礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

神示に依って天誅を下したのだ(相沢三郎)

2021-03-11 01:23:44 | コラムと名言

◎神示に依って天誅を下したのだ(相沢三郎)

 今月の六日から八日にかけて、石橋恒喜著『昭和の反乱』(高木書房、一九七九年二月)から、相沢事件(永田軍務局長斬殺事件)関係の記述を紹介した。
 この事件については、小坂慶助著『特高』(啓友社、一九五三)という本が、参考文献の筆頭に挙げられる。本日以降、何回かに分けて、同書にある相沢事件関係の記述を紹介してみよう。

   Ⅱ 相 沢 事 件

     一、死 刑 執 行 の 前 夜
 帝都を恐怖のどん底に、たたき込んだ二・二六事件の公判も順調に進み、七月五日には其の判決の言渡しとなり、戒厳令も近く解除せらるると云う、昭和十一年〔一九三六〕七月二日の夕刻であった。連日の酷暑に九段下の内堀から吹込む凉風に、ホッと一息入れている処へ、代々木の陸軍刑務所長から電話が掛って来た。
 「麹町憲兵分隊の小坂曹長であります」
 「私は刑務所長だが、実は相沢〔三郎〕中佐が、どうしても、小坂曹長に会わして呉れと申し出ているのだが、都合を付けて来て貰いたいが、都合はどうだろう!」
 「どんな御用でせうか?」
 「それは判らないが、実は明朝死刑を執行するので、最後であるから来て会ってやって呉れ給え」
 「承知しました」
 と電話を切った。何の用か全く見当が付かなかった。直接事件担当者として、西武線鷺の宮に住んでいる中佐の留守宅に、よね子夫人を二・二六事件の被告渋川善助と共に何回となく訪問していたので、何か言伝け〈コトヅケ〉でもあるのであろうと思い、森〔健太郎〕分隊長と一緒に代々木の陸軍刑務所に相沢中佐を訪ねた。
 二坪ばかりの殺風景な面会室に待っていると、青い獄衣の相沢中佐が姿を現わした。一年振りの対面である。事件直後で昂奮状態の容貌魁異の時に比較べる〈クラベル〉と、人相も態度も非常に温和であり、別人ではないかと思える感じだった。私の姿を見て、微笑さえ浮べ、
 「やあ! 貴男も元気で結構ですね!」
 と、手を差延べて来た。気持の悪い程愛想が良い。
 「暫くでした。中佐殴もお元気で結構な事です! お身体もお変り御座いませんか?」
 「御蔭様で元気です。先日迄眼を悪くして困りましたが、もう大丈夫です。此頃は毎日習字をしていますよ!」
 淡々として話す相沢中佐は、永い獄中生活に卑屈の影もなく、全く悟り切ったと云う態度である。更に言葉を続け、
 「実は今日貴男にお出〈オイデ〉を願ったのは、貴男が第一回の聴取書を作った時、永田〔鉄山〕少将を私が手を下して、殺したと書いたので、この様な結果になったのだが、あれは私! 即ち相沢個人の行為ではなく、伊勢神宮の神示に依って、法律を超越して皇軍を毒する元兇に天誅を下したのであるから、貴男の書いた調書を、天誅と訂正して貰いたい。」
 と、真剣そのものの顔付で云った。
 「中佐殿! 私の書いた調書と云うものは、法律的には、何の証拠力もないものです。内容に間違いや、言い足りない点がありましたら、予審廷か、公判廷でいくらでも取消し、訂正が出来る事になっています。」
 今迄の温和の態度は急に峻しくなった。
 「予審も公判も、皆な一つ穴の狢〈ムジナ〉だ。そんな事をしているから、俺の後に統く者が出て来るのだ。第一回の調書を書き替えればいいのだ。」
 灼き付く様な眼で、私を睨み付け口元は痙攣していた。明朝午前六時に死刑を執行されると思えば、争う事はないと思った。希望通り叶えてやる事が功徳〈クドク〉になると思い、
 「承知しました。早速訂正する事に致します」
 と快諾した。心から嬉しさうな表情に返った相沢中佐は、
 「有難う! これで私もやっと安心したよ!」
 「奥様に、お伝言でもあれば、お伝え致します!」
 「有難う! 貴男が調書を訂正して下されば、私も近く台湾に赴任する事が出来ます。おついでの時に、軍服其他身廻品を整えて置く様に家内に伝えて下さい!」
 どうも少し変になって来た。逮捕直後の取調べの時も、常識で判断出来ない言動が多々あった。精神異状者かとも思って見たが、亦一面理論整然とした点もあり、その判断に迷った。変質者である事は間違いない。死の前夜、少しでも安心感を与えて喜んで貰った事は無意味ではないと思った。
 併し、相沢中佐の最後は、突に立派なものであったとの事である。此日午前五時起床、本日刑を執行する旨の言渡しを受けるや、少しも騒ず、泰然自若として、最後の食膳に向った。
 やがて時となり、執行官に取囲れた相沢中佐は、二・二六事件の被告連中を収容のため増築された、バラック建の監房の間を悠々と歩を運び、大声で
 「皆さん! 永い間御世話様になりました。お先に参ります、天皇陛下万才! 天皇陛下万才」
と、連呼しながら刑場に向った。百余名に上る安藤〔輝三〕大尉以下の二・二六事件全被告は、期せずして一斉に起立し、声を限りに「君が代」を奉唱し、先輩相沢中佐を見送った光景は、悲壮であり、亦、厳粛そのものであったと云う事である。
 私は七月三日午前六時、自宅の床の上に端座した。執行官に取り囲まれて刑場に連行される、相沢中佐の面影が瞼に浮ぶ、カスカに重鈍い小銃の発射音が聞えた様な錯覚に捉われた。静かに瞑目して相沢中佐の冥福を祈った。【以下、次回】

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