◎デング熱は9月が流行期
デング熱の感染が大きな問題になっている。厚生省労働省の発表によれば、国内での感染は、一九四五年以来、七〇年ぶりだという(先月二七日のNHKニュースによる)。
デング熱については、ウィキペディアの「デング熱」の項を見ると、かなりの知識が得られる。以下は、ウィキペディアの同項より。
日本でも第二次世界大戦中、戦闘地域から持ち帰られたウイルスが、日本にも生息するヒトスジシマカによって媒介され、長崎市、佐世保市、広島市、神戸市、大阪市など西日本で流行し20万人が発病したことがある。長崎での流行は、当時堀田進らが報告した。また、堀田らは、長崎のデング熱患者からデングウイルスを分離することに成功した。その後、日本国内での流行は無いが、海外からの輸入症例(海外で感染してデング熱を発症する症例)は、毎年100例前後(2010年は245症例)報告されている。
ここに名前が出てくる堀田進(一九一八~二〇一一)は、デング熱研究七〇年、デング熱研究の世界的権威であった。
ウィキペディアの同項の末尾には、多くの参考文献が紹介されているが、そのうちのひとつに、堀田進の「デング熱とデングウイルス」(二〇〇〇)がある(ネット上で閲覧可)。堀田によれば、日本国内でデング熱が大流行したのは、戦中の一九四二年から一九四四年にかけてであった。その理由として、堀田は、①太平洋戦争の主戦場がデング熱の流行地域であったこと、②戦地から国内に船舶による人的な移動があったこと、③当時の都市には防火用の防水桶があり、これが蚊の成育を助長したこと、④防空壕が蚊の住みかとなり、ここで蚊に刺されるケースが多かったこと、などを挙げている。
なお、ウィキペディアの「デング熱」の項、および堀田進「デング熱とデングウイルス」は、なぜかどちらも、石井信太郎ほかの「長崎市のデング熱流行に就て」(一九四二)という貴重な論文を挙げていない。この論文については、次回以降のコラムで紹介する予定だが、長崎でのデング熱の流行は、一九四二年の九月がピークだったと指摘している点が注目される。これは、もちろん、日本における蚊の活動時期と関わっているのである。
現在、全国各地で、デング熱に感染した例が報じられているが、戦中の長崎における例から見て、このあと一か月間は、今まで以上に感染が拡大してゆく危険性がある。関係機関、マスコミは、全国民に、この点を警告しておくべきではないのか。【この話、続く】
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