矢口高雄氏のマンガについては、以前に「マタギ」についての読後感を書いた。
そのとき、普通の人が知らない山人の生活を、本人の経験や取材・調査した情報を交えて描いていることに、すばらしさを感じた。
そのすばらしさにもう一度ひたりたくて、今度は、同様に山と渓谷社から出ている「ニッポン博物誌」を、また1,650円出して買って読んだ。
矢口氏がマンガで描く自然の描写の細かさ・豊かさは、ほかの人が真似できない領域だったのだと改めて実感した。
われわれが子どものころ、マンガを読んで育っているうちに、「劇画」という表現がなされるマンガが出るようになってきたのだったが、今回「ニッポン博物誌」を読んで、氏の描くマンガは、「自然を描いた劇画」だったと感じている。
この本は、たくさんの動物や昆虫などの生き物が出てくる。
それら一つ一つを時には擬人化して心情を描いてみたり、普通は知らない生き物の生態を細かく明らかにしたりしながら、20の短編が綴られている。
これらの作品は、かつて私が学生だった頃の昭和53年から55年までに、「週刊少年サンデー」誌に掲載されたものである。
あの頃は、この作品には注目していなかったから、1つ1つの作品を読んだことはなかった。
自然界に生きる、ムササビ、バチネコ、ニホンカモシカ、ホタル、イワナ…and so on.
どの話も、自然界の生物も登場人物も、みな生き生きと描かれている。
紙面いっぱいに描かれている、1コマ1コマの、その迫力が実に魅力的だ。
読んでいる途中から、20の短編を一気に読むのは惜しくなって、何日かに1編だけ読むようになってしまった。
本当にすごいマンガ家だったのだなあと、矢口氏のことを思う。
本書が山と渓谷社から出版されたのが、わずか2年前でしかない。
あと書きが書かれた日付は、2020年の4月21日であり、初版本の発行日が7月1日となっている。
それなのに、亡くなったのは、その年の11月20日に亡くなっている。
すい臓がんが死因となっているから、本人もあとわずかしか命がないというときに再出版したということになるのだろう。
氏は、地方での銀行勤めを30歳で退職し、マンガ家になって生きていこうと、妻子を秋田に残して上京したのだった。
遅咲きのマンガ家だったが、本当に素晴らしい功績を残した人生だったのだなあと思う。
その死を改めて惜しいと思った。
そのとき、普通の人が知らない山人の生活を、本人の経験や取材・調査した情報を交えて描いていることに、すばらしさを感じた。
そのすばらしさにもう一度ひたりたくて、今度は、同様に山と渓谷社から出ている「ニッポン博物誌」を、また1,650円出して買って読んだ。
矢口氏がマンガで描く自然の描写の細かさ・豊かさは、ほかの人が真似できない領域だったのだと改めて実感した。
われわれが子どものころ、マンガを読んで育っているうちに、「劇画」という表現がなされるマンガが出るようになってきたのだったが、今回「ニッポン博物誌」を読んで、氏の描くマンガは、「自然を描いた劇画」だったと感じている。
この本は、たくさんの動物や昆虫などの生き物が出てくる。
それら一つ一つを時には擬人化して心情を描いてみたり、普通は知らない生き物の生態を細かく明らかにしたりしながら、20の短編が綴られている。
これらの作品は、かつて私が学生だった頃の昭和53年から55年までに、「週刊少年サンデー」誌に掲載されたものである。
あの頃は、この作品には注目していなかったから、1つ1つの作品を読んだことはなかった。
自然界に生きる、ムササビ、バチネコ、ニホンカモシカ、ホタル、イワナ…and so on.
どの話も、自然界の生物も登場人物も、みな生き生きと描かれている。
紙面いっぱいに描かれている、1コマ1コマの、その迫力が実に魅力的だ。
読んでいる途中から、20の短編を一気に読むのは惜しくなって、何日かに1編だけ読むようになってしまった。
本当にすごいマンガ家だったのだなあと、矢口氏のことを思う。
本書が山と渓谷社から出版されたのが、わずか2年前でしかない。
あと書きが書かれた日付は、2020年の4月21日であり、初版本の発行日が7月1日となっている。
それなのに、亡くなったのは、その年の11月20日に亡くなっている。
すい臓がんが死因となっているから、本人もあとわずかしか命がないというときに再出版したということになるのだろう。
氏は、地方での銀行勤めを30歳で退職し、マンガ家になって生きていこうと、妻子を秋田に残して上京したのだった。
遅咲きのマンガ家だったが、本当に素晴らしい功績を残した人生だったのだなあと思う。
その死を改めて惜しいと思った。