◎題して「種本一百両」、石川一夢のお物語
野村無名庵著『本朝話人伝』(協栄出版社、一九四四)から、「石川一夢」のところを紹介している。本日は、その五回目(最後)で、「石川一夢 (四)」の全文を紹介する。
石川一夢 (四)
然るところその翌月は、一夢の持席【もちせき】が日本橋四日市の翁亭【おきなてい】といふ、これは翁稲荷と申すお稲荷様【いなりさま】の傍〈ソバ〉にありました講釈場で、場所柄【ばしよがら】でありますから、魚河岸【うをがし】の連中が皆この席の定連になつて居りました。大看板の石川一夢が、久々で此席へ出るといふので、初日から一杯の入りであります。二、三人の前講〈ゼンコウ〉が済んでいよいよ真打【しんうち】の一夢が出演、待ち構へてゐた一同が一度に拍手を以て迎へました。一夢は慇懃【いんぎん】に礼をいたし、
「扨〈サテ〉本日より久々にて、御当席へお目通りをさせて頂きまするが、毎々の御引立【おひきたて】まことに有がたい仕合せに存じます。就きましては前後二席のうち、前段は時鳥伊達〈ホトトギスダテ〉の聞書【きゝがき】、後段はぐつと趣【おもむき】を替へ、天明白浪伝【てんめいしらなみでん】を長講〈チョウコウ〉に……」
と言ひかけると定連【ぢやうれん】が納まりません。
「先生々々ちよつと待っておくれ」
「ハア、何でございます」
「何でございますぢやアねえよ。前席【ぜんせき】は何でも構はねえが、後席〈ゴセキ〉は佐倉にして貰ひてえな。久し振りで先生が此席【ここ】へかゝつたんだもの、せめて一席は先生の十八番、天下一品といふ佐倉を聞き度【て】えぢやアねえか、これは定連一同が楽しみにしてゐたんだ。是非とも佐倉義民伝をやつて下さいよ」
一人が発言すると八方から、
「そうだそうだ、宗吾様をたのむ」
「義民伝々々」
「佐倉々々」
「エエ成田線は乗替へ」
「省線【しやうせん】と間違えちゃアいけねえ」
ワイワイという騒ぎになり、口々に義民伝を所望いたしました。サア石川一夢が困つたの困らないの、高座の上で真つ赤になつちまい、脇の下から冷汗【ひやあせ】を流しながら、
「エエどうも、折角でございますが、仔細あつて義民伝は、唯今は読むわけに参りません。まことに恐れ入りますが、どうぞこの次までお預けを願ひ度う〈トウ〉存じます」
断つたが定連は承知しない。
「先生々々、何もそんなに、お高く止まらなくともいゝぢやアねえか」
「意地の悪いことを言ふなよ」
「何を読むんだつて同じ骨折ぢやアねえか、皆が好むものを演【や】つてくれよ」
又ワアワアと騒ぎ出した。絶体絶命になりました一夢が、
「これはどうも困りましたな。決して、お高く止まるのでも、意地の悪い事を申すのでも、勿体【もつたい】をつけるものでもございませんが、斯う〈コウ〉なつては仕方がありません。くらやみの恥【はぢ】を明るみへ出して白状しなくてはお分りにもなりますい。実はあの読物は、これこれの次第で、相生町の伊勢屋さんという所へ、質に入れましたのでございます。そこの御主人と堅く誓つた言葉もあり、私も石川一夢、一旦質に入れました以上は、それを受出しません事には、一言【ひとこと】もお話をいたすことが出来ないのでございます、どうぞ悪しからず、御勘弁を願ひます」
頭をかきながら事情を話した、すると一同が、
「何、講釈を質に入れた……」
「ハイ、抵当【ていたう】として、その種本をお預けしてございます」
「そんなら一つ請出【うけだ】して演つて貰はうぢやアねえか、全体いくらで預けたんだえ」
「ハイ、一夢は決して嘘も掛引も致しません。相生町の伊勢万さんでお調べ下さればお分りになりますが、一百両借用しました」
「ゲエーツ、質の代は百両かえ」
とさすがにこれには定連も驚きましたが、そこは威勢のいゝ魚河岸の連中です。
「べら棒めえ、乃公【おれ】たちが斯うして多勢【おほぜい】揃つて、佐倉を演れと好みの注文を出して置きながら、百両に驚いて手が出せず他の読物で我慢をしたと言われちやア、他の土地の者に聞かれたつて外聞【ぐわいぶん】が悪いや」
一人が口を切ると早速他の者も同意いたし、
「そうだともそうだとも、四日市の翁亭の定連の顔に拘はらア」
「魚河岸一統〈イットウ〉の名折れだぜ」
「魚河岸【うをがし】ばかりじゃアねえ、江戸つ子全体の恥だ、先祖の助六〔花川戸助六〕に申訳【まをしわけ】がねえや」
「乃公たちでそれを請け出そうじゃねえか」
「当り前だ、乃公【おれ】なんざア斯うなりやア乃公一人でもその位いは出す気でゐた、角の地面【ぢめん】を叩き売つてもいゝ」
「オイお前、地面なんかあるのか」
「ウームその……箱庭があらア」
「巫山戯【ふざけ】ちやアいけねえ」
大へんな騒ぎになりまして、これから各自【めいめい】で志を出し合ふと、何しろ気前のいゝ連中の上、富貴【ふつき】な土地だし、多勢だからたちまち二百何両と集まりました。一夢も、
「アヽこれ程迄に講談を好んで下さるか」
と感激いたし、すぐに使を走らせて伊勢万へ、百両並びにその利子を持って台本を取りよせ、立派に講演することが出来ましたが、情は人のためならずとやら、義心から発して男女二人の命を助けるための入質【いれじち】も、斯様な結果になってすぐに質請【しちうけ】が出来た上、残り百両が自分の祝儀【しうぎ】になった。それのみならず、
「種本を百両という莫大な金高〈キンダカ〉で質に取るとは、全体どれ程面白い講釈なんだらう」
と評判が評判を生んで、我も我もとこれを聞きに殺到いたし、翁亭は毎日々々非常な大入り、今日で申す素晴らしい宣伝になりまして、石川一夢の名声はますます高く相成りましたが、一方大阪に於て笹川五岳は、江戸から参りました我子芳次郎の書信により、一夢が旧怨【きうえん】を忘れて親切を尽してくれた次第を承知いたし、「アヽ申訳もねえ。あんなに苛【いぢ】めぬいた一夢さんに、伜【せがれ】の命を助けられるとは何たる皮肉だ、心の寛い〈ヒロイ〉一夢さんに引かへアア乃公はつくづく浅ましい根性だつた」と悔恨の涙にくれ、両手を合せて遥かに関東の方を伏拝み、細々【こまごま】と謝罪と感謝の書状を一夢へ送つたと申すこと。その後は双方円満に親交を結んだこと申す迄もありますまい。まことに芸術は人格の反映と申すべく、この心がけあればこそ、石川一夢が斯様【かやう】な名誉を博【はく】したものでありましょう。題して種本一百両、講談界古名人のお物語【ものがたり】であります。
以上、五回にわたって、「石川一無」を紹介してきたが、最後の一言、「題して種本一百両、講談界古名人のお物語であります」によって、これが、野村無名庵による、一種の「創作講談」であることがわかる。
若干、注釈する。「エエ成田線は乗替へ」というセリフがあるが、これはもちろん、観客を笑わせるための冗句である。講談には、時おり、こうした落語的な部分が混ざることがある。ちなみに、成田本線は、佐倉駅から、成田駅を経由し、松岸駅までを結ぶ。東京方面から成田山ないし銚子方面に向かう場合、まず総武線に乗り、佐倉駅で乗り換える。そのセリフのすぐあとに出てくる「省線」とは、鉄道省線の略で、戦後の国鉄ないしJRに相当する鉄道を指す。
「オイお前、地面なんかあるのか」、「ウームその……箱庭があらア」というヤリトリも、もちろん、落語的部分である。