理だがな」
 「しゃらくせえ!」の言葉より速く、忠治の剣が鞘を斬った。かと思いきや、甲(かん)高い金属どうしの衝突音がして、鞘は斬れていない。
 「鋼(はがね)の鞘か……小癪(こしゃく)な」
 「てめえの負けだ!」
 じつは鞘は鋼鉄製ではない。通常の鞘に薄い鋼の板を巻きつけただけのものだ。これでも簡単には切れない。軽いから早業に適してもいる。
 源次楼は両手の刀と鞘をぐるぐると高速回転させはじめた。刀も鞘も目にとまらぬほどの回転である。信じられない手首の回転によって上下左右あらゆる方向へ回っているから、まるで両手に大きな金属球を持っているように見える。この技は源次楼の柔軟な関節と手首の力なしには不可能な「秘技」であった。
 源次楼の左右から、というより上下左右から、連続して繰り出される「二刀」のめまぐるしい打ち込みは、忠治がかつて経験したことのない奇妙な、しかし恐ろしい剣術だった。息がつけない。忠治は焦った。
 「な、なんなんだこりゃ」
 二刀のうち一刀が真剣でなく鞘であるというのが、じつはこの秘技の真骨頂なのだ。受ける方はどうしても真剣の受けに重点をおく。無意識に鞘を軽視する心がはたらく。そこが罠だ。
 惑う心の隙に、鞘が打ち込まれる。真剣をかわすのに気を取られている隙を衝かれるのだ。事実、忠治は二度、頭の右側面を鞘でしたたかに打たれてしまった。さすがの忠治も視界が揺れた。体が平衡を失い、よろける。そこを狙って源次楼は右手の真剣で忠治を斬り捨てようとした。その刹那、またも半目の権左が大声を上げた。
 「兄い、ままま、待ったあ!」
 先ほどはこの権左の仲裁の掛け声で、板割の浅太郎ら九人との無駄な斬り合いを避けることができた。その同じ声が飛んできたため、源次楼は忠治を斬り捨てる寸前で、腕の動きを止めたのだ。
 「兄い。浅太郎らは仕事が早い。遠いが、あの松明(たいまつ)を見な。風呂敷包みをぶら下げて帰ってくる連中を。包みは伯父の勘助の首に違えねえ」
 ここで連中と遭遇したら面倒なことになる。とっさに源次楼は、鞘で忠治の首筋あたりを強打した。現代風にいえば延髄(えんずい)斬り(蹴り)に相当するだろうが、これで忠治は気を失った。二人は忠治を一軒家へ運び込み、百合の香を急(せ)かせて逃げ仕度をした。さいわい忠治の懐には数十両の金があったので、源次楼はこれを奪った。
 権左はここに残るという。忠治を助けた形にして恩に着せるのだろう。悪賢さだけで生き延びてきた権左らしい。

     十 上方で足を洗う

 源次楼と百合の香は月明かりを頼りに、とりあえず木崎の宿(しゅく)へと急いだ。一刻も早く忠治一家の縄張り(シマ)から離れたい。日光例幣使(れいへいし)街道を木崎から太田へ向かい、太田から桐生道に入って南下し、利根川を越え、熊谷へ。そこからは中山道だ。
 「源さん、力ずくで操を奪われた私を許してくれるのかい。自害もせずに生き延びた私を、汚(けが)らわしいと思わないのかい」
 「なにを馬鹿いってやがる。野良犬に咬まれた女房をいちいち離縁する亭主がどこにいる」
 百合の香は歩きながらぽろぽろと涙をこぼしていた。(やっぱり源さんは私が見込んだとおりの男だ)と独り言を呟きながら。
 問題は熊谷から先、中山道をどちらへ進むかである。江戸方面すなわち百合の香の故郷である柴又村方面へ進めば、まだ代官の追っ手が待ち構えているに違いない。人相書(にんそうがき)が出回っていれば捕まるおそれは十分にある。
 ちなみに当時の人相書とは顔や体形の特徴を文章に記したものであって、絵ではない。しかし、これがよく特徴を捉えていて役に立った。例えば、国定忠治の人相書はこんな風に記されている。
 「国定村 無宿 忠次郎(当寅 三拾才余)
 一、中丈(なかたけ)殊之外(ことのほか)太り候方(ほう)。
 一、顔丸く鼻筋通(はなすじとおり)。
 一、色白き方。
 一、髪大たふさ。
 一、眉毛こく
 其外常躰(つねてい)。角力取(すもうとり)共(とも)相見(あいみえ)申候」
 つまり忠治は、中背だがかなり太っており、一見、相撲取り風。しかし色白で鼻筋が通り、眉毛の濃い、なかなかの男前だったらしい。
 日光無宿円蔵(日光の円蔵)の場合、身体の特徴に加えて「言舌(げんぜつ)下野(しもつけ)なまり」と方言まで記されている。上州の役人なら下野方言を聞き分けるからであろう。
 源次楼は熊谷の宿で考えに考えた末、やはり江戸方面は危険と判断し、西へ向かうことに決めた。上方で博徒から足を洗って正業に就き、子を育てよう、と。百合の香はその決意をことのほか喜んでくれた。

     十一 人生最後の博奕

 田部井村から逃亡して七日後、満月の夜を迎えた。二人が夫婦の契りを交わしてから初めての満月の夜である。
 この夜には、二人の将来を決める重大な儀式をしなければならない。あの釦(ぼたん)押しである。
 百合の香は当然、いつもの発作に襲われ美女に変身するだろう。しかし、この日の身化けだけは特別である。左右の胸にそれぞれ「開」と「閉」の文字が浮かび上がるという。しかもそれは契りを交わした夫にしか見えない。
 百合の香が母親から聞いた話によれば、「開」を強く押せば、次の満月から毎月、絵地図のような刺青が百合の香の全身に浮き出るようになる。それは毎月異なる絵図で、一年前後の期間、それを次々と記録していけば、ある埋蔵金の場所が判明するそうだ。母は祖母から豊臣の埋蔵金ではなかろうかと聞いているが、真相はわからない。
 この体質が遠い先祖から代々受け継がれたものなら、浮き出る刺青がたかだか二百年前の豊臣埋蔵金の絵地図であるはずがない。また、もし何かの埋蔵金だとしても、過去の母系の夫の誰かが、もうすでに発掘してしまったかもしれないではないか。だから埋蔵金ではない何かの絵図が現れるに違いない──百合の香はそう考えている。だが百合の香自身はそれを見ることができない。夫にしか見えないのだ。
 さらに「開」を押した場合、百合の香の容貌肢体が美女に変身したまま固定される、とも聞いた。一方、「閉」を押したら、満月の夜の発作と変身がもう起こらなくなるかわりに、容貌肢体は不器量のままで固定される、という。
 「開」を押すか「閉」を押すか、二者択一の釦押しである。
 これを聞けば、ふつうの男なら「開」を選ぶだろう。美女に生まれ変わる話といい、埋蔵金の話といい、いかにも「開」を押せといわんばかりの言い伝えである。
 源次楼も、押すなら「開」しかねえ、と最初は考えていた。しかし、どうにも胡散臭い。何度も考え直した。うーん、こりゃ丁半博奕と同じだ。
 丁半では目が出る確率は一般に半々と思われているが、実際には丁が出る回数のほうが多い。丁目は有利、半目は不利なのだ。半目の権左は何ごとによらず不利なほうに賭ける癖があるから、この渾名(あだな)がある。
 では、この開閉勝負ではどちらが不利か。明らかに閉のほうが不利である。ふつうなら開に賭けるだろう。しかし、この勝負に遭遇すること自体が稀も稀、稀有なことだ。稀有な勝負なら、稀有に賭けろ。不利に賭けろ。これが、俺にとっては人生最後の博奕になるだろう。ならば大勝負だ。俺は不器量な百合の香に惚れた。だから不器量に賭ける。源次楼はそう決めた。

     十二 釦(ぼたん)を押した

 どこの宿でも旅籠(はたご)は相部屋が常態である。しかし満月の夜の発作を他人に見られるのはまずい。源次楼は旅籠で、宿賃をはずむから二人きりの部屋にしてくれと頼み込んだが混んでおり、やっと与えられたのは蒲団部屋だった。
 「悪いな。我慢してくれ」
 「源さん、御前(おまえ)と二人なら私は野宿でもかまわないよ。ここなら文句はないさ」
 前回とほぼ同じ時刻に発作がはじまった。百合の香は小半刻(こはんとき、約三十分)ほど苦しんだあと、目の醒めるような美女に変身した。胸にはたしかに開と閉の刺青が浮かび上がっている。
 源次楼は「閉」を強く押した。釦を押すように。すると、ひどい衝撃が走ったらしく、百合の香は気を失って倒れた。
 母の話が確かなら、百合の香は不器量な姿に戻って目を覚ますはずである。しかし違った。美女のままである。
 明日の朝になれば元の容姿にもどるだろうと二人は思っていたが、翌朝も変わりがない。美女のままだ。旅籠の女中が「奥さんが入れ替わった」と騒いでいる。駄賃を渡して騒がぬよう頼み込み、早々に立ち去った。

     十三 矢切の渡し

 あれから十年──。
 源次楼と百合の香は九歳の女児を連れて武蔵の国の柴又村を訪れた。いや帰省したのだが、百合の香をかつての不器量な娘と同一人物だと思う人はひとりもいなかった。母親を除いては。
 母は近隣には「上方から甥の源三郎が、嫁と子を連れて訪ねてきた。嫁の名は百合野(ゆりの)。甥は江戸で商売を始めるつもりで来た」と吹聴した。これで一緒に住んでも疑われない。移住に必要な書類の偽造は、源次楼お手のものである。
 結局、百合の香は、美女に変身したまま元にはもどらなかった。埋蔵金など代々の言い伝えは夫の愛情を試すためだったのか、それとも事実だったのか、今となっては真相はわからない。
 振り返れば───、
 田部井村から逃亡したあと、源次楼は博徒稼業から足を洗い、上方で丁稚奉公を始めた。特別に夫婦での住み込みが許された。誰もが見惚(みと)れるほど百合の香が美人だったおかげでもあろうし、源次楼のずば抜けた読み書き能力が、おもに武家を相手にする商売に適(かな)っていたからでもあろう。商売は刀剣や骨董品などを売り買いする道具屋である。
 商売では源次楼の必死の努力に加え、各種文書の読解能力、刀剣の鑑定能力などが、大いに役立った。主人や番頭から将来を嘱望され、早くも丁稚から手代へと進み、五年後には暖簾(のれん)分けしてもらい、店を出して繁盛した。
 もし江戸でも同じ商売が営めるのなら柴又村へ帰ろう、という源次楼の提案に百合の香は泣いた。年老いた母が心配だったからである。
 源次楼の商売は江戸でも繁盛した。上方で修業した道具屋商売だが、源次楼の目利きが信頼されて、武家など多くの顧客がついたのである。刀の良し悪しを見分ける目は確かだった。古文書の真贋もよく見分けた。時あたかも幕末にさしかかり、騒乱の巷に刀剣の需要が急増していたことも商売には幸いしたのだろう。
 源次楼は江戸市中の店舗に信頼できる番頭を置き、自身は柴又村と行き来していた。柴又の増築した家には妻子と義母がいる。
 それにしても、未だに解けない謎がある。十年前、柴又の代官はなぜ百合の香に追っ手を出し、銃撃までしたのか、という謎だ。源次楼と百合の香が娘を連れて柴又へ帰ってきたとき、代官はとうの昔に更迭されており、真相を探るのは困難だった。いずれゆっくり真相を究明してやろうと源次楼は考えていた。
 暇なときには矢切の渡し付近で舟を出し、頬かむりをして利根川で釣りを楽しむ。ある日、破れた道中合羽の渡世人が堤から声をかけてきた。
 「今日は渡し舟の爺さんが寝込んでるらしいから、悪いが向こう岸まで乗せてっちゃくれめえか。礼はするぜ」
 「それはお困りでしょう。どうぞ」
 ありがてえ、と言い、渡世人は乗り込んだ。
 「旅人(たびにん)さん、どちらから」
 「上州だ。あそこは蚕と絹織物で潤ってるから博奕打ちにゃいい仕事場さ」
 「上州じゃ国定忠治親分が磔(はりつけ)にされたとか」
 「ああ二年前にな。見事な最期だったぜ。あの人は大侠客だった。後世語り草になるだろう」
 破れ合羽の渡世人は、国定忠治の磔刑時の大演説から見物衆の様子まで、感動的に語り続けた。いささか誇張もあるのだろうと割引いても、なるほど忠治らしい話ではあると納得しながら、源次楼は聴いていた。
 対岸に着くと、渡世人はいくら払えばいいか、と訊く。
 「いえ。お代は結構です。おめえさんのおかげで忠治親分を殺さずに済みましたからね」
 「えっ……」
 唖然としている半目の権左を対岸で降ろすと、源次楼は頬かむりのまま深々とお辞儀をして、おもむろに櫂(かい)を回した。
                   (完)

 

【池田一貴(いけだ いっき)さんのプロフィール】

福岡県生まれ。団塊の世代。東京外大卒。産経新聞社を経てフリーランスのジャーナリスト。現在、ノンフィクションおよびフィクションの作家として執筆活動。


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