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気ままに生活してるシニアの残日録

浅草公会堂「新春淺草歌舞伎」を観に行く

2024年01月17日 | 歌舞伎

淺草公会堂で開催中の「新春淺草歌舞伎」昼の部を見てきた。今日は3階席の最前列で3,000円。ほぼ満員だったが来ているのは90%以上おばさま方であった。11時開演、14時15分終演。時間的にちょうど良い感じだった。3回最前列は見やすいかと思ったら手すりがありそうでもなかった、2列目くらいが良いかもしれない。また、花道はほとんど見えなかった。

本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)十種香(じゅっしゅこう)
八重垣姫:中村 米吉(30、播磨屋)
武田勝頼:中村 橋之助(28、成駒屋)
腰元濡衣:坂東 新悟(33、大和屋)
白須賀六郎:中村 種之助(30、播磨屋、又五郎息子、歌昇は兄弟)
原小文治:坂東 巳之助(34、大和屋、三津五郎息子、大河ドラマ出演中)
長尾謙信:中村 歌昇(34、播磨屋、又五郎長男)

題名の由来は3段目,慈悲蔵が母のために雪中から筍を掘ろうとする場面が,中国の「廿四孝」(儒教の教えを重んじ孝行を推奨した中国で伝えられてきた24の親孝行の話)にちなむため。

舞台は越後の上杉(長尾)謙信の屋敷、「花作りの簑作」(中村橋之助)が出てくる。この簑作は実は武田勝頼。勝頼は前段で切腹したが実はそれは簑作であった。勝頼は簑作になりすまして上杉屋敷にうまく雇われた。左側の小部屋から死んだにせ者の勝頼の恋人で腰元となって屋敷に入り込んだ濡衣(坂東新吾)が出る。右側の小部屋からは謙信のひとり娘で勝頼の許嫁、八重垣姫(中村米吉)が出る。姫は勝頼が切腹してしまったので日夜嘆いている。部屋に絵師に描かせた勝頼の絵姿をかけ、十種香を焚いてお経を読む日々。姫は座敷にいる絵姿と同じ顔の簑作(勝頼)に気づき濡衣に取り持ちを頼む。起請(諏訪法性の御兜)が欲しいと言われ困惑すると、濡衣は本当のことを教える。そこに謙信(中村歌昇)が登場し「塩尻に使者に行け」と簑作に言う、そして武者に「追いかけて殺せ」と命令する。驚く八重垣姫。あわてて勝頼を追おうとするが、謙信が押さえつけ、さらに「お前もアヤシイ」と、濡衣も取り押える。

あまり変化のない場であるが、八重垣姫を演じた中村米吉が良かった。この八重垣姫は歌舞伎の中でも大役とされる三つの代表的なお姫様役の一つである。他の二つは「鎌倉三代記」の時姫、「祇園祭礼信仰記」の雪姫だそうだがまだ観たことがない。米吉はそういう役を立派に演じていた。

与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)源氏店
三世瀬川如皐 作

切られ与三郎:中村 隼人
お富:中村 米吉
番頭藤八:市村 橘太郎
蝙蝠の安五郎:尾上 松也
和泉屋多左衛門:中村 歌六(73、播磨屋)

お冨(中村米吉)は深川の芸者だったが木更津のヤクザ赤間源蔵に身請けされた、与三郎(中村隼人)は武士のお坊ちゃんだが木更津の親戚に預けられて謹慎中、その二人が海岸で出会い恋仲に。それが源三に見つかりお富は逃げて海に飛び込むが与三郎は全身を切り刻まれる(切られ与三郎)。お富は夜釣りをしていた江戸の質屋の大番頭の多左衛門(中村歌六)に拾われ妾として楽な暮らしをしていると、ごろつきに落ちぶれた与三郎が訪ねてきて、死んだと思ったお富が自分を忘れて楽々と暮らしているのに腹をたて強請る。多左衛門は、商売でも始めてそれからまた来なさいと与三郎に金を渡して帰す、多左衛門は帰り際にそっと自分の紙入れを置くがそこに入っていたお守り、それはお富の持っているのと同じもの。見て驚くお富、多左衛門は兄さんだった、これがわかり与三郎と寄りを戻すが・・・

この演目は初めて観るもの。昨年歌舞伎作者の河竹黙阿弥を題材にした小説「元の黙阿弥」(奥山景布子)を読んだが(こちら参照)、その中で、黙阿弥が作った「切られお冨」と言う作品が出てくる。この「切られお冨」は当時黙阿弥のライバルであった瀬川如皐が先に作ってヒットした「切られ与三郎」の書き換えであり、この「切られ与三郎」こそ本日上演の与話情浮名横櫛の通称であるのだ。そういったこともあり観たくなったのだ。

さて、今日の演目の解説をイヤホンガイドで聞いていて驚いた。この「切られ与三郎」を歌にしたのが今の60才以上の人なら知っている人が多いと思うが、春日八郎がむかし歌って大ヒットした「お冨さん」なのである。

粋な黒塀 見越しの松に
仇な姿の 洗い髪
死んだはずだよ お富さん
生きていたとは お釈迦さまでも
知らぬ仏の お富さん
エッサオー 源冶店

歌詞の粋な黒塀というのはお冨が住んでいる多左衛門の屋敷の洒落た渋墨塗りの黒い塀のことであり、与三郎とお冨は赤間源蔵に逢引きを見つかり、二人とも生きてはいないと思っていたのだ。それが両方とも生き残り、与三郎はゆすりたかりで生活し、お冨は大邸宅に住む身になっていたことから騒動になるのがこの演目だ。「玄冶店」(げんやだな)と言うのは現在の東京都中央区日本橋人形町3丁目あたりの地名で、今でいう高級住宅街、徳川家光に仕えた医師の岡本玄冶の敷地跡から、その一帯が玄治店と呼ばれるようになったそうだが、歌舞伎では実名を使わず「源冶店」としたものだ。今ではこの玄冶店と言う地名は残っていないが、ちょうどそのあたりに「玄冶店濱田屋」という料亭があり、人形町の交差点に玄冶店跡という石碑が立っているようだ。濱田屋は知っていたがこの石碑は知らなかった。こういう石碑などは原敬首相や浜口雄幸首相の暗殺現場にもあった(それを見たときのブログ)が普段は気付かないものだ。今度人形町に行ったとき確認したい。

さて、与話情浮名横櫛(切られ与三郎)であったが、与三郎役の中村隼人が良かった、大向こうから何回も声がかかっていた。また、お冨役の中村米吉もなかなか良かったと思う。この2人は両方とも似合いの役だと思った。また、蝙蝠安の尾上松也も良い感じを出していた。さすが座頭だ。

神楽諷雲井曲毬(かぐらうたくもいのきょくまり)どんつく

荷持どんつく:坂東 巳之助
親方鶴太夫:中村 歌昇
太鼓打:中村 種之助
大工:中村 隼人
子守:中村 莟玉
若旦那:中村 橋之助
芸者:中村 米吉
白酒売:坂東 新悟
田舎侍:尾上 松也

ウィキによれば、若手登竜門として歌舞伎の常連客らに親しまれている『新春浅草歌舞伎公演』の2024年開催が決定時点で興行主・松竹より「今回で一区切り」との話があり、座頭・尾上松也のみではなく、四代目中村歌昇や巳之助ら主な30代メンバー7名の卒業が決定されたので、巳之助は全員が一緒に出演可能な演目をと考え、三津五郎家の家の芸でもある『神楽諷雲井曲毱、通称:どんつく』を選択した。舞台上の賑わいを江戸時代の民衆にとってのエンタメとして、観客にも疑似体験して貰えれば嬉しいとインタビューにて語っている。

午前の部の最後を飾る演目として、新春歌舞伎出演の全員が勢揃いの所作を存分に楽しめた。

 

さて、今日の幕間の食事は、淺草松屋の地下で「ゆしま扇」の弁当にした。また、甘味は公会堂近くの舟和の「あんこ玉」にした。1個から売ってくれるので有難い。

2時過ぎに終わったので、蔵前のパンのペリカンに寄ってロールパン5つ入りを買って帰り、夕食で食べた。相変わらずおいしいパンであった。

 



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