【連載】頑張れ!ニッポン㉔
新幹線とパワー半導体
釜原紘一(日本電子デバイス産業協会監事)
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▲東海道新幹線が開業(朝日新聞より)
新幹線に使われたパワー半導体
昭和39(1964)年は私が大学を卒業し、社会人になった年だが、1回目の東京オリンピックが開催され、東海道新幹線が開通した年でもある。この新幹線にパワー半導体が使われているのだ。電車はモーターで走るが、「モーターのあるところパワー半導体あり」である。モーターの回転をコントロールするためには電流を多く流したり、電流の流れを少なくしたりする必要があるが、そこにパワー半導体が使われる訳だ。
新幹線向けのパワー半導体の製造に関して記憶に残っているのは、入社数年後に山陽新幹線向けのサイリスタ(パワー半導体の一種)が製造ラインに流れていたことである。新幹線用の主電動機(車輪を回すモーター)を含むシステムを製造していたのは、日立、東芝、三菱の重電三社であったと記憶する。
事業規模に見合った配分で受注量が決まっていたようだが、新幹線の機種によって主設計担当会社が交代で決まっていたのだろう。最終納入先は国鉄になるが、半導体を直接国鉄に納めるのではなく、社内の電車システムを作る工場に納めるのは言うまでもない。半導体はあくまでも部品のひとつにすぎないが、その半導体によってシステムの機能や性能の大部分が決まってしまうところが肝心なところだ。
最終客先が国鉄だから、我々半導体製造工場にも「国鉄監査」と言うものが数年おきに実施された。この国鉄監査がある時は、工場を挙げて準備に追われたものである。監査は通常2名の審査員により行われ材料の購入時の品質管理から始まり、製造工程での品質管理、完成品の最終検査での品質管理等について、その方法や実施状況のチェックが行われる。
工程での品質管理状況については、日々行われる点検を記録したチェックシートなども調べられる。また製造設備についても保守管理状況なども調査対象となった。当然のことだが、製品が作られていく工程を説明し、審査員から発せられる様々な質問に答える事になる。
リニア新幹線は諦めるな!
入社当初は監査の様子を遠くから見ていたが、やがて中堅技師と言う立場にもなると、製造工程の説明役をさせられることになる。製造の途中で不良品が発生した場合は、厳密に良品と区別して所定の場所に保管する事になっていたが、ある監査の際、審査員から「それはどこに保管されていますか?」と聞かれた同僚が、「こちらで御座います」とかねて用意していた場所に審査員や工場関係者10数名を引き連れて案内したところ、見当たらなかったのだ!
「あれ~どこへ行ったんだろう?」となって一同ズッコケたこともあった。誰かが気を利かしてこのような不良品は目に触れない方が良いとばかり片付けてしまったらしい。まあ、このようなミスもたまにはあるが、多くの場合は無事終了となり、最後に審査委員から「審査メモ」なるものが出され、審査は合格と認めるが、なお改善するべき事項が示されるのが通常であった。
▲営団地下鉄・丸の内線(ディスカバーレールウェイのHPより)
ところで、パワー半導体は新幹線以外の鉄道車両にも当然多く使われている。その中で地下鉄用のパワー半導体を開発した時のことが印象に残っている。時代が進むと共に地下鉄車両にインバーターが導入されるようになり、これによって大いに省エネが進むようになった。インバーターに使用される半導体は、スイッチング速度の速いものが求められるので、それに向けた開発が行われた。
ある時、今度の「営団地下鉄」向けからインバーターが採用されるらしいなどという話が出ていたのを覚えている。「営団地下鉄」と言うのは今の「東京メトロ」の事で、正式名は「帝都高速度交通営団」という厳めしい名前だった。しかし、平成16(2004)年に民営化され「東京メトロ」となった。工場では営団地下鉄○○号線向けなどと呼んでいたが、それが日比谷線や有楽町線などの一般名称のどれに相当するかは、調べれば分る事だが、そんなことには関心なかった。
中国の姿勢を見習え!
▲スペイン国鉄=レンフェ(RailUKのHPより)
また、スペイン国鉄(RENFE=レンフェ)向けの製品を製造したことも記憶にある。スペインにも輸出するのかというので記憶に残ったのだろう。その時から20年以上が経った定年退職後、妻と一緒にスペイン旅行に行った時、そのレンフェに乗る機会があった。ホームに入ってきた車両に「RENFE」と大きく表示されていたの見て「ああレンフェと書いてある!」と私が感動しながら列車を眺めているのを、妻が不審そうに見つめたこともあった。 以上のように鉄道市場はパワー半導体にとって重要な市場だが、そんなに数多く出るものではない。国内での新幹線の建設は今後多くは望めない。リニア新幹線は静岡県が反対しているようで、工事が遅々として進んでいない。リニア新幹線の開業を諦める事は絶対に避けて欲しいと願うばかりだ。 止めて仕舞ったら半導体の二の舞になる事は必定だと思う。最先端の技術を磨くためにもリニア新幹線の開通は絶短期的な損得で判断しないで欲しい。長期的な視野で計画を立案し着々と遂行する中国の姿勢を見習って欲しいものだ。国内での伸びが期待できない以上、海外市場を目指すことになる。 日本の新幹線技術に対する国際的評価は高いが、海外での商戦となると話は別で、日本は苦戦している。例えばインドネシアでの新幹線事業の受注競争では中国に負けてしまった。当時の記録を見ると、日本は技術や信頼性に優れていても、コストの安さや納期の短かさ、さらには資金に対する条件面でも中国に負けてしまったという。先日紹介したディープシークの衝撃に見られるように、最近の中国はあらゆる分野で実力を伸ばしている。米国が神経を尖らすのも尤もな事だ。
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【釜原紘一(かまはら こういち)さんのプロフィール】
昭和15(1940)年12月、高知県室戸市に生まれる。父親の仕事の関係で幼少期に福岡(博多)、東京(世田谷上馬)、埼玉(浦和)、新京(旧満洲国の首都、現在の中国吉林省・長春)などを転々とし、昭和19(1944)年に帰国、室戸市で終戦を迎える。小学2年の時に上京し、少年期から大学卒業までを東京で過ごす。昭和39(1964)年3月、早稲田大学理工学部応用物理学科を卒業。同年4月、三菱電機(株)に入社後、兵庫県伊丹市の半導体工場に配属され、電力用半導体の開発・設計・製造に携わる。昭和57(1982)年3月、福岡市に電力半導体工場が移転したことで福岡へ。昭和60(1985)年10月、電力半導体製造課長を最後に本社に移り、半導体マーケティング部長として半導体全般のグローバルな調査・分析に従事。同時に業界活動にも携わり、EIAJ(社団法人日本電子機械工業会)の調査統計委員長、中国半導体調査団団長、WSTS(世界半導体市場統計)日本協議会会長などを務めた。平成13(2001)年3月に定年退職後、社団法人日本半導体ベンチャー協会常務理事・事務局長に就任。平成25(2013)年10月、同協会が発展的解消となり、(一社)日本電子デバイス産業協会が発足すると同時に監事を拝命し今日に至る。白井市では白井稲門会副会長、白井シニアライオンズクラブ会長などを務めた。本ブログには、平成6年5月23日~8月31日まで「【連載】半導体一筋60年」(平成6年5月23日~8月31日)を15回にわたって執筆し好評を博す。趣味は、音楽鑑賞(クラシックから演歌まで)、旅行(国内、海外)。好きな食べ物は、麺類(蕎麦、ラーメン、うどん、そうめん、パスタなど長いもの全般)とカツオのたたき(但しスーパーで売っているものは食べない)